意 見 陳 述
被告人 松崎 博己
【国労九州エリア本部小倉地区闘争団】
私たちに対する暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件について、私の意見を述べます。
1、私たちは無実であり、権力の不当弾圧を弾劾します
意見陳述のはじめに、私は裁判官にはっきりと言います。私は無実です。また他の7名の被告も無実です。
私たち国労組合員は、5月27日朝、国労本部派の人たちが宿泊している神田にあるホテルに行きました。私たちは、5月27日当日、そのホテルの前で国労本部派の人たちに対しビラまき・説得活動を行いました。しかし、私たちは、「暴力行為等処罰に関する法律」違反として問われるような行為は一切していません。私たちが、検察官のいう「暴行」を国労本部派の人たちに加えた事実はまったくありません。私と他の7名の被告たちが5月27日に行ったビラまき説得活動は全く正当な組合活動です。
最初にまず私の国労組合員としての立場を述べておきます。
私は、政府が国鉄労働組合(国労)という組合を叩きつぶすために行った国鉄分割・民営化攻撃の下で、16年前、文字通り国労組合員であるというだけの理由で首を切られた国鉄労働者です。
私は、1968年、国鉄に入社しました。以来30年近く、自分の配属された職場が合理化攻撃を受けて次々とつぶされていく中で、私は職場を転々と変わりながらも必死に働いてきました。
私は、労働者の権利を守るためにもっとも闘っている労働組合として国労を信頼し、入社したとき国労に入りました。その後一貫して国労組合員として闘ってきました。国鉄分割・民営化に際しては、国労の組合方針である「国鉄分割・民営化反対」こそが正しい方針であると考えて国労の闘争方針の下で闘ってきました。
国鉄分割・民営化の中で、その分割民営化に反対している国労組合員であるということが首切りの理由となることなど絶対に認めることができません。どの組合に所属しているかで新会社による採用・不採用が決まってしまう。これほど明白な不当労働行為があるでしょうか。誰にも明らかな不当労働行為だったからこそ、行政機関である地方労働委員会が、国労が訴えたすべての件について不当労働行為を認め、JRに採用すべしという命令を出したのです。
この国家的不当労働行為に対し、当然にも国労は組合として全力で反撃に立ち上がりました。解雇された私たちは、直ちに九州や北海道などで計36の闘争団を結成し、「不当解雇撤回、原地原職復帰」を掲げて、1990年から12年間、物品販売活動などをしながら闘い続けました。私は、同じ被告である羽廣憲さんとともに北九州の小倉地区闘争団に所属して闘ってきました。
1987年の首切り以来16年間、私は、ただただ「自分は何も悪いことはしていない。国家による不当労働行為を認めさせ、絶対に原職復帰をかちとるぞ」という一念でがんばってきたのです。
私は、分割民営化反対の闘いを指導してきた国労本部は、解雇撤回闘争の先頭で闘い続けてくれると信じていました。
ところがどうでしょうか。その国労本部が何と全面屈服をしてしまったのです。すなわち、政府の言いなりになって四党合意を認め、「JRに法的責任はないことを認める」ことを2001年1月の大会で強引に決定しました。
私にとって国労が四党合意攻撃に屈服したことは、14年前の首切り以上の衝撃でした。
歯を食いしばって闘ってきた14年間の闘いに対し、仲間であり、指導部である国労本部から「JRには法的責任はない。不当労働行為の責任を追及するおまえたちの闘いは間違っている。除名する」と言われたのです。
JRに首切りの責任がないとしたら、私は一体、誰から首を切られたのですか。こんな理屈に合わないことをどうして認められますか。共に苦労してきた家族に何と説明するんですか。
このような国労本部方針に納得がいかない私も含む闘争団は、あくまでJRと政府の責任を追及するために闘いに立ち上がりました。すなわち、鉄建公団訴訟に立ち上がったり、四党合意の不当労働行為性を訴えた各地での地労委闘争を闘っています。私は福岡県地方労働委員会に申し立て、また鉄建公団訴訟第2次原告団への参加も申し込んでいます。
