意 見 陳 述

2003年3月3日
被告人 橘 日出夫
【国労南近畿地方本部奈良電車区分会】

 暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件について、私の意見は以下のとおりです。

はじめにー私は無実です

 私たちが5月27日の臨時大会当日にホテル前で行った国労本部派に対するビラまき・説得活動は、全く正当な組合活動です。ところが国家権力は、昨年10月7日と29日の2波にわたり、国労組合員および国鉄闘争支援者の計10名を「暴力行為等処罰に関する法律」違反で不当逮捕し、私を含む8名を不当起訴しました。
 しかし私たちは、起訴状で言われている「暴行」を加えた事実はまったくありません。
 私は無実です。私は、意見の冒頭、裁判官に対し、私たちに対する逮捕・起訴はまったくのデッチ上げであることを明確に述べておきます。私たちへの逮捕・起訴は、労働運動と労働組合運動への政治的治安弾圧そのものなのです。
 私は、裁判官に対し、8名全員が無実であり、本件公訴は直ちに棄却され全員釈放されるべきことを強く訴えます。

1 国鉄分割・民営化以降の不当配属との闘い

 私が5月27日に国労本部派にビラまき・説得活動に行った最も深い原点は、私自身の国労体験と国労組合員としての様々な体験の中にあります。ですから私は、まず裁判官に私の原点について述べたいと思います。
 私は、1974年11月1日に国鉄に入社し、大阪環状線の桃谷駅に運輸係として配属されました。
 国労の綱領は、その冒頭に次のように述べています。「われわれは、労働者階級の団結した力によって、生活と権利を守り、労働条件を改善するために闘う。これらの闘いを通じて、資本主義社会が労働者の搾取をつよめるものであることを認識し、われわれは、労働者階級の解放をめざして闘う」と。私はこの国労綱領に熱いものを感じ、1975年に国労桃谷駅班を結成し、それ以降今日まで28年間の国労人生を歩んできました。
 1976年に森ノ宮電車区に配属になり、構内で旗をふって電車の入れ換えの誘導をする誘導係を務めました。その後車両検修係になり、車両の検修の仕事をしました。
 1981年、国鉄分割・民営化攻撃がヤミ・カラキャンペーンとして開始され、既得権がことごとく奪い取られる状態の中で、国労は既得権を守り抜いて闘いました。
 1986年7月に、私は森ノ宮電車区検修職場から国労の活動家であるという理由で「人材活用センター」に配属されました。そこで私は、座席シートのほこりたたきやペンキ塗りなどの仕事をやらされました。人材活用センター設置に対して、私は10名近い仲間と共に裁判闘争を闘い抜きました。
 その後、森ノ宮電車区分会の執行部の大半が国労を脱退して鉄道産業労働組合に移行するという組織分裂を経験しましたが、労働者の権利を守る国労の原則をつらぬき、分会の旗を守り抜きました。1987年2月、私は、20数人になった分会員の圧倒的な支持によって森ノ宮電車区分会委員長に選ばれました。
 国労の旗の下に結集した組合員は、例外なく、「国労にいれば首になる」という激しい国労攻撃をはねのけ、「仲間を裏切らない」という信念に共感し人生の大きな決断をして結集してきた仲間です。分割・民営化の中で国労の旗に結集した全国4万の組合員は、一人一人の組合員の肩に、年老いた親、障害を持った子供や兄弟など、様々な困難を背負いながらも国労を労働者の味方と信じて団結したのです。
 こうした分割・民営化攻撃をぶち破った森ノ宮電車区の国労組合員に対して、その後当局は、その報復として、不当にも役員・活動家への配転を強行してきました。
 私は、1987年3月、JR西日本の不当配属職場である大阪第一事業所へ配転させられました。ここで、その後13年間におよぶ不当配属が強制されていくわけです。ここでの仕事はまさに国労組合員をみせしめにJRの本務の仲間から切り離し、そして管理するという人材活用センターの延長そのものでした。
