意 見 陳 述
被告人 向山 和光
国鉄闘争支援者
暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件について、私の意見は以下のとおりです。
これまでの7人の国労組合員の被告の意見陳述で国労5・27臨時大会闘争弾圧の不当性が明らかになり、われわれの無実・無罪は明白となりました。彼らの「仲間を裏切らない」「闘争団は自分の人生そのものだ」「われわれは無実である」という心からの訴えは本当に感動的であり、労働者階級の魂の叫びを聞く思いでした。改めて、弾圧の張本人である国家権力と国労本部派への怒りが湧きあがりました。私自身、彼らと共にこの裁判に勝利する決意を固めています。
1 私は無実です
検察官は、全く不当にも私たち8名を暴力行為等処罰に関する法律違反で起訴しています。しかし私も他の7名も、国労本部派組合員に対して暴行を加えた事実は全くありません。また検察官はありもしない暴行の共謀をデッチ上げようとしていますが、このような共謀の事実も全くありません。私は、百パーセント無実であり、無罪です。
私は、長年にわたり国鉄労働運動を支援してきました。また私は、国鉄分割・民営化攻撃以降は、国労つぶしに反対し、1047名解雇撤回闘争の先頭に立つ国労闘争団の闘争を支援してきました。2000年初めに4党合意攻撃が開始されてからは、私は、当然、分割・民営化の総仕上げを狙う4党合意攻撃に強く反対してきました。
以上に述べた考えに立って、私は、昨年5月27日も、4党合意反対派の国労組合員が行う本部派へのビラまき・説得活動を支持し、彼らの説得活動への支援行動として神田のホテル前に行きました。
5月27日午前7時ころからホテル前で、4党合意反対派の国労組合員が整然とビラまき・説得活動を始めました。私たち支援は、国労組合員のビラまき・説得活動に支障がないように国労組合員から少し離れたところに位置して見守っていました。
ところがホテルから道路に出てきた本部派組合員たちは、ビラや説得を全く受け付けないという態度でした。しかも本部派の先頭で出てきた人たちは、まとまって隊列を組んだような格好でぶつかってきました。
私は少し離れて見ていたので事態をよく観察できましたが、明らかに本部派は、あらかじめ力ずくで押し切ってしまうことを決めていたような対応でホテルから道路の方に出てきました。そして、4党合意反対派の国労組合員が必死にビラを渡そうとしたり、説得のために訴えようとしているのに、本部派の組合員たちは体をぶつけるなどして4党合意反対派組合員を押しのけて、間もなく大半がバスに乗り込みました。
このとき、4党合意反対派の組合員が、「闘争団の切り捨てをやめろ」「統制処分反対」「自民党に言われた通りの組合大会は許さないぞ」「警察機動隊導入は許さないぞ、機動隊大会反対」などと声を出して国労本部派の人たちに訴えました。
しかし、本部派組合員に対して暴力を加えた事実は全くありませんでした。暴力行為なるものは警察・検察の完全なデッチ上げです。しかも治安維持法と一体の悪名高い労働運動弾圧法の「暴力行為等処罰法」をもち出して弾圧してくるとは! まったく許せません。
私は、渾身の怒りを込めて、私たち8名に対する不当な刑事弾圧を弾劾し、被告全員の無罪を勝ち取るまで徹底的に闘う決意です。
2 私の信念―戦争反対の闘いと国鉄労働運動支援の闘いは一体の闘い
私は、学生時代から自分の信念と行動原理を戦争反対において生きてきました。帝国主義こそが侵略戦争を絶えず引き起こし、さらに帝国主義同士の戦争をも引き起こす原因です。私は、この認識に立って、労働者階級が主人公になる社会の実現をめざして38年闘いぬいてきました。
私は戦後生まれですが、出生地は中国です。私の両親が「満蒙開拓団」で中国に行ったため、私は1946年3月、中国東北部の吉林省の敦化というところで生まれました。言うまでもありませんが、開拓団は中国侵略のために日本が国策として推し進めていたものです。残虐の限りを尽くしてきた日本の侵略戦争は、その結末として敗戦時、多くの開拓団を戦乱の渦にたたき込みました。
