意 見 陳 述

被告人 富田 益行 
【国労近畿地方本部兵庫保線分会】

 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件について、私の意見は以下のとおりです。

 はじめに―私は無実です

 私は無実です。私が5月27日、国労本部派組合員に対して「暴行を加え」たという事実は全くありません。私に対する逮捕・起訴は、正当な組合活動を犯罪行為にねじ曲げて、国労の団結権を侵害する著しく不当なものです。ただちに公訴を棄却するよう求めます。
 今回の私たちに対する刑事弾圧の核心は、国労大会の議案書をめぐる国労組合員同士の論争、つまり労働組合内部の問題に、国家権力が介入してきた点にあります。政府・自民党と国家権力は、国鉄分割・民営化以来一貫して国労を破壊しようと攻撃を加えてきました。労働者の団結権行使である私たちのビラまき・説得活動を犯罪行為として刑事弾圧を加えてきましたが、これは国労破壊の頂点をなす前代未聞の不当弾圧に他なりません。
 私は、8名の被告全員の無実を徹底的に明らかにし、無罪をかちとります。

1 国労組合員一筋30年間の闘いをかけて
 
 私は、高等専門学校で土木関係を学び、1972年4月、国鉄新幹線総局に入社しました。入社後中央鉄道学園に入学して9か月間勉強し、73年名古屋保線所、75年から大阪保線所に配属され、新幹線保線の土木関係の仕事にずっと従事してきました。
 1987年4月1日の国鉄分割・民営化で、九州・北海道の仲間の多くが組合差別による不当解雇を受ける中、私はJR西日本に採用になりました。しかし、民営化直前の3月10日にこれまでの仕事からはずされ、岡山保線所神戸支所施設技術係兼運輸部管理課に不当配属され、その不当配属のままでJRに採用されたのです。
 この職場はJRの体制表にも載っていない異様な職場で、鉄道電話が引かれているのですが、会社の電話帳にも載っていません。仕事はなんと駐車場づくりでした。
 九州、北海道の仲間達が味わされた人材活用センターでの労働者殺し、人間破壊が、私の場合はJR採用後に襲いかかってきたのです。
 私はこのときほど悔しい思いをしたときはありません。私は、国鉄入社以来、不当配属されるまで14年間、新幹線保線の土木関係一筋に務め上げてきました。その技術をこのまま朽ち果てさせてしまうのかと思うと腹立たしさでいっぱいでした。
 ただただ国労つぶしのためにベテランの運転士が職場を奪われました。自分のような技術職も本務からはずされました。ほとんど経験のない人たちがその代わりに配属になりました。
 私は、組合つぶしのために、このような不当配転が横行して、果たして鉄道の安全は保たれるのかという不安やいらだちを大きくしました。そのため、どんなことがあっても不当配転を撤回させるぞと固く決意しました。
 私は不当配属になってからすぐに、大阪府労働委員会に自分の不当配属について救済申立を行い、勝利命令をかちとりました。しかし、JRは許せないことに命令に従いませんでした。
 1992年ようやくこの不当配属職場から、在来線の加古川保線所土木技術係に移されましたが、仕事は従来の新幹線関係ではなく在来線の職場だったこと、吹田から加古川までの長距離通勤を強制された点で、不当配属を引き継ぐという性格の強いものでした。96年10月、神戸工事区に配属され、98年4月、現職場である神戸土木技術センター所属になり、現在に至っています。
 その間、1995年の阪神淡路大震災の後、マスコミでも取り上げられましたが、JRが安全を顧みず、山陽新幹線の橋脚やトンネルのコンクリートに大量の海砂を使用したことを隠していることに対し、国労として職場から摘発し、安全確立のための改善を要求し闘いました。国労はJR資本の言いなりになることを拒否してきたからこそ闘うことができたのです。
 私は、一鉄道労働者として、一技術者として、鉄道の安全を守ることが使命と思っています。しかし、自由にものが言える職場でなければ安全を守ることはできません。
 この間、私は、国労組合員として30年、組合活動を担い資本と闘ってきました。私の国労組合員としての経歴を簡単に述べます。まず、「交通ゼネスト」と言われた1973〜74年春闘や75年の1週間のスト権ストを国労青年部として先頭で闘いました。
 1982年から90年までは、国労新幹線支部大阪保線所分会執行委員を務めました。この分会は、分割・民営化の国労解体攻撃と最後まで闘い続けた分会です。その結果、分割・民営化反対のストライキ指導の責任による戒告処分をはじめ、5年連続の昇級カット、11回連続の一時金カット等の賃金差別を受けました。
この30年間の組合活動は私の人生そのものですが、常に労働者の権利を守り、1人の首切りも許さない闘いを貫いてきた国労の闘いそのものです。私は一貫して闘う国労の旗を守って闘ってきたと自負しています。

