臨時大会闘争弾圧裁判意見陳述(03.3.3)
目次・・1
はじめに・・2
1.本件は、国労組合員のビラさ撒き説得活動への刑事弾圧であり、憲法28条の団結 権保障に反する・・2
2.被告人らは、全員無罪である・・2
(1)団結権の行使は、犯罪として問疑されるべきものではない・・2
(2)「国家的不当労働行為」との闘い・・3
(3)「4党合意」、「3党声明」による闘争団切捨て、屈伏路線への抗議闘争・・4 (4)作られた起訴事実、国労の運動方針決定への権力の介入・・5
3.国家的不当労働行為を支える刑事弾圧は許されない・・5
(1)「4党合意」反対派への弾圧、1047名の国鉄闘争分断を狙った裁判・・5
(2)予断と偏見を疑わせる訴訟進行・・6
@長期の勾留・・6
A「要警備」事件と「重戒護」・・7
B「静粛・秩序ある法廷」の内容・・7
(3)憲法と良心に基づく公正な公開裁判、無罪判決を求める・・8
はじめに
最初に、本件の基本的性格について、概括的に申し述べる。
1.本件は、国労組合員のビラさ撒き説得活動への刑事弾圧であり、憲法28条の団結権保障に反する
被告人らはみな、鉄道を愛し、仕事に誇りを持ち、長年まじめに働いてきた労働者であり、あるいはその差別に対する闘いに共感した支援者である。8名全員がその意見陳述において、本件は国労組合員あるいは闘争支援者として当然の行動であり、無であることを主張した。
すなわち、被告人ら7人は国労組合員であるがゆえに国鉄分割民営化の際の採用差別や、新会社になってからの差別を受け、苦しみながら、これまで長年の間、国労の方針のもとに忠実な組合員として闘ってきたこと、ところが国労本部は「4党合意」を受入れ、差別反対の運動方針を投げ捨てたこと、しかも本件当日には自民党らの要 求により臨時大会を開き、反対派組合員を切捨てよう(除名)としていたこと、被告人らはこうした国労の変質をなんとか防ごう、不当な首切りは一人も許さないという 労働運動の原点を守ろうと、本部派(「4党合意」賛成派)組合員の良心に訴えかけていたこと、それを犯罪視する本件起訴は、国労内部の団結自治に介入し、「4党合意」反対派を分断しようとする政治的弾圧であることを訴えた。
当弁護人らも、事実はこの通りであり、被告人ら全員は無罪であること強く主張する。団結権保障の憲法のもと、組合に対する介入に反対し、自らの信じる運動方針の形成を担おうとする団結権の行使は、犯罪として問疑されるべきものではないからである。私も前回までの公判において、本件は自主的な労働運動に加えられた政治的弾 圧だと信ずるに足る十分な理由があることを申し述べた。裁かれるべきはむしろ、国鉄分割民営化により国労を崩壊させようとした政府である。さらに、労働委員会で不当労働行為が断罪され、ILOからも団結権の保護は民営化の際にも及ぶものであることを指摘されると、その不当労働行為の被害者である国労に、「JRに法的責任がないことを認める」といわせた4党であり、そしてこうしたいわゆる「国家的不当労働行為」に加担して被告人らを逮捕・勾留した警視庁公安部、さらに起訴までした検 察当局である。また、頼りとした「4党合意」が崩壊(02.12.6に自民党ら3党が離脱)したのに、その誤った指導の責任をとろうともしない国労執行部、かえって自らの延命のため団結自治を投げ捨て、警察の介入を呼び寄せた国労執行部である。
2 被告人らは、全員無罪である。
(1) 団結権の行使は、犯罪として問疑されるべきものではない。
本件は、国鉄分割民営化以来、労働運動の変質・御用化を狙ったいわゆる「国家的不当労働行為」に対して続けられている国鉄闘争、採用差別反対の「1047名闘争」のただなかで生じた団結権の行使である。そこにはそもそも犯罪事実など存在しない。例えば患者の体にメスをいれる外科手術が、刑法35条を引き合いに出すまでもなく、傷害罪として問題にならないのと同様、団結自治の行動は団結権の行使であり、犯罪として問疑されるべき性格のものではない。これを犯罪視し、刑事事件とするのは、闘争の放棄・屈伏、国労の変質を拒否する「4党合意」反対派に対する政治的弾圧であり、憲法28条の団結権保障に反する違法な行為である。本件起訴自体、訴訟条件は存在せず、検察官の職権濫用だというほかない。
公務員、なかでも裁判官は、憲法の尊重・擁護義務を負う(憲法99条、76条3項)。当弁護人らは公訴棄却を申し立てるが、もしそれにもかかわらず実質裁判が行われるとすれば、全員無罪とされなければならない。
(2) 「国家的不当労働行為」との闘い