こうした状況の中で私の両親の場合も敗戦後も中国に留まり、私が生まれた後に日本に引き揚げてきました。両親は開拓団のことや引き揚げ時のことについて多くを語らずに亡くなりました。しかし断片的に聞かされた話によれば、ひと頃有名になったNHKドラマ「大地の子」(原作・山崎豊子)の中の満州開拓団の引き揚げ状況とそっくりであったようです。
幼かった私にとって日本の侵略が終わった直後の中国の状況の記憶はありません。しかし、私自身が戦争と深く関わって生を得たというまぎれもない事実、また乳飲み子であった私が奇跡的に生き延びて日本に戻ったという事実は、私の生き方の原点となり、私の人生に深い影響を与えました。
私は、中学、高校から大学へと成長する中で戦争の歴史を学び、特に日本帝国主義が絶えずアジアに侵略戦争を行ってきたことも学ぶようになりました。こうした中で私にとって日本の侵略と侵略戦争の事実は、私自身の生い立ちとも重なり合い、私の胸に深く刻み込まれ、その後の私の人生選択を決したと言えます。
私は、このような侵略と侵略戦争を絶対に許してはならないという信念から、労働者階級の運動の基軸をなす労働運動の決定的重要性を認識してきました。そして現実の労働組合運動への積極的な支援活動を行ってきました。
国鉄との関連では、私は、1970年代から、現在の動労千葉に所属する国鉄労働者の闘いを一貫して支援してきました。特に動労千葉が1979年3月に動労本部から分離・独立して以降は、動労千葉の推し進める労働組合運動を前進させることが戦争を本当に阻止する階級的な労働運動を確立していくことにつながると考えて全力で支援活動を行ってきました。
さらに1980年代初めから国鉄分割・民営化攻撃が始まりました。この国鉄分割・民営化で、最も集中的に組合破壊攻撃を受けてきたのが総評の中心労組であった国鉄労働組合つまり国労でした。ですから、同時に私は仲間と共に、国労の闘いを支援してきました。
実際、国鉄分割・民営化は、20万人もの国鉄労働者の首を切るという大合理化攻撃であり、労働者の権利を守り、労働組合としての闘う姿勢を捨てないというだけで選別的に首を切るという不当労働行為を強行し、総評の中軸である国労を解体しようとする攻撃でした。全産業において、分割・民営化攻撃を突破口に、首切り等の不当労働行為が乱発され、大失業と労組解体の攻撃が吹き荒れています。労働者が生活することすら困難にする大攻撃がまかり通ろうとしています。
この国鉄分割・民営化攻撃に屈せず、現在の大失業攻撃の前に敢然と立ちはだかっているのが国労闘争団を先頭とする1047名闘争だと思います。動労千葉や全動労の争議団も国労闘争団と連帯して闘っています。
私は、国労闘争団を基軸とした国鉄労働者の闘いこそ、労働者の団結の砦であり、そこに労働運動の未来があると確信しています。だから私は、どんなことがあっても闘争団と闘う国労組合員を守らなければならないと固く決意して闘ってきました。こうして私は、動労千葉の闘いとともに国労闘争団の闘いを一貫して支援してきました。
2000年5月の4党合意は、国労に解雇撤回闘争をやめさせ、政府・自民党・JR資本に全面的に屈服することを強いるものでした。まさに4党合意は、国家的不当労働行為である国鉄分割・民営化攻撃の総仕上げに他なりません。
ところが国労本部は、この4党合意を受け入れました。その意味は、国労本部は1047名解雇撤回闘争を裏切り、その闘いの旗を遂に投げ捨てたということです。4党合意を受け入れることは、分割・民営化という国労つぶしに耐えて生き残った国労を、国労自らが解体することを意味します。絶対に許せません。
国労本部執行部が大会決定で4党合意を受け入れようとしたのに対し、闘争団を先頭に闘う国労組合員が渾身の力で反撃し、4党合意の承認を食い止めようとしたのは余りにも当然のことでした。国労闘争団を先頭とする国労組合員の4党合意反対の闘いの正義性はあまりにも明らかであります。
4党合意に反対する闘争団の本部への怒りは、まず2000年7月1日の国労第66回臨時大会で爆発しました。