まずそこでの数か月は、自学・自習の名のもとで、毎日毎日ただひたすら机に向かい時間が過ぎるのを待つというものでした。その後は、大阪駅構内でアクセサリーや北海道物産のワゴン販売、ソフトクリーム販売の仕事を与えられました。その後、グリーン職場へ配転されました。同事業所には、100人以上の労働者がいましたが、そのほとんどが国労組合員で、しかも大半が組合役員でした。このように私を含め国労組合員には、JRになってからもありとあらゆる形態の不当労働行為が加えられ続けました。
1988年9月、私はいわゆる「グリーン職場(花・観葉植物栽培)」に配属させられました。ここには約40人がいましたが、その3分の2は元組合役員で、3分の1は「病者」でした。そこも「人材活用センター」の延長のような職場でした。私は、グリーン職場尼崎オフィスに配属されました。労働者7人に管理者2人がつくという異常な労務管理のもと、高架下の荒地に「公園を造る、花をつくる」という名の下に、作業の大半は草むしりの仕事を強制されました。
 こうした不当な配転攻撃に対して原地原職復帰をかかげた地労委闘争を闘い、1989年12月に勝利命令を闘いとりました。しかし、JR西日本はこの救済命令を履行しませんでした。
 その後2000年3月、私たちの不当配属問題は中央労働委員会で和解し、私は同年4月、奈良電車区車両管理係への配転をかちとりました。しかし、この和解は必ずしも組合側の勝利ではなく、JR西日本の一方的な施策として強行されたものでした。
 私は2000年4月に奈良電車区検修職場に着任し、大阪府八尾市の自宅から2時間もかけて通勤するわけですが、その新職場で私を待ちかまえていたのは、極限的な合理化による労働と怒鳴り声で命令し労務支配を行う管理者の姿でした。
 私に対して、着任早々から電車区のトップの管理者を先頭に6、7人が取り囲み、国労バッジへの不当な言いがかりに始まり、人権を無視した数々の暴言での労務指示がなされました。私は、こうした職場状況の中で45歳で転職(トラバーユ)するに等しい困難をぶち破って、必死に仕事を覚え、努力してきました。
 車両検修の仕事は鉄道の安全に直接関わる重要な仕事です。しかし、今のJRの体制では、故障が不可避的に発生してしまうのです。車両の検修は、4両は3人、2両は3人、6両は8人でやります。これを1日465分で終了させます。この体制は国鉄時代と比べると、5分の2の人員、半分以下です。要員削減のため忙しく検修を行いながら、検査も同時にやれというとんでもない危険な体制になっていました。
 JR自身が、故障がおこってもかまわないという考え方なのです。乗客の安全などより利益をあげるのが、JR西日本の方針なのです。ところが、JR当局は、事故や故障が起きるとそれを個人の責任にしようとします。事故直後から職員を「部屋」に連れ込み、個人ミスにするために反省文を書かせ、JR西日本の増収運動(切符売りなどのサービス労働)に協力させようとしてきました。特に国労組合員に対しては、それを国労からの脱退工作にしていくというやり方でした。私たちは、国労の団結によって、このような安全無視の職場の改善をかちとるために日々闘っています。
 私は今日まで一度も国労バッジを胸からはずしたことはありません。国労の団結破壊攻撃に対して、団結を守り、団結を呼びかける闘いを一貫して闘い抜いてきました。
 分割・民営化攻撃から今日まで、私に対し、不当労働行為、差別選別の攻撃は後をたちません。厳重注意・訓告・ボーナスカットと処分のない年はありませんでした。
 そうした中、2001年6月、たび重なる国労バッジ着用に対する不当な攻撃に対し、私は大阪地労委への提訴を行いました。現在も係争中です。特に「四党合意」のお墨付きを得た当局の攻撃で苦闘する労働者にとって、私のバッジ闘争は職場に団結をつくりだす重要な闘いだと確信しています。
 以上のように分割・民営化との闘いは決して終ったのではなく、現在もまさに闘いの渦中にあります。この中で政府・自民党とJR資本に屈服して国労の自己解体を図ろうとする国労本部を、私は絶対に許しません。私自身の28年の国労人生をかけて国労を闘う国労へと再生させていく決意です。

