ファンタジックな歌



エレーヌ


まさぐる指のつめたさに 忘れかけてた名がよぎる
許されるなら かたわらで 夢見つづけよう今一度

いつかおまえの爪弾いた 黄泉の竪琴 懐かしみ
凍てつくメロディくちづさむ 声にならない ため息で

病みさらばえた漆黒の 眼窩に流れる髪 愛でる
そよぎ せせらぎ 銀の波 くしけずろうにも すりぬけて

カルマとカオスのむつみあう 水面たゆとうペルソナ
絶えざる呪詛と詠唱が 石碑のしたたり震わせて

ああ さいなむ ついばむ むしばむ
滅ぶことすら かなわぬ骸を
ああ わが罪 わが闇 わが恋
哀れむ者らに 報いを




誇り高き不死人と死せる愛人。


過ぎ去りゆくものよりの恋歌


1、飛べない鳥が大空みあげ 悲しい末路をさえずるように
あなたからは あまりに遠く 微笑みすらも おぼろげで
この世に闇のある限り この闘いには終りがないのさ

 
2、移り香さえも しだいにうすれ 剣の露を振りはらうたび
きのうまでの わが名はいずこ? あしたの生まれも知れぬのに 
どこかで傷が うずくから まどろみながらも憩いはないのさ 


3、剣よ 剣 伝えておくれ 忘れることが かなわぬならば
砂も 夜も 輪廻も越えて 溢れる血潮とこの想い
いくども文様なぞりつつ かすかに触れたは幻だったか




 曲はというと、70年代ブリティッシュ・ロックのビートとオルガン。これは、お好みだ。詞の方は、ヒロイック・ファンタジー。マイケル・ムアコックのエレコーゼ・シリーズ(エルリックと言わないところが、おくゆかしいだろう?)と、当時書き上がったばかりの長編小説’景帆螺’のエッセンスがはいってる。宿命と使命を背負って、多元宇宙を何度も生まれ変わりながら、愛するひとを探す主人公。


ア レ フ


1、おれのカラダは どこにある?
おれのココロは どこにある?
おれの意識は ここにある
おれのせすじが さむくなる
背中なぞ ないはずなのに……

2、おれの記憶は どこにある?
おれの仲間は どこにいる?
おれの嘆きを だれが聞く?
おれの痛みを だれが知る?

3、あまい孤独に 癒えてきた
おれにすべてが みえてきた
おれの他には なにもない
おれが 最初の「ひとつ」だよ




 「私はアレフであり、オメガである。」宇宙で最初にめざめた意識の歌。含、造物主。



ベルシモーヌの作詞した曲

  聖甲虫が食餌となる糞球転がす 
 巨大な太陽球を転がし 天空を横断する
  聖甲虫を頭上にいただく 
   男神ケプリ 太陽の神格化
  再生と復活、生命を更新するもの 
            ……それは子宮

1、この指 触れるもの 黒き泥と化した
柔毛ふちどる潤み 火照りの糸は煙り
スカラベよ スカラベ こねあげたもう天球回廊


2、顔なき ファアロスどの とくと醸しあそばせ
かぐわしき花篭と 嘆き ほころぶ肉と
スカラベよ スカラベ ころがしたもう天球回廊

あるがままを愛でる あるがまま 愛でてやる
あらがい得ぬテーベの 久遠の流砂より気ままに
あるがまま 愛でてやる 傀儡を愛でてやる


3、憧憬 そしてまた 悲哀こそ おろかしく
ヌートのみぞ 識るよし 糞に永らえる世を
スカラベよ スカラベ ついばみたもう天球回廊
スカラベよ スカラベ ひりだしたもう天球回廊



 この世界は、糞転がし黄金虫のこねあげる、クソの玉。そこでささやかな営みを続けるのはニンゲン。



ゾシーク
(拙き歌曲にて、C.A.スミスを讚美する)


1すべてが夢で あり得たならば 私の野望も無駄でなかった
  失われ巡りきたるもの 具現の際にみごもり 生まれいでよう
―― ゾシーク……  
  天空まじかに 老いゆく日輪 紅蓮のわだつみは 神々が血潮


    2、夜霧を魔道師がもたらすまでは 秘めごとすらも この地になかった
  めくるめく受胎の兆に 伽藍のうちでときめき 破瓜を待ちわび
―― ゾシーク……   
  腐乱の果実を頬ばる淑女ら 斜陽をかすめゆく 蠱惑と羽ばたき


「汝、邪宗のわざに手を染め、 
処女宮よりゾシークに踏みいらんとする者よ。
汝は 汝の知られざる恥業と悪徳ゆえ、
地界の君主たるササイドンの帝国に招かれよう。
その永劫に培われゆく暗澹たる領土こそ、
相いれぬ異郷へと 流刑の憂き目にあった、
汝のまことのジュデッカなのだから。」


3、すべてが夢で あり得なければ 私の苦悩も危惧でなかった
   ない交ぜの 鳴咽と愉悦は 終焉 臨み 汚泥を啜りつづける
―― ゾシーク――  
   天空まじかに 老いゆく日輪  倦怠たたえて 溶けゆく眺望




 クラーク・アシュトン・スミスの幻想小説は、私にとって、バイブルにも等しい。


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