2 「東京グリーンホテル御茶ノ水」前でのビラまきと説得活動

 私は、私の30年間の国労組合員としての生き方をかけて、必ずや国労を再び闘う国労に甦らせるという立場で「四党合意」に反対してきました。
 2002年5月27日、国労本部は、臨時大会を開き、闘争団を統制処分にかけ除名処分にするという議案を提出し可決しようとしました。私たちは、「与党三党声明粉砕・奴隷の道を拒否せよ」と書いた国労共闘のビラをまき、大会議案の撤回を申し入れ、国労本部派の説得活動に立ち上がりました。
 国労の方針にもっとも忠実に国鉄分割・民営化と闘い、人生をかけて国家的不当労働行為と闘い、国労を守り、国労の団結を守り抜いてきたのが闘争団です。
 解雇撤回闘争を闘う闘争団組合員を除名処分にすることは、国労自らが3度目の首切りを強行することです。これはまさに国労の死であり、かけがえのない私たち国労の団結の破壊そのものです。
 私はわが身が切り刻まれるような痛みを感じます。国労本部の5・27臨時全国大会方針は、私の国労人生30年を否定するものでもあります。
 国労執行部に国労組合員の首を切らせるという悪どい手口の張本人は、JR不採用の国家的不当労働行為を強行した自民党・国土交通省であり、自民党・甘利副幹事長です。
 「四党合意」を受け入れ、無様にも自民党・国土交通省の支配介入下におかれ、闘争団と組合員を裏切り続けてきた国労本部と本部派に対して、私たちは国労のかけがえのない団結をかけて、この団結破壊に立ち向かったのです。
 5月27日、私たちは「東京グリーンホテル御茶ノ水」前に行って、国労本部派に対しビラをまき・説得活動を行いました。私たちは、ホテルの前で、出てきた国労本部派の人たちに声をかけながら、ビラを手渡し、大会議案の撤回を訴えようとしました。
 しかし、一団となってホテルから出てきた国労本部派組合員のほとんどの人は、私たちが渡そうとしたビラを受け取ろうともせず、また立ち止まって私たちの主張を聞こうとしませんでした。
国労本部派組合員が一団となって出てきた時、先頭の数人が私たちを無視して通り抜けようとして私たちに突っかかってきました。確か前から2番目あたりに出てきた人が、私たちの仲間の国労組合員の体をつかんで強引に振り回そうとしました。その後に続いた人たちの一部が私たちを突き飛ばしたり、押しのけたりしました。またビラを配ろうとする私たちに横柄な態度でくってかかる人もいましたので、私はあっけにとられました。また残りの人は、ドンドン私たちのわきを通り抜けてバスに乗り込んで行きました。
 私たちは、バスの入口の方にまで行ってさらに説得活動を続けました。しかし、バスに乗り込んだ国労本部派は、バスの入口にいる私たちを手でつついたり、服をひっぱったりして、私たちの訴えを無視し続けました。
 私は、同じ労働組合の仲間の真剣な訴えに立ち止まろうともしない彼らの不誠実な姿勢を見て、国労の伝統はなくなったのかと悔しくてたまりませんでした。それでも私は、国労本部派に、「闘争団の除名をやめろ」「政府に言われるままに大会を開くのか」「国労の誇りはないのか」と真剣に呼びかけました。
 国労本部派は、最後はやはり頼みの綱の警察に守られて、残った人もバスに乗り込み、臨時大会会場の社会文化会館に向かいました。
 このように5月27日の実際の状況は、多数の国労本部派の人たちが、私たちのビラまき・説得活動に対して、同じ組合の仲間が真剣に訴えているのに不誠実な態度に終始し、そればかりでなく突っかかったり、服をつかんだりという乱暴な対応をしたのです。私たちが国労本部派の組合員に暴行を加えた事実はありません。
 私たちが、「ちょっと待ってくれ、闘争団とおれたちの話を聞いてくれ」と言うことが、なぜ犯罪として扱われなければならないのか。私は絶対に納得できません。
 自民党の言うがままになった国労本部が、人生をかけて闘い続けている闘争団員を除名するのを認めるわけにはいきません。除名処分は労働組合員にとって最も重大な問題です。しかも、16年という長期の解雇撤回闘争を共に闘ってきた仲間に分断攻撃がかけられて発生した問題です。
 私たちが、国労本部派に大会議案の撤回を申し入れるのは正当な行為です。彼らには足を止めて、ビラを受け取り話を聞く責任があります。
 国労は、激しい議論を何度も繰り返して団結を維持してきた労働組合です。この日の行動は、団結を守る当然の行動です。またこの後の社会文化会館前での弾劾集会や、甘利明議員への労働委員会への出頭要請行動など全体の闘いで、闘う国労の旗は守られ、「四党合意」はその後破綻するのです。
 私は、自らの国労人生30年をかけて、国労運動のみならず全労働者の崇高なる団結権を刑事弾圧で踏みにじろうとする、この国労5・27臨時大会闘争弾圧と堂々と闘い、必ず勝利することを宣言するものです。