2  国鉄分割・民営化攻撃と国労の団結

 本件は、国労という労働組合の組合員同士が国労全国大会の方針を巡って意見の対立があり起こった事件です。ですから私は、裁判官に、国労闘争団と国労組合員の団結が形成されてきた経過および国労運動と闘争団の関係について、述べたいと思います。
 1982年、当時の中曽根内閣は、「戦後政治の総決算」と称して、国鉄分割・民営化攻撃を開始しました。96年12月の『アエラ』に中曽根元首相は「総評を解体しようと思ってやったからね、国労が崩壊すれば総評も崩壊するということを意識してやったんです」と発言し、国鉄分割・民営化が国労つぶしと総評つぶしを目的に強行された国家的不当労働行為であったことを自己暴露しました。
 この国家的不当労働行為のすさまじさは、81年末から開始された新聞、テレビ、ラジオなど全マスコミを使った国労組合員への誹謗中傷にみちた大キャンペーンを見れば明らかです。それは、労働者の権利を「ヤミ・カラ」と叫び、あげくの果てには「国労組合員は働かない。怠け者だ」なるレッテルをはり、国鉄労働者としての誇りと名誉をずたずたに引き裂くものでした。
 カラスが鳴かない日はあっても国鉄問題がマスコミに登場しない日はないというぐらいに、このような大キャンペーンが分割・民営化まで続きました。また、そうしたキャンペーンを背景にして、当局による国労組合員への処分が乱発されました。そして86年には「人材活用センター」が設置され、本来業務から切り離された国労組合員に草むしり、ペンキ塗り、清掃などを強制してきたのです。労働者の誇りと尊厳をたたきつぶし、国労組合員は新会社へ行かせないとただただみせしめと隔離を目的にした攻撃を強行しました。
 この攻撃の中で、全国で20万人―実に2人に1人の仲間が退職を余儀なくされ、200人にも上る尊い生命が自殺に追いやられたのです。
 国家的不当労働行為とはかくも残酷な攻撃なのです。だが、このすさまじい攻撃をはねのけ、全国で4万人近い国労組合員が国労の旗を守り抜いたのです。中曽根内閣が標榜した国労解体ができなかったのです。だから、現在まで国労に対する不当労働行為は一貫して国家の総力をあげた攻撃として強行されてきたのです。
 こうした攻撃の中で、90年3月31日、清算事業団から2度目の解雇を言い渡された1047人は闘争団を結成し、国家的不当労働行為弾劾、解雇撤回・地元JR復帰を求めて闘いを開始し、現在に至るわけです。
 闘争団の仲間は、仲間の団結、家族の団結のみを武器に日々の生活の困難を乗りこえ、労働者の名誉の回復、尊厳を取り戻すため闘い抜いてきました。そして、87年から16年がたちました。今日までの日々がどれほど大変な苦労の連続であったかは裁判官も容易に想像できると思います。こうした闘争団の存在と闘いは、国労運動の中心に座り、国家的不当労働行為を弾劾し、労働者の闘いの結集軸として輝いています。
 私たちJRの中で国労の旗を守り闘っている組合員にとって、この闘争団の闘いからどれほど力と勇気をもらったかは計りしれません。闘争団は国労の宝であり、日本労働運動が生み出した精華です。闘争団支援の陣形は、連合や全労連の枠をこえて、1人の首切りも許さない労働組合の原則を生き生きと伝え広げ、労働組合の良心を守り抜いてきました。それは100万人支援陣形といわれています。また、分割・民営化型の不当労働行為とリストラが全社会をおおいつくそうとする中で、この大攻撃に立ちはだかる闘争団は、日本の労働運動の命運を左右する力をもった存在なのです。
 国労であるために「悪」とされ解雇される、そんなことが許されていいはずがありません。私も人間としての尊厳をかけ国労の旗を守ってきた一人です。自分に着せられた汚名は、どんなことがあっても返上しなければなりません。政府・JRに法的責任がある。そのことを認めさせる以外に私たちの闘いに終わりはありません。分割・民営化攻撃のすさまじさと、それを乗りこえてきた私たちと闘争団の団結は、こうした経過をとおしてつくられてきました。この団結を否定し、歪め、ズタズタにしようとするものこそ、「四党合意」です。「四党合意」を絶対に認めるわけにはいかないのです。