私は、7・1臨時大会のとき、大会会場となった社会文化会館の前に朝から行き、国労の闘争団員や組合員、支援の人びととともに4党合意反対の闘いに参加しました。この臨時大会で、本部執行部が大会決定を強行しようとした時、闘う闘争団員・組合員は演壇に駆け上り、4党合意の承認を阻みました。私は、他の支援の仲間と共に会場の外に待っていて、会場内での闘う闘争団の決起を知りましたが、本部の不正義のたくらみが打ち破られたことに深く感動しました。7月1日の臨時大会で国労本部が行おうとした4党合意承認策動は、大会会場の内と外での代議員、闘争団、国労組合員の必死の説得活動と支援の力が相まって、阻止することができたことを実感しました。
また、その後7・1臨時大会のドキュメントビデオを見て、闘争団家族の藤保(ふじやす)さんの「私たちの人生を勝手に決めないで下さい」という毅然とした発言にものすごい感動を覚えました。本当に闘争団の闘いは人間の尊厳を奪い返す闘いなんだと心をうたれました。
私は、その後もその年の8月、10月、さらに2001年の1月、10月と4党合意をめぐって国労大会が開かれるたびに、大会会場に駆けつけ、「4党合意反対、闘う国労の再生」を掲げる4党合意反対派の組合員の立場を支持して、積極的に支援活動を行ってきました。
私は、2002年5月に国労本部が「与党3党声明」に唯々諾々と従って、本件当日の臨時大会で、闘争団に対する統制処分を決めようとしたことは絶対に許せませんでした。
国鉄闘争の宝である闘争団をこともあろうに国労本部が除名処分にしようとしているのです。組合員を守るべき本部が国家権力や資本と一緒になって組合員を切り捨てようとするとは。これを許したら労働運動は崩壊する、権力・資本の思うつぼだと思いました。
数多くの歴史が証明しているように、労働組合が弾圧され、労働者の団結権が奪われたとき、戦争が始まるのです。私にとって反戦は人生そのものです。帝国主義による戦争を文字どおり生命がけで阻止する決意をもって生きてきました。その意味からも5・27臨時大会での闘争団への除名処分は絶対に許せないという思いで当日、ホテル前に駆けつけたのです。
この日、私のほかにも多くの支援の仲間が駆けつけました。国労の闘いを支援するようになったきっかけや支援してきた年月は、みんなそれぞれ異なるでしょうが、この5・27臨時大会のもつ重要な意味を自分の問題としてつかんで反対するという思いと、反対派の組合員の闘いを全力で支援しようという気持ちは同じだったと思います。
3 5月27日のホテル前での支援行動について
私は、当日、ホテル前に向かうまでは、本部派といえども国労組合員であり、労働者階級の一員である限り、何が正しく何が間違っているのかを絶対にわかってもらわねばならないし、理を尽くせばわかってくれるはずだと考えていました。
私と仲間の支援は、国鉄闘争を闘ってきた者として、国労本部派が開こうとしている臨時大会の方針案に反対していることを示す為に、また4党合意反対派の国労組合員が本部派に国労共闘のビラを撒いて抗議の意思を示し説得活動を行うのを支持し、さらに警察権力の介入を監視し不当な弾圧から彼らを守る為に、ホテル前での支援行動を行いました。
当日の朝、4党合意反対派の国労組合員は、ホテル前の路上で本部派組合員が出てくるのを待っていました。私と仲間の支援者は4党合意反対派組合員から離れて彼らの後ろに立っていました。
国労本部派の組合員は、初めホテルから何人かが出てきましたが、そそくさとホテルに引き揚げ、しばらくしてから一団となって出てきました。4党合意反対派の組合員は、「闘争団員の除名反対」などと声を出しながら、ビラを渡そうとしました。
しかし本部派組合員は、ほとんどがビラを受け取らず、話も聞こうとせず、ビラを渡そうとしていた組合員を体で突き飛ばすようにしてバスに乗り込んで行きました。