問題の発端である1987年の国鉄分割民営化は、国鉄の膨大な赤字を口実に行われた。しかし、その赤字の主要な原因は、実は国鉄が全額政府出資の公共企業体であるのに、新幹線建設等の巨額の設備投資を、政府の出資ではなく、財政投融資等の借金の形で行わせたことにあった。そのための利払いが、国鉄をいわば「サラ金地獄」に追いやったのである。そのことは、国鉄の長期債務返済のため、清算事業団が旧国鉄のもっていた汐留駅跡地をはじめとする広大な土地を処分し、JR東、西、東海各社の株式を売却して返済にあてても、その債務は1998年の清算事業団解散時に、民営化の時よりかえって増えていた(25.6兆が28.3兆に)ことからも明かである。
だが政府は、こうした赤字の真の原因をかくし、民営化によって国鉄という国有財産を恣意的に処分し、私物化するとともに、余剰人員と称して10万の国鉄労働者を鉄道職場から排除した。そしてこの人員削減の機会を利用して、実は総評の中核であった国労を潰し、権力や資本に対抗する本来の労働運動を壊滅させようとした。当時の首相中曾根康弘は、後にその政治的意図を、「国労が崩壊すれば総評が崩壊する。そのことを明確に意識してやった」と臆面もなく語っている。
この分割民営化に対しては、国民の交通権を侵害し、労働者の職場を奪うものとして、国労、全動労、動労千葉は反対した。国鉄は、それらの組合に残っていてはJRに行けないとの脅しをかけ、脱退を拒否した者は実際に鉄道の仕事を奪われて、「人材活用センター」という名の収容所から、さらに「国鉄清算事業団」に送られた。この組合への支配介入・採用差別に対して国労は、JRを相手に労働委員会に不当労働行為救済の申立を行い、全国18地労委および中労委で救済命令を得た。労働委員会命令は行政処分として、使用者はこれに従う義務がある。そのことは労組法等の明文規定があるだけでなく、裁判例や、国会議員川田悦子氏の質問に対しての総理大臣小泉純一郎名の答弁書(02.12.6)でも、「救済命令を命ぜられた使用者は、その確定に至る前においてもその命令を履行しなければならない行政上の義務を負う」と確認している。だがJRは、その義務に反して命令不履行のまま取消し請求の訴えを起こした。そして地裁、高裁はこれを認めたため、事件は中労委の上告により、最高裁にかかっている(国労は補助参加)。
JRに採用を拒否され、清算事業団に移された労働者のうち、反対闘争を続ける国労、全動労、動労千葉の組合員ら1047名は、90年4月には清算事業団から2度目の解雇をうけ、収入の道も絶たれる。以後十数年間、これらの労働者は、家族ともども生活の苦しみと、怠け者ゆえ解雇されたとの世間の誹謗に耐え、不当労働行為からの回復、職場復帰を求めて闘っている。この分割民営化以来、一貫して続けられている団結破壊の施策は、政府が主導、加担、鼓吹、黙認するものとして、世上、「国家的不当労働行為」と、そしてこれに対する闘いは「1047名闘争」と呼びならわされているのである。
(3)「4党合意」、「3党声明」による闘争団切捨て、屈伏路線への抗議闘争
この分割民営化攻撃は、中曾根元首相の思惑どおり総評を消滅させ、国労にも大きな痛手を与えた。だが国労はなお生き残り、「1047名闘争」の中心となってきた。こうした状況で、国労が「政治的解決」を求めたのを好機に、1047名闘争の圧殺、国家的不当労働行為の総仕上げを図ったのが、自民党ほかの3与党に社民党を加えた2000年5月30日の「4党合意」である。この4党合意は、国労が臨時大会を開いて「JRに法的責任がないこと」を認めることを前提に、4党で和解金について協議すること、などを定めるものであった。
これは要するに、不当労働行為の被害者に不当労働行為はなかったといわせ、使用者の義務に反する命令不履行も不問に付し、中労委が上告中の訴訟も国労に否定させるという、不当労働行為制度を実質的に破壊するもの、いくらかの餌の期待と引換えに国労の屈伏と変質を迫るものであった。本部はそれにより闘争の終結、放棄を図ったが、それはとうていこれまで人生をかけて闘った闘争団、労働者やその家族の納得を得られるものではなく、国労内部と支援者らに大きな対立・分裂をもたらした。それに追い打ちをかけたのが、2002年4月26日の与党「3党声明」である。