3 本件「四党合意」刑事弾圧の本質は団結権侵害である

 本件刑事弾圧は、国鉄労働運動総体を体制翼賛化するために、国鉄労働組合の解体を目的になされた国鉄分割・民営化攻撃の最後の総仕上げとして強行されたものです。つまり、「四党合意」攻撃がもたらした刑事弾圧であり、「四党合意」刑事弾圧ともいうべき画次元的な刑事弾圧です。
 その本質が団結権侵害にあることを、1982年から始まる自民党・中曽根元首相の国鉄分割・民営化から2002年末の自民党・甘利明筆頭副幹事長兼四党協議座長による国家的不当労働行為、国労への支配介入、国労解体にかけた国家意志を歴史的に見ることによって明らかにしたいと思います。

(1) 国鉄分割・民営化から今日までの3つの段階
 1982年から2002年までの20年間を3つの段階に分けて考察します。
 第1段階は、国会の衆議院の過半数を制した自民党とその政府権力を駆使した力による国労解体です。国鉄改革法23条を盾にとった国労・動労千葉・全動労組合員の指名解雇攻撃です。
 第2段階は、力ずくの政策による国労解体に失敗した自民党が、政権党の一角に抱え込んだ社会党を使いながら、懐柔・取り込みにより国労を解体しようとした時期です。75年スト権スト時の202億円の損害賠償請求訴訟取り下げと裏取引した国労の路線転換です。
 第3段階は、国鉄労働組合中央執行委員会(国労本部)の懐柔・取り込みを一定成功させた自民党が、権力に屈服した国労本部を使いながら、再び力の政策で国労を解体してきた時期です。

(2) 国鉄分割・民営化の強行と組合差別による指名解雇【第1段階】
 (ア) 三塚小委員会と現場協議制度破壊
 三塚委員会は、国労が強い理由が「現場協議制度」にあるとして、団体交渉権たる現場協議を骨抜きにし、現場協議で結ばれた協定のすべての破棄を国鉄当局に強制します。私たちが現場で安全に働くためにかちとった命のかかった協定を、連日マスコミを使って「ヤミ協定」と攻撃してきたのです。自民党・国家権力によるすさまじい国労解体攻撃でした。
 (イ) 職場規律の総点検と「職員管理調書」の作成
 現場協議制度の破壊とともに、自民党は小坂運輸大臣の指示のもと、全国5000職場の「職場規律の総点検」攻撃に出てきます。これは1982年3月から年度ごとに2回、87年の分割・民営化直前まで計8回実施されます。
 国労バッジ着用、リボン・ワッペン闘争、立席・個名点呼拒否、ビラ貼り闘争、駅頭宣伝闘争等々国労の分割・民営化反対の行動が「職場規律」として点検され、新会社(JR)への社員採用・振り分けの「職員管理調書」へと絞り上げられていくとともに、国労の役員・活動家を職場から排除・隔離し、一般組合員を国鉄当局が攻撃しやすいように狙った「人材活用センター」収容の人選調書としても悪用されていくのです(86年7月、全国1440か所、2万1000人そのうち8割が国労役員・活動家)。