3 5・27臨時大会闘争への決起

 私が5月27日の臨時大会当日のホテル前での本件ビラまき・説得活動に参加したのは、当然のことですが直接的には5・27臨時大会の開催に反対していたからです。ですから私は、ここで5・27臨時全国大会について論じたいと思います。
 2002年4月26日、自民・公明・保守の与党3党は、3党声明を出していっそう露骨な国労への支配介入を行いました。与党3党は、国労に対し、「国労はJRに法的責任がないことを認めたとしながら、引き続き裁判でJRの法的責任を追及するという言行不一致が未だに解消しておらず、組織的にも四党合意賛成派が離脱する一方で、不採用関係者の約3分の1もの組合員が鉄建公団を相手取り新たな訴訟を提起するなど矛盾が拡大している」と2つの矛盾を指摘し、さらに「『四党合意の進展がないのは政府の責任』などと何ら根拠もなく与党、政府を非難して自らの責任を転嫁してILOへの申し立てを行っている」と批判してきました。そして、5月30日という期限を切って、「裁判の取り下げ」と「組織をまとめる」すなわち鉄建公団訴訟等の裁判の取り下げに応じない国労闘争団の除名とILO申し立ての取り下げを国労に迫ったのです。こんな露骨な支配介入、不当労働行為が許されていいはずがありません。
 ところが国労本部は、この明々白々な国家的不当労働行為に屈し、5月16日付で指令第11号を発し、5月27日に第69回臨時全国大会を開催することを決定したのです。
 そこで決定されようとしたことは、百パーセント政府の要求にこたえたものでした。つまり、@JRに法的責任がないことを再確認し、「最高裁での判断を公正に求める」との方針の撤回を確認する。A最高裁への第三者訴訟参加申立及び鉄建公団訴訟を行っている闘争団員を速やかに査問委員会に送致して処分を決め直近の全国大会で決定する。B国鉄改革法関連の訴訟については、臨時全国大会終了後、速やかに取り下げる。C2月15日に提出したILO追加情報の内容が与党及び関係者に誤解と大きな不信を招いたことにつきその撤回とILOに追加の情報を新たに提出する――というものでした。
 これが労働組合のやることでしょうか。その本来の使命を投げ捨てるものです。国家的不当労働行為を弾劾し苦楽をともにしてきた仲間を、政府のいいなりになって労働組合が切り捨てる、こんなことは絶対に認められません。絶対に許されないことです。これは私の国労人生を全否定する方針です。
 しかも、このような大変な方針を職場討議にも付さず、機動隊の暴力に全面的に依拠して大会を強行しようとすることなど絶対に認められません。だから、「この方針に反対しよう」「闘争団の切り捨てに反対しよう」と呼びかけることは、国労組合員としての当然の権利です。これは分割・民営化という国家的不当労働行為と人生をかけて闘い、国労の旗を守り通してきた組合員としての義務です。
 私は5月27日、臨時大会の日の朝、国労本部派組合員が泊まっているホテルに行き、ビラまき・説得活動を行いました。私は、「与党3党声明粉砕! 奴隷の道を拒否せよ」という大見出しをかかげた国労共闘全国協議会のビラをまきながら、ホテルから出てくる組合員に「闘争団を除名するな」と訴え、短時間でも私たちの主張を聞いてもらうつもりでした。
大会会場に行くバスが到着して間もなく、国労本部派は、ホテルから一団となって出てきました。その数は私たち国労組合員の約5倍、40人近くいたでしょうか。ホテルの玄関からの通路から公道である歩道に出るあたりにいた私には、「多いな」という強い印象を受けました。
 彼らは、ビラを受け取ろうとせず、私たちの訴えを聞くために立ち止まるそぶりすら見せませんでした。隊列を組むようにして集団の力をもって押してくる彼らに、私や仲間は脇に押しやられ、彼らの大半はバスに乗り込みました。
 私は、バスに乗り込んだ組合員などに向かって、「闘争団の除名を決める大会をやめろ」「闘う国労を守れ」「自民党の言いなりの本部は辞めろ」と訴えました。
 私たちのビラまき・説得活動は、労働組合の大会に際して自分たちの主張を訴えるという組合運動としてまったく正当な組合活動です。労働組合の意見の対立は、相手の意見と意見をかみ合わせることが原則です。国労本部派が「四党合意」問題について、終始、反対派の意見を無視している姿勢は、この原則から大きく逸脱したものであり、国労の徹底して討議を尽くす伝統に反するもので残念でなりません。
 いずれにしても私は、裁判官に、私たちが5・27臨時全国大会に反対して本件ビラまき・説得活動を行った意味と真意を正しく理解して欲しいと思います。