私は、国労本部が5月27日に臨時大会を開いて、闘争団やこれに同調する者の除名処分を決めることを知ったとき、黙っていることなど絶対に出来ませんでした。
私は、このような国労本部派の人たちに対して、5月27日の大会当日、15年間の闘いの一切をかけて説得とビラまきに行ったのです。
私は、「与党三党声明粉砕! 奴隷の道を拒否せよ」と書いた国労共闘全国協議会のビラを持って、ホテルから出てきた国労本部派の人たちに声をかけながら手渡し、大会議案の撤回を求めようとしました。
しかし、彼らは私たちの訴えに一切耳を貸そうともせず、一団となって私たちを押しのけて強引にバスに乗り込もうとしたのです。
私は、これが国労本部派の姿かと悔しさでいっぱいになり、国労本部派の人たちに対し「闘争団の除名をやめろ」「政府に言われるままに大会を開くのか」「国労の誇りはないのか」などと大声で何度も呼びかけました。
検察官は起訴状で、私たちが国労本部派の組合員に対して暴行を加えたと主張していますが、そのような事実はいっさいありません。実際は、国労本部派の人たちが、私たち国労組合員よりも5倍から6倍の人数がいたのです。逆に彼ら国労本部派が、私たちのビラ撒き・説得活動に対してつっかかってきたのです。私は、真実をねじ曲げて私たちの正当な組合活動に介入し不当な弾圧を行ってきた国家権力・警察を徹底的に弾劾します。
2、四党合意攻撃は支配介入の不当労働行為です
国鉄分割・民営化を強行した中曽根康弘首相(当時)は、1996年の『AERA』誌上でこう述べています。「総評を解体させようと思ったからね。国労が崩壊すれば総評も崩壊するということを意識してやったんです」と。この中曽根発言は、国鉄分割・民営化の政治的意図をあけすけに述べています。私たちは、政府による総評解散・国労つぶしを狙った国家的な攻撃の中で首を切られたのです。
この政治的意図を実行するため、国鉄当局は86年7月、「人材活用センター」を設置し、私たち国労組合員を本来の業務から外し、次々と人材活用センター送りにしました。それと一体で国労脱退工作も激化しました。
忘れもしない87年2月16日、国労をはじめ国鉄で働く全国7630人の仲間が清算事業団に送られました。これが1度目の解雇です。政府は、国会で「一人も路頭に迷わせない」という付帯決議をあげながら自ら踏みにじったのです。
90年3月31日、私や羽廣さんを含め全国で1047名の国鉄労働者が清算事業団からも採用拒否されました。これが2度目の解雇でした。
これに対して国労は、この採用拒否は、国労が国鉄分割・民営化に反対していることを理由にした組合差別によるものであり、国家的な不当労働行為であるとして、地元JR復帰を求めて、各地の地方労働委員会に救済を求めました。その結果、労働委員会では「JRには法的責任がある。JRは採用せよ」という勝利命令を発しました。しかし、政府・運輸省は、JRにたいして初審命令の履行を指導しようともせず、現在に至るもなお1047名を解雇したままです。
振り返れば、1998年5月28日に東京地裁が下した中労委命令を取り消す反動判決の意味は重大でした。JRは、企業実体の一切を国鉄からそのまま引き継いでおり、国鉄とJRの実質的同一性は明白です。にもかかわらず東京地裁は、「国鉄改革法」をたてに中労委命令を取り消すという不当な反動判決を下したのです。
この5・28反動判決は、とりわけ勝利判決を信じていた国労本部そして組合員には大変なショックでした。政府・自民党は、この反動判決で骨が折れたような格好になった国労本部の弱点をついて次々と屈服を迫る重大な攻撃に出てきました。
判決翌日、藤井運輸大臣(当時)は、国鉄改革を肯定する機関決定を行うことを要求する4項目を国労に突きつけました。さらに6月3日、山崎自民党政調会長(当時)は、JR各社に和解を働きかける条件として、@判決に対して控訴しない、A他労組への理解を得る努力をする、B国鉄改革の趣旨を認める機関決定をする――という「3条件」を国労に提示してきました。国労に路線転換を迫ってきたのです。
これを受けて国労本部は、99年3月18日の臨時大会において、機動隊を導入して反対派を抑え込み、「国鉄改革法承認」を機関決定します。