一団となって出てきた本部派組合員の数は、8名しかいない4党合意反対派組合員よりも、はるかに多い人数でした。本部派の方が4倍から5倍くらいの多数で、多勢に無勢という状態で、4党合意反対派はあっと言う間もなく押しのけられてしまい、本部派組合員のかなりの人がバスに乗り込みました。
4党合意反対派の国労組合員は、「機動隊の導入反対」「闘争団の切り捨てをやめろ」「国労の名を汚すな」「統制処分反対」などと大声で訴えていました。足を止めようともしない本部派組合員に対し、私や支援の仲間は口々に「闘争団の声を聞け」などと叫びましたが、まったく無視されました。
その後しばらくして、だれかが110番通報したのでしょうか、最寄りの交番の制服警官が自転車でホテルの前に来て、さらに少したってから神田警察署の関警備課長と何人かの署員がかけつけました。そして、それよりかなり遅れて警視庁公安部の公安刑事数人が到着し、遠くの方から写真を撮ったり、メモをとったりしていました。
私や何人かの支援の仲間が、制服警官や関警備課長に対して、「これは労働組合内部の問題だから、警察は介入するな」と何度も繰り返し言い、権力の介入と弾圧に対し、警告を繰り返しました。
当日の現場で、本部派も駆けつけた警察官に対して暴行されたなどと訴える者もいませんでしたし、警察官の方でも4党合意反対派の組合員の行為に違法なものを認めたような素振りも全く見せませんでした。4ヶ月以上経ってから何もやっていない私たちを突然逮捕したわけですが、警察の情報操作に踊らされた逮捕時の新聞報道は、「中核派活動家が国労に集団で暴力行為をはたらいた」などと、労働組合が外部の政治勢力から攻撃されたかのような報道をしていました。そもそも今回の出来事は、4党合意推進派である本部派に対して4党合意反対派が大会の方針案に反対してビラ撒き・説得活動を行ったという国鉄労働組合の内部の出来事であり、まさに自主性と独立性が重んじられるべき労働組合自治の中で解決されるべき出来事です。この実態を押し隠して警察がマスコミを使ってデマキャンペーンを行っている事は断じて許せません。
このようなデマキャンペーンが行われている事実を前にして、私は、改めて裁判官に対して、支援のあり方について考えていることを述べておきたいと思います。
まず支援にも、その支援としての立場を踏まえながら、例えば労働運動の課題を主体的、自主的に自己の課題として捉えて発言し行動する権利と責任がある考えます。特に労働運動の主体である労働者は、労働力を商品として販売する以外に本質的に所有するものがない無産者階級です。ですから労働者同士は本質的に普遍性を持っていますし、また一部の労働者に対する攻撃は他の全ての労働者に対する攻撃でもあります。また労働者は、これらのことを本来的にも経験的にもよく認識しています。
今回問題となっていることで言えば、何よりもまず国鉄闘争=1047名解雇撤回闘争をめぐる4党合意と与党3党声明、さらに組合員資格の剥奪まで大会決定されようとしていた5・27臨時大会をめぐる問題を、支援者はまさに自分の問題としてとらえて、それに反対する意見と立場から支援に立ち上がったのです。
4党合意をめぐる問題は、自民党をはじめ与党3党や社民党がかかわっていることを見ても、単純に国労組合員だけの問題ではありません。そもそも国鉄分割・民営化そのものが当時の中曽根首相の「戦後政治の総決算」攻撃の中心であり、今日にいたる政治反動と労働者・労働組合への一大攻撃の出発点をなす大攻撃でした。国鉄・JRの労働者だけではなく、すべての労働者にとって重大な利害のかかった切実な問題であることは明らかです。私自身も、4党合意攻撃を絶対に許せないと思い、これに反対する意志表示や行動に立ち上がってきました。
したがって私は、2000年に4党合意が出てきてから逮捕されるまで、国労大会の度に4党合意に反対する立場から支援行動に参加してきました。
もちろん支援者は、その支援行動において、当事者である国労組合員の指示に従うことは当然であります。ですから大会会場である社会文化会館前では、私たち支援者はいつも闘争団や国労組合員の隊列とは別にまとまり、集会主催者の指示に従って行動していました。このように労働組合運動の場合の支援者の闘い方は、具体的な状況に応じながらも、あくまでも当該労働組合の自治を尊重し、労働組合の自主性と独立性を最大限尊重する運動形態を選びながら闘っているのです。