4 「四党合意」は国労および労働者の団結を破壊する攻撃である

 5・27臨時大会の根源は言うまでもなく「四党合意」です。ですから私は、裁判官に私たちが「四党合意」の本質をどのように認識し、かつ現実に闘ってきたかについて述べたいと思います。
(1)闘争団と家族の闘いに応えて決起した「四党合意」地労委闘争
 まず、私たち国労の仲間が「四党合意」と闘ってきた闘いである「四党合意」地労委闘争について述べます。
 私たちは、「四党合意」は不当労働行為であるとしてその撤回を求め、地労委に救済を申し立てました。今ここにいる被告たちでは、私と富田さん、東さんおよび原田さんの4名が大阪府地労委に救済を申し立てております。松崎さんと羽廣さんの2名が福岡県地労委に救済を申し立てております。
 地労委への申立の契機は、2000年7月1日の「四党合意」を受け入れようとした臨時大会における闘争団員およびその家族の怒り、悔しさ、やむにやまれぬ決起を目の当たりにしたことです。
 その時点ですでに闘争団員とその家族は、14年間、人間としての尊厳をかけ闘ってきました。彼らは、分割・民営化の国家的不当労働行為による解雇への怒りを何としてもぶつけたい、その責任を追及したいと、国労本部の指導の下、闘争団を結成し、自活体制を築き不屈に闘ってきたのです。
 にもかかわらず、その国労本部によって「国家的不当労働行為はなかった」「JRに法的責任なし」という方針を飲めと言われることは、闘争団とその家族にとって14年間の闘い、否、人生そのものを否定されるような仕打ちだったと思います。
 私は7月1日当日、闘争団員とともに大会会場の社会文化会館に入場しようとする国労本部役員を説得する行動に参加しました。彼らは卑劣にも会場正面玄関からの突破は困難とみるや、裏口から入ろうと試みました。そして、私たちの説得に耳を傾けるのではなく、何と機動隊を私たちに差し向け強行突破を図ったのです。私は闘争団員150名とともにスクラムを組み、盾をもった機動隊による強制排除と闘いました。その過程で、不当にも、東京地本の国労組合員1名が逮捕されるという暴挙がなされました。
 ようやく夕刻から開催された大会では、会場全体を反対意見が圧倒していました。大会の最後の場面で、音威子府闘争団家族の藤保(ふじやす)美年子さんが闘争団家族の代表として演壇に立って発言しました。
 藤保さんは、「子どもは差別という大人社会の偏見の中で、子どもなりに心傷ついてきました。14年たって社会人になっても今も父親がJRで働くことを夢見ているんです。息子の正しさを証明したいと精神的苦痛に耐えながら、署名を集めた親もいる。私たちに何の相談もなしに無責任に私たちの人生を勝手に決めないでください」「どんなに年がいこうとJRに戻るんです。私たちは解雇された時から時間は止まっているんです」と訴えました。彼女の発言は、人生をかけた闘争団員と家族の必死の思いを会場にいた一人ひとりの胸につきつけました。会場は水を打ったように静まりかえり、彼女の発言に聞き入りました。
「勝負は決まった。闘争団の勝利だ」と誰もが思いました。ところが、議長は審議を打ち切り宮坂書記長の意見集約に入り、「拍手で承認する」ことを提案するという暴挙に出たのです。反対意見を無視した宮坂書記長の意見集約が強行され多数・少数など判断できようもない「拍手」の採決によって、闘争団は組合から「解雇」されてしまう。闘争団も闘う組合員たちも怒りは頂点に達しました。大会防衛隊に突き落とされても、突き飛ばされても、必死で演壇に殺到する闘争団員、それを支える組合員。「拍手による解雇の承認」を阻止しようとした闘争団員とその家族・反対派組合員の闘いはまったく正義です。そして、その大会の休会の事態を招いた全ての責任は国労本部にあります。
 私は、この7月1日の闘争団とその家族の闘いを受けて、何としても連帯の闘いが必要だと考え、4名の国労組合員とともに、地域の労働組合や弁護士の支援を受けながら、8月24日、大阪府地労委に救済申立を行いました。休会となっていた臨時大会が続開されようとする直前でした。