この声明は、国労本部に対し、国労自身の訴訟の取下げと、自ら訴訟をおこした反対派組合員の除名がされなければ、4党合意を破棄するとの脅しをもって1047名闘争、闘い続ける国鉄闘争の最終的破壊を策するものであった。国労本部がそのいいなりの大会決定をしようとしたのが、5月27日の臨時全国大会である。これに対する抗議、反対、論争、説得行動は、労働組合運動として起こるのが必然であり、むしろ国家的不当労働行為に対する団結権擁護の運動として、人を納得させるに足りるものであった。
(4)作られた起訴事実、国労の運動方針決定への権力の介入
本件の公訴事実は、被告人らが共謀して、国鉄労働組合(国労)の第69回臨時全国大会の開催を阻止しようと企て、大会に参加する組合員らがバスに乗車しようとしたのに対し、多衆の威力を示して暴行を加えたというのである。
しかし、真実はこれと全く違う。前述のような国労の運動方針をめぐる意見対立のなかで、本部は自民党らの「4党合意」、政府与党の「3党声明」のいうままに、この大会で闘争団を切捨てようとした。こうして国労本部は、反対意見を封殺するのに会場周辺を機動隊で取り囲むという、労働運動の常識を逸脱する異常な状態での大会強行を図ったのである。これに対する怒りは、多くの国労組合員や闘争団員、支持者の間に渦巻いていた。それらの反対派の組合員らがこの大会開催に抗議し、賛成派(本部派)組合員に対しての道義的非難、闘争団きりすての大会に反対・抗議の意思表示をし、論争と説得行動を行ったのが本件である。
それは、労働組合の構成員、いわば組合の主権者として、組合意思の形成に参加する、基本的権利の行使にはかならない。その行為の目的が正当であるのはもちろん、行為の態様もなんら危険性のあるものではなかった。組合内部の意見対立のなかで、労働者仲間の説得活動は、団結権行使の一環である。これを大会阻止のための暴行とするのは、組合活動そのものを違法視し、憲法28条の団結権保障、それを明示的、注意的に定めた労組法1条2項を否定することであって、許されない。
3 国家的不当労働行為を支える刑事弾圧は許されない
(1)「4党合意」反対派への弾圧、1047名の国鉄闘争分断を狙った裁判
団結権保障の憲法のもと、団結権行使に対する国家権力の介入は許されない。それなのに警察は、5月27日の臨時大会から半年近くたった10月8日、いずれも国労組合員である2人の闘争団員と3人のJR職員、それに3人の闘争支援労働者を逮捕・勾留した。その日は同年の国労大会代議員選挙の告示日であり、逮捕者の中には、代議員に立候補予定の国労組合員もいた。10月28日にはさらに2人の組合員(JR職員)を逮捕し、うち8人を暴力行為等処罰に関する法律違反で起訴したのが、この裁判である。
しかも勾留状には、被疑者らがいずれも「中核派」の活動家であり、共謀して国労大会の開催を阻止しようと企て、暴力行為を行ったとされていた。そして勾留理由開示の法廷で裁判官は、被疑者らが国労組合員であることも知らなかったと述べている。この事件は、国労の運動方針決定、組合の意思形成をめぐる対立から生じた、団結自治により解決されるべき問題であった。だが警察は、これをあたかも外部の政治的過激派が暴力で国労大会を潰しにかかったものであるかのように描き出した。そうすることにより、「四党合意」反対派に対する直接の権力的抑圧をもって、組合大会における自主的な意思形成を妨害した。それは、反対派の一部を犯罪者に仕立てあげ、1047名闘争を威嚇し、その分断を図る政治的弾圧以外のものではない。
(2)予断と偏見を疑わせる訴訟進行
@長期の勾留・接見禁止
本件では今日まで長期の勾留が続けられている。保釈請求却下の理由とされたのは、「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」ということである。しかし、本件被告人らのしたのは、組合大会にさいしての、大衆のなかにおける公然たる抗議・説得活動である。そして被告人らは自らの行為の正当性を確信し、弾圧に対する怒りとともに、これを裁判を含むあらゆる場で広く社会的に明かにしようと考えている。このことは、被告人陳述でも明かであり、罪証隠滅のおそれなど、およそありようがない。
しかも彼らは、犯罪発生とされる時から半年近く経ってから逮捕された。いまさら隠滅される蓋然性のある証拠には何があるのか。もしかりに犯罪事実があって、それを隠そうとしたのであれば、逮捕までにそれを完了していると考えるのが、経験法則である。それを否定する合理的根拠は存在しない。