だが運輸省は、「国鉄改革法承認」だけでは不十分だとして、同年6月10日、「国労とJR各社の話し合いについて」なる文書(「運輸省メモ」と言います)を出します。その内容は、「人道上の解決」として、@国労はJRに法的責任なしを認める、AJR不採用問題は新規採用問題、B訴訟を取り下げる――などの条件を満たせば、「JRとの話し合いの要請を行う」というものでした。これは、5・28反動判決で展望を失った国労本部の屈服につけ込んだ国労への支配介入にほかなりません。
私たちの刑事裁判で、最も重大な前提事実をなすものが、2000年5月30日の「JR不採用問題の打開について」という自民党・公明党・保守党と社民党による四党合意ですが、この四党合意は、上に述べた「運輸省メモ」がもとになっています。
四党合意は、「人道上の解決」として、国労に「JRに法的責任なし」ということを「臨時全国大会で決定」し、「訴訟の取り下げ」まで強要するものでした。国労がこれを受け入れれば、与党・自民党がJRに解決を要請し、解決金も検討するが、結果はわからないという国労の全面屈服を迫る内容だったのです。
四党合意とは、国鉄分割・民営化で私たちの首を切った張本人である自民党・与党が社民党を取り込んで、「人道的解決」という仮面をつけて(第三者づらをして)再び国労に公然と介入し、「国家的不当労働行為はなかったことにせよ」「闘いをやめよ」と迫るという悪辣な攻撃です。
四党合意の本質は、JR及び運輸省が労働委員会勝利命令を履行しない不法行為を重ねた上に、国労に「不当労働行為責任の追及を放棄せよ」と迫るものです。国労に「解雇を認める機関決定をせよ」と路線転換を迫るとんでもない支配介入であり、新たな国家的不当労働行為に他なりません。
首を切られた1047人にとって、絶対に認めることはできないものでした。ところが、国労本部は、当事者である私たち闘争団・家族になにひとつはかることなく四党合意を一方的に受諾してしまったのです。
私は、国鉄に入社し、国労に加盟して以来30数年、青年部時代から労働運動をしてきましたが、労働争議を「人道的に解決する」などということは聞いたことがありません。「人道上の解決」とは、「国策に反対したから解雇されても当然だ、だが謝れば考えてもいい」というまったくふざけきったものです。
私たち闘争団は、中曽根の「戦後政治の総決算」攻撃、その中心に位置していた国労の解体―総評解散・連合化の犠牲にされた「生き証人」です。四党合意は、この生き証人の口から「国家的不当労働行為はなかったことにする」と言わせ、首切り責任を居直る断じて許せぬ攻撃です。
しかし、いかなる攻撃も、私たちが国鉄分割・民営化という国策によって首を切られたという事実までは消すことはできません。
3、私たちの5月27日のビラまき説得活動は正当な組合活動です
2002年5月27日の国労臨時全国大会は、私たち国労組合員とりわけ闘争団員にとって極めて重要な大会でした。与党三党は4月26日、「与党三党声明」を発表し、国労本部に対し「5月末」という期限を切って臨時大会を開かせ、国鉄分割・民営化で不当解雇された私たち闘争団員の仲間の除名と最高裁訴訟の取り下げなどを決定させようとしていました。
国労本部はこれを受け入れ、5月に入って急遽、臨時大会の開催を決定しました。大会告示は大会日のわずか11日前で、しかも具体的な議案も示されず、職場討議もありませんでした。B4二つ折り1枚という粗雑きわまる大会議案を手にして驚きました。「与党三党声明」の丸のみだったからです。大会には、またも機動隊の導入が要請されていました。その上、傍聴者制限が強化されるということも伝わってきました。
これは闘争団員である私にとって、また闘争団とともに組合差別をうけながら必死で闘いぬいてきた国労組合員、さらには国鉄闘争を自分の闘いと重ね合わせて闘いぬいてきた支援・共闘の仲間一人ひとりにとって、絶対に見過ごすことのできない大攻撃でした。