実際、4党合意反対派組合員の自主的、主体的決起と、その闘いを尊重しつつ支援の側も自分たちの闘いとして積極的に闘い抜くという闘い方は、大きな力を発揮してきました。例えば、闘う国労闘争団と支援の力が結び合って一つの大きな力となった闘いとして、2000年の7・1臨大や、それに続く8・26続開大会などで、本部派が3分の2以上の賛成代議員をもって4党合意を強行しようのですが、これを阻んだ要因は労働組合と支援の力の結合にあったといっても過言ではありません。
今回5月27日のホテル前で、4党合意反対派の国労組合員が行ったビラ撒き・説得活動の場合も、私と支援の仲間の行動は、当然、当該国労組合員が行うビラ撒き・説得活動を支援として支える範囲内での行動に終始することを考えていましたし、現にその様に行動しました。ただ、その上で今回の場合、社会文化会館前が機動隊によって封鎖されているという警察権力との緊張がありましたから、本部派に訴える唯一の機会の場としての宿舎前でのビラまき・説得活動が十分に行えるように、警察権力の不当な介入と弾圧から闘う国労組合員を守ることも支援活動の内容として考えていました。
以上のようにして行われた5月27日の私や仲間の支援行動は、4党合意反対派の国労組合員の指示と承認を受けて行われたものであり、全く正当かつ正義の闘いであったと確信しています。
4 国労本部派の裏切りと売り渡しを弾劾する
国労本部は、5・27臨大当日、ビラまき・説得活動を行った4党合意反対派の国労組合員を警察に売り渡すためにビデオテープを提出し、「被害届」を出したといわれています。労働組合幹部が同じ組合員を警察に売る、まさに警察労働運動と呼ぶほかない前代未聞の事態です。
今回の正当な組合活動に対する弾圧は、警察権力のでっち上げに国労本部が加担し、国労本部が、同じ組合の組合員を警察に売り渡すという、労働組合としてあるまじき行為によって成立したのです。4党合意を受け入れて、闘争団を切り捨てようとする国労本部は、今回の売り渡し行為によって、もはや一線を越えて、権力・資本の側に移行してしまったと言わねばなりません。
国労本部は、JR資本との闘いを放棄し、「政治解決」の名の下に「解雇撤回・JR復帰」の要求を投げ捨てていったのです。事実、国労は、4党合意のもとで春闘一つまともに闘えていません。資本と闘えない労働組合がまともに「解雇撤回」闘争ができるわけがないのです。4党合意とは「政治解決路線」の行き着いた先でした。それは、労働運動の原則を投げ捨てた奴隷の屈服です。
警察への組合員の売り渡しの暴挙は、その極限的な転落の姿なのです。
5 「暴力行為等処罰法」による国労弾圧は戦争前夜の重大な治安 弾圧です
4党合意反対派の国労組合員の当然のビラまき・説得活動を「暴力行為」としてでっち上げ、「暴力行為等処罰に関する法律」を適用したことは、政府・権力が、国鉄闘争を治安問題として扱っているということです。
「暴力行為等処罰法」は戦前、治安維持法と一体となって労働争議、小作争議、水平運動(部落解放運動)の弾圧に猛威をふるった治安弾圧法です。
今回の弾圧は、4党合意が反対派によって破綻に追い込まれたことに対する大反動です。2000年5月の4党合意、2002年4月の「与党3党声明」にたいして、同年4月、国労闘争団、全動労争議団、動労千葉争議団を軸に、「1047名の不当解雇撤回、国鉄闘争に勝利する共闘会議」が結成され、4党合意による闘争団の切り捨てを絶対に許さないという闘いは、大きな広がりを生み出しています。そして、この闘いは、国鉄闘争の再生、労働運動そのものの再生の大きな流れをつくりだすものであると共に、イラク侵略戦争が始まろうとしている今、イラク反戦闘争・有事立法阻止闘争と結合し、戦争反対の大きな力をつくりだすものです。