 (ウ) 中曽根首相らの不当労働行為意志と国鉄改革法によるJR不採用
 「国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを意識してやったんです」と96年『AERA』で中曽根元首相は公然と言い放ちました。中曽根首相らは、国鉄労働運動とその中軸を担う国労を敵視し、国労解体・一掃を意図して分割・民営化を強行したのです。
 JR採用は、設立委員会が国鉄を通じて募集を行い、国鉄が採用名簿の作成を行うことを国鉄改革法で決定しました。つまり、国鉄が採用者名簿を作成したのであり、もし名簿作成時に不当労働行為や組合差別があったとしても、採用名簿をつくったのは設立委員会ではなく国鉄であり、その責任は国鉄にあり、新会社には及ばないというカラクリであり、詭弁です。
 (エ) 清算事業団による2度目の解雇と国労破壊攻撃の破産
 このような激しい国労解体攻撃にもかかわらず、87年4月1日、分割・民営化時点で国労は4万9000人で新会社に全国単一体として残り、分割・民営化に反対する闘う方針を堅持しながら、7630名の清算事業団闘争に突入します。そして、北海道・九州・本州の各地方労働委員会に不採用差別事件として救済を申し立て、89年1月の北海道採用差別事件の勝利命令を始め全国の地労委勝利命令をかちとりました。90年3月、清算事業団による2度目の解雇に反対して、国労は72時間ストライキに突入します。
 自民党および国家権力が総力を挙げて狙った国労解体・絶滅一掃は失敗し、清算事業団の仲間は1047名が2度目の解雇を突破して闘争団を結成し、連合下の組合員が大きく支援に立ち上がる状況が生まれ、連合支配を揺るがす闘いへと発展していったのです。

(3) 懐柔・取り込み策による国労解体【第2段階】
 (ア) 202億円スト損賠訴訟の取り下げ
 1994年7月、社会党の村山氏を首相とする自民・社会・さきがけ3党の連立政権が発足します。運輸大臣となった自民党の亀井静香氏は94年12月24日、75年スト権スト時の202億円損賠訴訟の取り下げと国労会館明け渡しに関する合意書を国労と清算事業団に調印させます。
 (イ) 1996年8・30申し入れによる路線転換の開始
 国労本部は96年8月30日、組合員に一切明らかにせず、極秘にJR各社に対し、「国鉄改革にもとづいて推移している現状を承認するとともに、JR各社の発展に寄与する」という申入書を提出しました。
 しかし、解雇撤回・地元JR復帰を求めて闘う固い意志を貫く闘争団は、このような和解策動を乗り越えて、闘いの場を中央労働委員会から裁判闘争へ押し上げ、あくまで国家的不当労働行為との闘いを貫いていきました。