 この労働委員会闘争は、闘争団員への連帯であるとともに、私自身が国労組合員として闘う国労を再生させるための闘いでもありました。
(2)「四党合意」の狙いと私たちの地労委闘争の意義
 次に、私たちが地労委闘争を通じて深く認識するようになった「四党合意」の本質について述べます。裁判官に理解してもらえるように「四党合意」の本質を4点に整理して述べます。
 第1点。「四党合意」は、国労と労働者に対する凶暴な攻撃です。政権政党の3与党が、労働組合に介入し、その組合大会の開催とそこで「四党合意」承認を決定せよと迫るものです。つまり、「四党合意」は国家による労働組合への支配介入であり、国鉄分割・民営化に続く国家的不当労働行為の再来なのです。その攻撃内容も「JRに法的責任なし」を機関決定せよというものであり、分割・民営化という国家的不当労働行為と全面的に争い闘ってきた国労に全面降伏を迫る攻撃なのです。
 第2点。「四党合意」の核心は、「JRに法的責任なし」を国労に認めさせることです。と言うことは、国労自体が分割・民営化での解雇は不当労働行為ではなかったと認めることを意味します。「解雇は正しかった」のだから、解雇撤回闘争はもうやめますと宣言するわけです。「四党合意」の結論は、闘争団の全面的な切り捨てです。
 第3点。国労は、分割・民営化に反対するために、全国の地方労働委員会に採用差別をはじめ不当配属、賃金・昇級差別、国労バッジ不当処分等の救済を申し立てました。この闘いを通じて、国労は一つの労働組合として二百数十本の救済命令をかちとるという労働委員会闘争史上前例のない成果をかちとりました。しかし、JR各社は不当にも初審命令履行義務を果たさず、無視し続けています。
 したがって、このような状況の中で、もし国労が「四党合意」にそって「JRに法的責任なし」を認めてしまえば、それはこれまでの全ての救済命令を放棄することであり、国労自ら労働委員会制度を解体するものです。国労が階級的な犯罪に加担するものです。ですから、一人国労だけの問題ではなく、全日本の労働者と労働組合の問題なのです。
 第4点。「四党合意」は国家による労働者への解雇攻撃の全面化の攻撃です。国鉄分割・民営化は国鉄改革法による「いったん全員解雇・再雇用方式」による10万人首切り、国家による解雇攻撃でした。大不況時代の今日、「民事再生法」「産業再生法」等、国家による首切りの奨励、首切り攻撃が開始されています。郵政公社化=民営化攻撃もあります。この国家の解雇攻撃に反対して、16年間も闘ってきた国労闘争団を、国家が再び「血祭り」にあげてなきものにしようとする攻撃が「四党合意」なのです。つまり「四党合意」は、国家による解雇攻撃と闘っても絶対に勝てないということを見せしめ的に全労働者に示そうとする悪辣な攻撃なのです。
 このような再度の国家的不当労働行為による国労の解体・絶滅一掃の「四党合意」を阻止し、国鉄分割・民営化以来の国家的不当労働行為を全面的に明らかにし、それを先頭で推進した中曽根元首相、自民党・甘利氏らの責任を追及するものとして、私達は「四党合意」を不当労働行為として提訴する決断をしたのです。それは、四党合意による労働委員会制度の破壊への強い危機感から、全国金属機械・港合同や関西合同労組、ス労自主などの民間労組の全面的な支援を受けたものでもありました。
(3)闘う国労の再生と「四党合意」反対闘争の意義
 最後に、「四党合意」と闘う国労の再生という課題について述べます。労働者にとって「四党合意」はもちろん絶対に認められません。ところが現在の国労本部は「四党合意」攻撃に屈服してきました。しかし、逆説的に言えば、「四党合意」を粉砕する闘いとその勝利こそが国労の再生の道なのです。その闘いの勝利の鍵は、国労闘争団の闘いの持続と発展です。最高裁訴訟参加や鉄建公団訴訟提訴に決起した闘う闘争団の闘いは、まさに国労再生の可能性を確実に持った闘いのなのです。
 だからこそ、私たちは、国労本部の3党声明に屈して、闘う闘争団とこれに連帯する国労組合員を除名処分にしようとした5・27臨時大会の開催に絶対反対したのです。

