ブキミな歌



火喰い鳥 


「伽楼羅はナーガを食べて永遠の生命を手にいれた」


1、いたくはないから こわくもないから
ゆだねておしまいなさい なされるがままに
柱時計は夜明けを告げず 伽楼羅の羽音にくるまりながら


2、失われてゆく 変わりはててゆく
捨てておしまいなさい そこまでのものなら
しのび笑いと悪意をこめた 木枯らし吹きこむ夜のしじまに


3、刹那をたばねて いくつもつなげて
かくしておしまいなさい ナーガ(蛇)の目に触れぬように
霧雨たたく水鏡ほど 月の陰りはかすかに震える




 日々の刹那の瞬間から、永遠に至ってゆくための教訓。ナーガとカルラはそのシンボル。インド神話、仏教説話というのは、ギリシア神話、聖書物語あたりとは雰囲気の違った、よくわかんないとこがまたそそってくれる。


ゲガ(拝炎祭紀)


1、見捨てる下僕がいれば 葬るメシアもおわすさ 
幾世に渡り安寧を 求める気持ちが呼んでいるのだから
苦痛に身悶える 魂のために 無明に怯える 同胞のために
逆巻き猛る いかずち 辺りに従え 
冥府の大河に映身 散らし焔は燃えさかる


2、賢しき生き物なりに 奉じる恥辱も多々あり
たとえば三たび 現世と交わした契りがなぶりたてるからは
最初は彼の地に生を受け はたまた彼の地で 生を知り
挙げ句の果ては 彼の地に 生を蒔き放つ
おのれがごとき 素性も解せぬ迷い児を
素性も解せない迷い児を


「知り得ぬこと おまえは何処からやってきたのか
知り得ぬこと なにゆえ おまえは此処にいるのか
知り得ぬこと これからおまえは 何処へ行くのか」


3、地空に増えよ 満ちよ 嗜虐と悲哀の小伜
腐肉でくるんだ貢ぎ物 育む値打ちがあるというのならば
へその緒 懐かしむ わだつみの母と
羽ばたく術なき 精霊たちの
さしのべかけた 慈愛のかいな 振りほどき
穴蔵漁りにうつつをぬかす 稚魚どもに
身のほど わきまえぬ 稚魚どもに




追記:慈悲深き薄情者・夜盗風(ヤヌフ)、きまぐれな破壊者・怒殺魔(ゼキル)、無責任な仲介者・沼溜人(ヌルト)、頑固な剽軽者・放笑土(フォルト)。ヒトの霊魂は沼溜人とその弟である放笑土によって造られ、この世と3度交わりを持つ。最初は初めて産声をあげ、空気を吸いこんだ時。次は異性と肉体関係をもった時。最後は父・母になった時。忌まわしい現世との結びつきは決定的なものとなり、ケガレは拭いようのないものとなる。成人より、処女・童貞が尊く、死産児がもっとも気高い。怒殺魔の祭礼に死産児を捧げるのは、このためである。死産児に恵まれなかった信徒は、堕胎しても祭礼にそなえる。ただし、この行為は、沼溜人、放笑土の被造物のいれものを損ねることになるので、発覚してはならない。泥と一緒に瓶につめられ、川に投げ込まれるからである。さて、現世の苦役を終えるとヒトは、怒殺魔の試練によって灰土と化し、夜盗風の恩恵に吹きさらされて無垢に還る。ここに収録された歌曲は、怒殺魔に捧げられる祭歌である。怒殺魔はけっして温厚ではないが、ヒトの世の苦しみに終止符を打ち得る直截の存在であるため、最も信奉されている。この歌は、歌い手、ヒトを蔑んでいるかのようにもとれる内容であるが、3番の1行めにはヒトの繁栄を願う気持ちが実に逆説的に、また、自虐的に歌われている。
(訳注:夜盗風(ヤヌフ)は「風」、怒殺魔(ゼキル)は「火」、沼溜人(ヌルト)は「水」、放笑土(フォルト)は「土」を指すと思われる。)


朝焼けの鬼ごっこ/ 夕暮れにかくれんぼ


1、あなたとぼく 鬼ごっこ 追いかけさせて消えるがいいさ
ほーら どこでも行ってごらん すーぐ みつけてあげるから


2、いまさらなに? 忘れても すがってみせよう あなたの背後
ほーら どこでも行ってごらん すーぐ みつけてあげるから
「もーいーかあい?」 あなたはまだまだ きれいなひとだね 
「もーいーかあい?」 いっつも 遠くへ去ってしまって
「もーいーかあい?」 やりすごせるって 信じてるんだね
「もーいーかあい?」 ほんとはとっても そばにいるのに
「まーだだよー!」 


3、そろそろ もう あきらめたら? 小指の糸が張りつめてるよ
そーか どこでも行ってごらん すーぐ みつけてあげるから




 今でいうストーカーか、犬木加奈子の「不気田くん」みたい。もちろん、作った当時、まだそれらは、なかったんだけれど。わらべうたみたいな詞と歌メロ、無国籍風アレンジが不思議に調和して、いい感じ。近くの神社を散歩していたら、なんとなくアイデアがわいた。


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