また、被疑事実そのものも、かりにそれが事実としても、微罪にすぎない。それなのに、いまだ被告人に対する長期の勾留や接見禁止が続けられ、その間、取調べと称して、被告人の勾留による家族の苦しみ(それは、権力による「拉致、監禁」が作り出したものである)の強調により被告人を困惑させるとか、否認を止めれば軽くなる等の甘言をもって権力の描く犯罪構図の自認を迫っている。被告人の労働委員会の証人としての出頭や、義父の危篤・葬儀にさいしての勾留執行の停止さえ認めようとしなかった。これらの非人間的取扱は、捜査担当者が冤罪を作りだそうとするものであり、それに追従する裁判所も、その人権侵害は非難に値する。
A「要警備事件」と「重戒護」
被告人らの殆どは、九州や大阪の国労組合員である。その家族や職場の国労組合員ら多くの者は、休暇をとって上京し、裁判を傍聴しようとした。その希望者は、百数十名に達している。またこの裁判は1047名闘争に重大な影響をもち、団結権保障の帰趨にもかかわる憲法裁判として、極めて大きな社会的関心を集めている。本件はこのようなものとして、公正な裁判、国民の司法の観点からも、できるだけ多くの傍聴者の前で審理されることを必要とする。そのため弁護人らは、裁判所に傍聴席98の104号大法廷での審理を申し入れ、折衝を重ねた。だが裁判所は、「警備上の必要」というだけで、これを拒否した。要警備事件での104号法廷使用の前例もあるのに、である。この点は、2回の公判廷で、いずれも締め出された百数十名の傍聴希望者を廊下に座り込ませた後、ようやく今回から改善された。
だが、本日も8人の被告人を両脇から挟むという重戒護の体制が続けられている。これは、被告人らへの重圧であるとともに、適切な弁護活動のためにも大きな障害となっている。このような状態は、裁判官が事件をあたかも凶悪犯罪であるかのような予断と偏見を捨てきっていないとの疑念を抱かせる。
B「静粛な秩序ある法廷」の内容
裁判長は、「静粛な秩序ある法廷」ということを強調される。抽象的な言葉としてはもっともだとしても、問題はその内容である。「静粛な秩序ある法廷」は、公正な裁判のためにこそ必要とされるのであって、静粛のための静粛、あるいは瞑想に耽るための静粛が求められるのではない。
ア 裁判は、お白州で罪人がお上の裁きを受ける場ではない。有罪が確定されるまでは無罪の推定を受けるはずの被告人らが、手錠・腰縄付きで法廷に連行されること自体、国民にとっては異常なことだと感じられる。
イ 法廷の正規の発言が聞き取れないほどの状態になるならば、通常はそれが許されないのは当然である。しかし、傍聴者は主権者たる国民の代表としての意味をもつ。それは、権力行使の公正さを求めて傍聴しているのであり、訴訟の進行に対してある態度の共感や不満・批判の声が漏れるのは自然の人情である。関係当事者はその批判に反省の機会を得たことを喜ぶべきでこそあれ、これを嫌悪する理由はない。そしてその批判に理がないならば、そのことを説いて納得させれば良いのであり、それによって裁判の公正が害されることはないはずである。
明治憲法の時代には、裁判官は天皇の名代として臣民より高きにあった。しかし戦後の今日の憲法においては、国民が主権者である。法廷の構造として裁判官の席が高くなっているのは、皆から良く見えるためであって、国民より高い地位にあるからではないことを自覚していただきたい。
(3)憲法と良心に基づく公正な公開裁判、無罪判決を求める
裁判官は良心に従い、独立してその職権を行い、日本国憲法および法律にのみ拘束される(憲法76条)。フランスのポントワーズ大審裁判所所長ピエール・リヨン=カーン氏は、かつて来日しての講演で、こう語った。「裁判官の任務とは、最も弱い者の権利を権利を完全に守り、最も強い者たちを共通のルールに従わせ、かつ現行憲法典の文言に従えば、個人の自由の保障者たることだ」と。
本件起訴はこれに反し、政府・与党やJR、それに服従する国労本部などの強者らによる共通のルール否定に目をつぶり、逆に労働委員会で得た救済を否定され、除名さえされかけている苦しい立場の闘争団や支援労働者の抗議行動・団結活動を、権力的に抑圧しようとするものである。
この裁判に対しては、元日弁連会長や、学者、評論家など400人を越える人びとの呼びかけで「国労5・27臨時大会闘争弾圧を許さない会」が作られ、多くの人びとが注視し、公正な裁判、無罪判決を求めている。
本件では、裁判所まで国家的不当労働行為、強者のルール破りに加担するのか、ということが問われる。青柳裁判長、松田、梶川裁判官が憲法を無視し、憲法よりも分割民営化を強行した当時の首相、中曾根氏らの政治的思惑に忠誠を示すことにより、司法への信頼と権威を傷つけることのないよう、切に希望する。
以上