5 「四党合意」の破産と本件弾圧の不当性について

 私たちが行った5月27日の国労本部派に対するビラまき・説得活動の正当性は、「四党合意」の破産によって証明されています。ですから私は、「四党合意」が破産した経過と意味について思います。
 5・27臨時大会の強行とそれ以降の数々の国家的不当労働行為にもかかわらず、闘う闘争団および「四党合意」反対派は、ねばり強く闘い続けました。「四党合意」の破産をつくりだしました。この意義は重要です。この間の経過を追ってみます。
 まず政府・自民党は、5・27臨時大会以降も、一層露骨な国労への支配介入を続けていました。その最も明白な表れが4党協議の座長である甘利明自民党副幹事長の言動です。甘利4党協議座長は、5月27日に「残された課題について次期定期大会までに解決されることを期待する」と発言し、さらに7月11日には国労本部幹部に対して「3分の1の反対者がいては合意はない。しかも反対者が組織に残っていることはあり得ない。はずれてほしい」と発言するなどの突出した言動を繰り返して国労攻撃を強めていました。
 他方、国労本部は、こうした中でさらに屈服し、7月10日には国労中央執行委員会で闘争団を査問委員会に送致することを決めました。また国労は、闘う闘争団に対しては、悪辣にも除名の圧力をかけながら鉄建公団訴訟の取り下げを強制しようとしました。そして9月中旬の執行委員会で、11月24、25日の定期大会を決定し、甘利座長に約束させられた「闘争団の除名と裁判の取り下げ」を無理矢理強行しようとしたのです。当時の新聞は、11月定期大会が裁判取り下げ、闘争団除名を迫る大会だと大々的に報道していました。
 しかし、闘う闘争団と支援は、この大反動に一歩もひかず対決し、査問委員会での処分をいったん阻止したばかりか、9月26日の鉄建公団訴訟の第一回口頭弁論を闘い抜きました。
 しかも、今回不当逮捕された私たち国労組合員が、国家権力の総力をあげた刑事弾圧を根底的にはね返したのです。全体の状況の中で見たとき、実は私たちが刑事弾圧に打ち勝ったことの意義は計り知れないほど大きいのです。今回の5・27臨大闘争弾圧で逮捕された私たちは、「四党合意」を不当労働行為として訴えた労働委員会闘争の申立人であり、その支援者です。「四党合意」の撤回をめざす労働委員会闘争は、不当労働行為の張本人である自民党・甘利氏を証人喚問するところまで追いつめていました。「四党合意」地労委闘争をつぶせなかった時点で、「四党合意」シフトの根底に亀裂が走ったのです。
 このように闘う闘争団および「四党合意」に反対する国労組合員、国鉄闘争支援勢力の総力で「四党合意」の破産をかちとったのです。
 この闘いはさらに勢いを増して、ついに国労闘争団・動労千葉争議団・全動労争議団が歴史的に合流し、1047人闘争が真の勝利に向けたスタートラインを築きあげる地平をつくりだしたのです。分割・民営化以来の全反動をうち破って国鉄闘争の新たな発展が開始されたのです。
 今後の闘争団を機軸とした国鉄闘争の一つ一つの積み重ねは、ますます5月27日の本件ビラまき・説得活動の正当性を明らかにするであろう、と私は確信します。

6 結語ー私は必ず無罪判決を勝ち取ります

 今回の10・7の第一次逮捕、10・29の第二次逮捕という私たちへのデッチあげ不当弾圧は、分割・民営化と「四党合意」の破産を突きつけられた政府・国家権力の焦りに満ちた大弾圧でした。
 今回の国家権力の弾圧は、国労本部派に国家権力が肩入れして反対派を弾圧するという労働組合活動に対する許しがたい介入であり、憲法や労組法に反する違法な弾圧と言わなければなりません。
 今回の私たちに対する大弾圧は、核心において政府が推し進めている有事立法攻撃と一体の攻撃です。米帝のイラク侵略戦争の切迫と日帝のそれへの参戦という事態の中で、一切を侵略戦争体制の構築にむけ、一方で国内の反戦平和の闘いへの弾圧、他方での労働運動の根絶・一掃が狙われているのは明白です。
 私は無実です。私の闘いは正義です。私は必ず国労5・27臨時大会闘争弾圧を粉砕し、「1047名の解雇撤回・地元JR復帰」をかかげた国鉄闘争の勝利と闘う国労の再生をかちとります。

                             2003年3月3日