私は、「四党合意は国家的不当労働行為である」として、東京、千葉、新潟、秋田、大阪、鳥取の国労の仲間とともに福岡地方労働委員会に救済の申立を行っています。4月22日には福岡地方労働委員会が四党協議座長の甘利明氏を証人採用し、9月9日に尋問することも決定されていました。千葉の地労委は2月に甘利証人採用を決定していました。甘利氏はこの証人採用に怒り、国労本部に対して不快感をあらわにし、「国労組合員が申し立てた労働委員会で私が証人決定されたことをどう思っているのか」と追及していました。すでに鉄建公団訴訟の原告への統制処分は公言されていましたが、私たち労働委員会の申立人にも統制処分が及ぶことがひしひし感じられました。私は当時、鉄建公団訴訟の原告になる手続きを進めていましたからなおさらでした。
私は、どうしても5月27日の大会当日には上京して、国労幹部に直接会って説得しようと思いました。そのために5・27臨時大会の朝、国労本部派の宿舎になっていた「東京グリーンホテル御茶ノ水」に出向きました。大会宿舎のビラまきや説得活動は、すでに闘う闘争団が何度か行っており、闘争団員である私も今回が2回目でした。
5月27日には、他の国労の仲間がもう一つの大会宿舎である池袋のホテルや大会傍聴者が集まる永田町小学校前にも行き、私たちと同じようにビラまき・説得活動を行いました。
2001年1月27日の大会以後、大会会場周辺は機動隊が固め、役員・代議員・警備員は前日から宿舎に泊まり込んで貸切バスで会場に直行するので、結局、ビラまき説得活動のためには宿舎に行くしかない状況だったのです。
かつては大会会場周辺で組合員に直接声をかけ、ビラを渡し訴えるのがふつうでした。しかし、いまはその行動が機動隊導入によって排除されて全くできなくなっていたのです。
私たちにとって、大会参加者たちが大会宿舎前からバスに乗りこむまでのわずかな時間帯は、ビラまき・説得活動を行って私たちの四党合意反対の思いを伝える唯一のチャンスだったのです。
私たちは、ホテルの前で、「闘争団の除名反対」「機動隊導入反対」を訴えながら、国労本部派の組合員にビラを手渡そうとしました。しかし彼ら国労本部派は、ほとんどの人がビラを受け取らず、私たちを突き飛ばして強引にバスに乗り込みました。その行動は、あらかじめ「ビラは受け取らない、無視して話をしない、立ち止まらない、一気にバスに乗り込む」と意志統一をしてきたように思えました。そして、バスのドアのそばにいた私たちの仲間は、バスに乗り込んだ本部派組合員から何度も手で突かれたり服を引っ張られたりしたのです。
しかし、私たちは声を限りに、「自民党の言いなりの大会はやめろ」「機動隊導入を止めろ。これでは労働組合ではなく、機動隊組合ではないか」「警察とばかり話していないで、おれたちと話をしろ」と説得を続けました。このときも国労本部派は警視庁公安部の警察官に連絡をとって、警察官に守られてバスを出発させました。私たちは、5月27日当日、ホテル前の国労本部派がビデオカメラを用意していたことはすぐに気がつきましたし、警察との打ち合わせが事前にあったことは間違いありません。
ホテル前でのビラまき説得活動の中で、私たちが検事の言う「暴行」を国労本部派に加えた事実はまったくありません。
こののち、私たちは、大会会場である社会文化会館前の闘う闘争団など四党合意反対派の国労組合員が行っている集会に参加し、臨時大会を強行した国労本部を弾劾しました。昼には、自民党本部と衆議院議員会館の甘利氏の事務所を訪れ、地労委の証人として出頭するよう要請行動を行いました。そして、再び社会文化会館前に戻り、再び集会に参加し最後まで闘いました。
4、闘争団を先頭とする四党合意に反対する闘いと、変質を深める 国労本部執行部
国労本部が四党合意を受け入れようとしたことに対して、闘争団・家族から国労本部にたいして猛然たる抗議と撤回を求める批判が起こりました。批判の大きさは、全国の地本、支部、分会の各機関、家族会や共闘などから国労本部に寄せられた意見書が230通以上にものぼったことにも明らかです。
四党合意への国労組合員の怒りの激しさは、この間の大会を見ても明らかです。2000年7月1日の臨時大会は開会が5時間も遅れ、ようやく開会された大会においても、代議員・傍聴者・闘争団・家族の反対の声を無視しました。さらに家族による「国労本部は独断でこういう四党合意を決定するとはなにごとですか。無責任に私たちの人生を勝手に決めないで下さい」という訴えにもかかわらず、国労本部方針の採決を強行しようとしたことによって議場が騒然となり、ついに演壇が占拠される事態になり、大会は休会になりました。