(4) 1998年5・28反動判決から「四党合意」による国労解体攻撃
 【第3段階】
 (ア) 東京地裁の5・28反動判決と自民党の支配介入の開始
 国労本部の路線転換・屈服を見透かし、その根幹を折るかのごとき攻撃が1998年5月28日の東京地裁による北海道・九州採用差別事件の判決としてかけられます。中央労働委員会の命令を取り消し、不当労働行為があったとしても、国鉄改革法を盾にとって「JRに法的責任なし」という国家意志を前面に押し出した反動判決でした。
 これ以降、自民党は、国労本部へあからさまな屈服要求を押しつけ、支配介入を強め、それを受け入れ「大会決定」する国労本部にそれを上回るさらなる屈服要求を強いて、国労を最後的に解体一掃し、連合化していく攻撃を加えてきます。
 この屈服要求を受け入れた国労本部は、98年8月21日の第63回定期大会で突如として「補強5項目」を提起してきます。その要旨は、(1)改革法の承認、(2)JR移行後の全ての不当労働行為係争事件の解決、(3)国労の名称変更、(4)JR連合との共同歩調、(5)JR各社に対して胸襟を開く――というものでした。国労本部は姑息にも、(6)の改革法の大会承認だけを議題とした臨時大会を強行します。
 (イ) 「四党合意」の強制と団結破壊
 次に、2000年5月30日の自民・公明・保守の与党三党と社民党による「JR不採用問題の打開について」と題する「四党合意」攻撃です。
 その要旨は、1項目に「JRに法的責任がないことを大会で決定すること」、2項目に、大会決定を受けて、(1)与党からJR各社に対し人道的観点から、雇用の場の確保……検討を要請。(2)2項目の機関決定後、速やかにJR発足時における国鉄関連の訴訟を取り下げる。(3)与党と社民党の間で、和解金……について検討する――というものでした。
 国労本部はその前日の5月29日、激論の末、この全面降伏を迫る「四党合意」を受け入れることを決定します。そして、当該の36闘争団が反対を表明しているにもかかわらず、国労本部は7月1日の臨時大会開催を決定します。
 大会でも反対意見が圧倒していましたが、国労本部は「改革法承認」の時と同様「拍手で承認」という非民主的手段で承認を強行しようとしたことに対して、闘争団とその家族の13年の苦闘の心底から発せられた「私たちの人生を勝手に決めないでください」という血叫びが反対派組合員の心をとらえ、演壇占拠となり、採決を阻止します。
 この過程で、一票投票によって国労の団結はずたずたに引き裂かれてしまいました。
 (ウ) 「四党合意」の大会決定とさらなる支配介入
 2001年3月15日に開催された四党協議の場で、座長の甘利明・自民党副幹事長は、「法的責任がないと決議しながら、裁判を続けるのは矛盾している」と指摘し、国労本部にさらなる屈服を迫ります。このさらなる屈服を迫った、採用差別事件の最高裁訴訟取り下げ要求を国労本部は受け入れ、2001年10月13〜14日の第68回定期大会で、「裁判取り下げ」の追加方針を提出しますが、反対派の根強い力と、賛成派の中からの危機感に押され、国労本部は「裁判取り下げは解決時」という集約答弁に追い込まれます。
 (エ) 「与党三党声明」と闘争団の除名要求
 これに業を煮やした自民党・甘利座長ら与党三党は、最後通牒ともとれる「四党合意からの離脱」を宣言しながら、国労本部への屈服要求たる「与党三党声明」(JR不採用問題に関する声明)を2002年4月26日に発表します。
 その要旨は、その2項で「国労が『JRに法的責任がない』ことを組合員の総意として認める」ことが必要として、一つ目に「引き続き裁判によってJRの法的責任を追及」している、二つ目に「不採用関係者の約3分の1もの組合員が鉄道建設公団を相手取り新たな訴訟を提起するなど、むしろ矛盾は拡大している」と2つの矛盾を指摘したのです。
 この「与党三党声明」を受けた国労本部は、5月15日の中央執行委員会で5月27日に臨時大会を開催することを決定します。大会の数日前に出された方針案は、「最高裁での判断を公正に求める方針の撤回」「組合員の総意として『JRに法的責任がない』ことを決定したと言えるだけの結果を上げる」「鉄建公団訴訟の取り下げに応じない闘争団員に対しては、処分案を決定し、査問委員会に送致し、直近の全国大会で決定する」というものです。「組合員の総意として『JRに法的責任がない』ことを決定したと言える」状態を統制処分によって作り出すとは、闘争団を切り捨てる、つまり除名処分を決定するとしか考えられないものでした。私たちの危機感は、本当に頂点に達しました。
 (オ) 自民党・甘利明氏の言動と「四党合意」
 2002年5・27臨時大会後の7月11日、議員要請行動で訪問した高嶋国労本部委員長および北海道・九州エリア代表と闘争団員家族6名に対して、甘利氏は「国労執行部には、決断したらこんなすばらしい案が出るというのはやめてほしい。……ゼロよりはいいかの選択という現実を言うべきと国労執行部には再三申し上げてきた」と言い切り、解決案は「ゼロ回答」であると明言したのです。
 (カ) 自民党・甘利明氏に屈した国労本部による闘争団への仕打ち
 国労本部は、「人道上の解決」を唱えながら、闘争団組合員に対しては、2002年4月25日の「本部指示75号」をもって最高裁訴訟参加申立人266名、鉄建公団訴訟参加人283名の「生活援助資金2万5千円の凍結と物資販売活動支援の停止」というまさに人道に反する仕打ちを闘争団に加え、国労の団結破壊を進めています。
 闘争団ごとのプール体制による1か月15万円程度のギリギリの生活費で、国労本部を信じ、その方針のもとに闘っている闘争団とその家族を兵糧攻めにし、「死ね」と言うに等しい仕打ちが、こともあろうに自らが所属する組合の本部からなされるに至っています。本当に悔しいです。1日も早く「本部指示75号」を撤回させなければなりません。