このような運動の高揚の中で、4党合意は2002年前半には事実上崩壊していました。すなわち、政府・自民党は、もはや4党合意攻撃では国鉄闘争の前進を押しとどめられなくなったのです。だから国家権力は、これまでの一線をこえ、あえて団結の自治を犯し、国労5・27臨大闘争弾圧に踏み切ってきたのです。
今回の国労弾圧が,4党合意が粉砕されたことに対する報復的な攻撃であり、また国鉄闘争つぶしの新たな政治弾圧であり、また同時に戦争前夜の重大な攻撃であることは明らかです。絶対に許せません。
6 私は労働者の団結権破壊=戦争への道と闘い、絶対に無罪を勝 ち取ります
今回の弾圧は、戦争と大失業攻撃の鋭い現れであり、それに反撃する闘いを押しつぶそうする絶対に許せない政治弾圧です。
今、アメリカ帝国主義は、25万の兵力と核兵器である劣化ウラン弾などのあらゆる殺戮兵器を総動員してイラクへの侵略戦争に全面的に踏み切ろうとしています。日本帝国主義もイージス艦派兵をもって参戦へと決断をもった踏み切りを行いました。今国会で北朝鮮・中国侵略戦争法である有事立法や個人情報保護法案の成立を強行しようとしています。
アメリカ経済のバブル崩壊によって世界経済は、1929年型の世界恐慌過程に突入しています。帝国主義は、どの帝国主義も労働者人民を食わせることができなくなっているのです。まさに全世界を失業と貧困、飢餓、そして戦争の暗雲が覆っています。この危機を乗り切るために、アメリカ帝国主義をはじめ世界の帝国主義諸国は戦争にのめりこんでいるのです。
これに対して全世界で労働者の生きんがための決起がまき起こっています。イラク反戦闘争の全世界的高揚はその現れです。今年2月には世界75カ国、600都市で1500万人を超える史上最大の反戦デモが行われました。特徴的なことは、どのデモにも戦争反対のスローガンとともに、雇用・賃金、住宅、福祉などについての労働者の切実な要求が掲げられていることです。
小泉政権は、一方で、イラク侵略戦争への参戦の決断と有事立法の制定をたくらみ、他方で、労働運動・労働組合を解体し、労働者の権利を剥奪する攻撃に踏み出しています。労働運動の治安問題化は、資本攻勢を激化させているブルジョアジーからも求められています。昨年12月に出された日本経団連の「経営労働政策委員会報告」には、労働組合を解体し、戦前の産業報国会のようなものにつくりかえることが露骨に叫ばれています。
国鉄闘争は、分割・民営化の強行、総評解散−連合化にもかかわらず、またそれ以降の国鉄闘争つぶしのさまざまな攻撃にもかかわらず不屈に前進してきました。小泉政権は、イラク侵略戦争参戦、北朝鮮への侵略戦争をみすえた有事体制づくりを強行するためにも、またすさまじい経済危機を乗り切るためにも、労働者階級の闘いの軸になっている国鉄闘争の発展をこれ以上許せなくなったのです。特に、4党合意をうち砕いて前進する国鉄闘争に恐怖を感じているのです。
だからこそ「暴力行為等処罰法」なる治安弾圧法を使って、4党合意にもっとも鋭く対決し反対している闘う国労組合員や支援を、5月27日から4か月もたってから逮捕・起訴してきたのです。それは、1047名闘争の発展を分断し、労働者階級の国鉄闘争への決起、反戦の闘いへの決起を押しとどめるためです。
私は無実です。5・27臨大闘争への弾圧はまったく許せない政治弾圧です。私が裁かれるいかなる理由もありません。裁かれるべきは、弾圧の張本人である国家権力と国労本部です。このことをはっきりと宣言します。
今回、私は、闘争団2名、国労組合員5名と共に本裁判を闘うことになりました。国鉄分割・民営化以降16年間、分割・民営化に反対し、闘争団として、国労組合員として、階級的労働運動の再生のために、職場闘争、地域闘争、そして反戦闘争の先頭に立ってきた7名の闘士とともに国鉄闘争勝利のための闘いをできることを心から光栄に感じています。
私は、この許し難い政治弾圧に絶対に屈しません。弁護団、家族、闘う国労組合員、「許さない会」をはじめとする支援のみなさんと固く連帯し、必ずや粉砕・勝利する決意です。全員無罪を勝ち取るまで闘います。
2003年3月3日