7・1臨時大会後、当時の高橋委員長が九州に来て、7・1臨時大会での混乱について謝罪し、解決案がでるまでは次の大会を開かないと約束しました。しかし、その約束もたちまち踏みにじられて、8月26日に続開大会が強行開催されました。
それ以降の全国大会も、四党合意に反対する組合員の激しい怒りに直面し、国労本部のもくろみはいっこうに達成されませんでした。
国労本部派からは、「四党合意をのめば数千万円の解決金が出る」とか「四党合意しか解決の道はない」とかいうデマ宣伝が流される一方、国労本部は、大会の度に機動隊を導入し、傍聴制限やマスコミ排除を強行し、反対派を力ずくで抑え込もうとしました。
2001年1月の第67回続開大会はその典型でした。大会会場の社会文化会館周辺は機動隊1000人が厳戒体制を敷き、会館前にはバリケードが築かれました。傍聴・マスコミの立ち入れが制限・規制され、会場内の通路を国労本部派防衛隊が制圧する中で、大会が強行されました。まさに「戒厳令下の大会」と言うべきものでした。国労本部は、四党合意の承認のために警察を使い、警察権力はこれを水路に四党合意をめぐる国労内問題に半ば公然と介入してくることになりました。
1999年3・18臨時大会から2002年11月定期大会までの3年8か月の間に、国労は全国大会を10回行いました。このうち機動隊を導入しなかったのは3回だけです。2001年1月の第67回続開大会以降は、5回連続で機動隊を導入しています。
この機動隊導入の既成事実化は、国労本部が、全国大会の準備地本である東京地本内の一部国労本部派を先兵にしながら、国労運動を警察労働運動に変質させてしまったことを意味します。
5・27臨時大会で、国労本部は闘争団の除名のための査問委員会の設置を承認しました。しかし、原則的に闘う国労組合員は不屈に闘いを進めました。国労本部へのもっとも大きな反撃は、鉄建公団訴訟で訴訟救助が決定され、9月26日に第1回公判が開かれたことです。この日は300人以上の傍聴がつめかけ、闘争団による鉄建公団訴訟は、大きく盛り上がりました。さらに、2002年4月に正式に結成された「1047名の不当解雇撤回・国鉄闘争勝利 国鉄闘争共闘会議」の運動には、国労の闘う闘争団、全動労、動労千葉の3労組が合流し、支援勢力を大きく結集し、力強く発展していました。このままでは国労本部の責任追及の声があがるのは必至の情勢でした。
この声を圧殺するために、臨時大会の日から4か月もたってから、大会代議員選挙の公示日当日に今回の弾圧は強行されたのです。本件は、デッチあげ弾圧以外のなにものでもありません。そのデッチあげの口実として、東京地本執行部が警視庁に提出した「ビデオテープ」と国労組合員のデッチ上げ「被害届」が利用されたのです。
このことは私たちの取り調べの中で、公安刑事が何度も「国労の協力がなかったら、こんなことはできなかった」と言った事実の中に表れています。労働組合幹部が同じ組合員を警察に売り渡したのです。まさに前代未聞の暴挙です。
私たちの逮捕・起訴は、こうした腐敗を極める国労幹部と国家権力の合作にほかなりません。
5、国とJRに首を切られた私と家族の闘いの16年間
16年の血のにじむような毎日の生活と闘いの中で、今日まで私を支えてきたものは、仲間を裏切らない、国労を守る、労働者らしく、人間らしく生きたいという思いであり、私と仲間、家族に加えられた国家的不当労働行為を許さない、必ず職場に復帰するという思いでした。
四党合意を受け入れた国労本部執行部に、国鉄分割・民営化でどれだけの仲間が犠牲になったか、闘い半ばにしてどれだけの闘争団員が亡くなったのかを忘れたのかと言いたい。しかも首を切った当の自民党の言いなりになって、甘利自身が「解決案はゼロ+アルファ」と言っていることを百も承知で、「闘争団を除名しろ。裁判を取り下げろ」という国家権力の要求を丸のみする、こんな国労本部は絶対に許せません。