(5) 国労解体攻撃の破産とその暴力的突破としての本件刑事弾圧
 しかしこの第3段階で、自民党・甘利明氏らは、国家的不当労働行為の生き証人たる国労闘争団員をなきものにしようとしてきましたが、それは成功したのでしょうか。断じて否です。
 第1に、生活資金凍結・物販支援停止という死命を制するような統制処分を受けようが、鉄建公団訴訟を下ろさなければ除名処分という切り崩し攻撃を受けようが、それに屈しない決意を固めた闘争団が生まれました。
 第2に、不屈に闘う闘争団と固く連帯した国労組合員の中に、2000年7月1日の臨時大会から2002年11月24〜25日の定期大会まで2年間で実に7回もの全国大会を闘い抜いて、国労の闘う執行部形成に向けた陣形が強固に生まれてきています。
 第3に、国労闘争団、全動労闘争団、動労千葉闘争団という所属組合の枠を超えた1047名陣形が15年目にしてついに形成され、この3組合共闘による大きな力が発揮される可能性が生まれてきています。
 第4に、「1047名の不当解雇撤回・国鉄闘争勝利」を掲げる「国鉄闘争共闘会議」をはじめ、闘う闘争団を支援する全国のあらゆる支援組織が強固に組織され、次々と生まれています。
 第5に、イラク侵略戦争―北朝鮮侵略戦争下で有事法制を推進する連合支配をうち破って、「陸海空港湾20労組」の10万人に近い決起と、その一翼を担う国労がこの反戦闘争と結びつこうとする状況が生まれています。
 このように、自民党・政府・国家権力がその総力を挙げて行った国労解体・絶滅一掃攻撃が失敗しました。その敗北感と憎悪から、自民党・政府・国家権力は、帝国主義の戦争に反対する、「国策」に反対する闘う労働者・労働組合に「暴力行為等処罰に関する法律」という戦前の治安弾圧法をもって襲いかかることに踏み切ったものです。
 しかし、私たちは今回の弾圧に屈服しませんでした。闘争団も一歩も後退しませんでした。団結権侵害の本件刑事弾圧は、私たち労働者の闘う団結によって打ち破られたのです。

(6) 与党三党の離脱で破綻した「四党合意」
 昨年12月、与党三党が「四党合意」から離脱し、「四党合意」が破綻しました。国労本部派の5・27臨大運動方針案は最終的に破綻したのです。私たちがビラまき・説得活動で訴えたように、「奴隷の道を拒否し」、1047名の不当解雇者、闘争団を先頭に、国労が全体となって、解雇撤回、不当配転、不当労働行為と闘うことが労働組合として唯一の道であり勝利への道なのです。

4、私たちは無実です。直ちに釈放することを求めます

 私は無実です。私たちは、国労組合員として、闘争団の除名に反対し、国労の団結を取り戻すために昨年5月27日の臨時大会参加者に「与党3党声明粉砕、奴隷の道を拒否せよ」と訴えたのです。「暴行」の事実など全くありません。そもそも国家権力は、組合自治に介入すべきではありません。
ところが、検察官は、私たちを逮捕・起訴しただけではなく、昨年12月の保釈請求に対し、私たちの「存在自体を犯罪視」しています。
 すなわち検察官は、「被害者らは,被告人の釈放事実を知らせただけでおそれをなし……」とか「被告人及び共犯者が釈放されて自由の身になること自体」が「威迫となる」、つまり私たちが今日まで30数年間、国鉄労働者として、JR社員として「自由の身」で働いていたこと「自体」、そして今後「自由の身になって」JRで働くこと「自体」が「威迫」であり「犯罪視」すべきだと言っているのです。
 権力は、私たちの「存在自体を犯罪視」した上で、「四党合意」に反対し、鉄建公団訴訟を起こし、生活援助金が絶たれても、除名処分だと査問委員会に送致されても、頑強に闘う闘争団員やそれと固く連帯して闘うJR国労組合員を、「四党合意」破産の報復として弾圧しようとしているのです。
 また、検察官は、私たちの家族をも敵視しています。検察官は、「家族と一体となって自らに対する捜査や公判請求、勾留等の各措置を非難・攻撃している」などと、夫や父を1日も早く家族のもとに取り戻したいという人間愛として当たり前の行動を保釈却下の理由としていることです。私たちの妻が身柄引受人になることも認めないというのでしょうか。到底許せません。
 私たちは、検察官のデッチ上げの「暴行」に対しては、現場で発生した全ての真実を対置して無実を明らかにする決意です。
 以上、私たちの無実と私たちを釈放すべきことを訴えて、私の陳述を終わります。

 2003年2月13日