国鉄分割・民営化による首切りによって犠牲になったのは1047名だけではありません。1047名の家族、国鉄分割・民営化に反対した国労をはじめとする組合員・家族もまた犠牲にされました。
私の場合も、家族には一言では言い表せない苦労をかけてきました。首を切られて以降は、毎月の家賃、電気代、ガス代にも事欠くありさまでした。家族からは、「国労を脱退すれば新会社に採用されると言っちょるが、お父ちゃん、どうなの」と言われ続けました。JRの運動会には、JRに採用された組合員の子供たちは参加できますが、闘争団の子供は参加できません。子供はさみしそうに「お父さんはなぜJRに採用されなかったのか」と聞いてきます。「お父さんはなにも悪いことはしていない。国がしたんだ」と言って聞かせることしか私にはできませんでした。
そして私は、国労の旗を守る、仲間を裏切らない、という気持ちで国労に残り闘ってきました。だからこそ、私は、国労を本来の闘う姿によみがえらせ、その闘いでJR・政府の責任を明らかにさせる、という思いを晴らさずしては家族に本当に申し訳ないと思っています。
それでも家族は時間給のアルバイトで生計を支えてくれました。私も、仲間とともに東京や大阪などを回って物資販売をおこなっています。しかし、物資販売は売れなければ成り立ちません。休む暇もない状態です。そうした私を、全国の暖かい支援の人たちが勇気づけてくれました。また同じ境遇にいる労働者が何と多いことかも知りました。
このように私の16年間は、国による首切りの責任をあくまで追及し、どんなことがあっても解雇撤回をかちとる決意を固めて闘う日々だったのです。
6、私たち被告団全員を直ちに釈放するように要求します
私は逃げたり隠れたりする気はありません。否、それどころか、この法廷において、堂々と逮捕・起訴の不当性を暴き出して、無実を証明します。そして、政府・自民党・JR各社による組合に対する支配介入を暴き、私たちを警察に売り渡した国労本部と東京地本一部執行部らの暴挙を裁く決意でいます。
私の投獄によって働き頭を奪われた家族は困っています。私の家では、生活費を物資販売と米作り農業で捻出しています。農地を数年契約で借りて米作りをしているのですが、数年契約なので、今年は私が農作業ができないから今年の契約はなしにして、来年またとはならないのです。今日まで積み重ねてきたことがむだになるのです。米作りは、今年はだめでも来年はとはいきません。
私の解雇以来、苦しい生活を続けてきた私の家族に「逮捕」と「生活苦」という二重の苦しみをさらに強いるなど、そんなことは絶対に許されません。
検察官が、私及び被告全員に主張している「暴行」は百パーセントデッチ上げです。4か月に及ぶ不当な長期勾留はまったく根拠がないものです。私は直ちに8名の被告全員を釈放するように要求します。
7、おわりに――私たち被告団は必ず無罪を勝ち取ります
今回の弾圧は、労働者の権利を保障した憲法28条と労組法1条に違反する違憲、違法の弾圧です。
私たち被告8名が5月27日に行ったビラまき・説得活動は、国労組合員として労働者の団結を守るための当然かつ正当な組合活動だったのです。
労働組合内部の、しかも組合大会方針案をめぐる対立に、「暴力行為等処罰に関する法律」を適用したことはまさに前代未聞の事態です。今回の弾圧の不当性は余りにも明らかです。
万一、このような政治的弾圧がまかり通るなら、現憲法下で保障された労働者の権利は、完全に消し去られてしまうでしょう。労働者の団結が警察の介入によって破壊され、労働組合が政府の意のままに動く大政翼賛組織になってしまえば、戦前への逆戻りです。
小泉政権は昨年末、インド洋にイージス艦を派兵しました。アメリカ・ブッシュ政権のイラクにたいする軍事攻撃と一体となったイラク参戦の危険な動きです。今国会では、懸案となっていた有事立法の制定が企てられています。私は、一人の労働者として今回の弾圧がそうした戦争情勢とけっして無縁ではないと強い危機感をいだかざるを得ません。
私たち被告団は全員無実です。私たちは、国家権力による今回の不当な刑事弾圧を絶対に許さず、全員無罪の判決を勝ち取るまで闘いぬきます。
2003年2月3日