弁 護 人 冒 頭 意 見
2003年3月17日
弁護人 西村正治
第4部 警察機動隊導入による本件臨時大会への反対派組合員の排除と非民主的運営
第1 組合大会と組合員の参加の権利
労働組合にとって大会は、最高意思決定機関である。そこにおける決定が組合員を拘束し、その利害に大きな影響を及ぼす以上、組合大会においては、その過程全体を通じて、組合員の意見が大会に反映される仕組みがなければならないことは言うまでもないことである。これは、通常では、代議員選出の過程で、職場討議が長時間かけて行われ、現場の組合員の意見がかなりの程度反映される代議員構成となって現れてきた。
大会での決定によって特別に利害を受ける当事者的な立場にある組合員がいる場合、その組合員の参加の権利はとりわけ重要である。本件臨時大会においては、闘争団員が特にそのような立場にあるといえる。当事者的立場の組合員は、大会の議論をすべて見聞することができなければならないし、適宜に当事者として発言する機会がなければならない。それが組合民主主義の当然のあり方である。
しかるに、本件臨時大会においては、以下に述べるように、大会を開くことがわずか11日前に告示され、当日まで議案の内容も知らされない代議員もいたありさまで、事前の職場討議は皆無に近かった。このような大会を開くこと自体非民主的で許されないことであるが、開かれてしまう場合には、組合員の意見を反映するためには、代議員ら大会構成員への説得活動がとりわけ死活的な問題になるのである。
ところが、本件臨時大会では、組合員の傍聴は代議員1名につき1人というように厳しく制限され、大会会場付近での説得活動が一切できないように、警察機動隊による制圧体制が敷かれて、反対派は、会場に近づくことさえ許されなかったのである。まさに、組合員の意見を大会に反映する道を封じる措置を執行部がとっていたのであり、執行部の大会運営は、組合民主主義の否定であった。
こうした中では、大会関係者の宿舎前でのビラまき・説得活動を行うことは、組合員にとって、唯一の意見表明の機会であり、最後のささやかな意見反映のチャンスとなっていたのである。
第2 警察機動隊導入のエスカレート
1 国労は、民主的運営を尊重する労働組合であった。
(1) 国労は、かつては組合民主主義を尊重し民主的な運営を行う労働組合であった。とりわけ組合大会において重要な問題を決めるに当たっては、職場討議を積み重ねた上、さらに大会当日においても、職場の第一線で闘う現場組合員の声を大切にし、その声を尊重しながら決めるということを行ってきた。従ってかつての大会では1割の反対があった場合には採決をしないことがたびたびあった。組合員は、大会において自由に傍聴できることはもちろん、代議員と自由に交流し、意見を交わしながら、その声を大会に反映させることができる運営が行われてきたのである。
その一つの象徴的な大会が、修善寺大会と略称される、第50回臨時全国大会(1986年10月)であった。
(2) 1986年、国鉄改革法案が国会に上程され、国鉄当局が国労攻撃を強め、悪名高い「人材活用センター」が同年7月からスタートし、全国1440カ所、約2万1000人という多くの国労組合員がそこに収容され、苦闘している中で、9月24日、当時の国労本部(山崎委員長)は、中央闘争委員会で、「労使共同宣言」と雇用安定協約を当局と結ぶことを決めようとした。
9月24日、総評青年協主催の「反行革・国鉄解体法案粉砕・秋闘勝利総決起集会」に参加していた国労組合員に、本部が新方針を決定しそうだという情報が知らされると、危惧を抱いた組合員が国労会館の内外を埋めつくさんばかりに集まって、方針決定は中闘委ではなく大会で行うことを要求した。また千葉大会直後から、本部の動向に不安を抱く代議員が臨時全国大会の開催を要求する署名運動を実施し、多数の署名が本部に寄せられるという状況があった。
そのような組合員の声に押された執行部は、急遽三役会議を開き、中央闘争委員会を再開し、「早急に臨時全国大会を開いて対処方針を決める」ことを決定した。この方針を国労会館に集まった組合員に伝え、25日未明にようやく事態を収拾することができた。
(3) 国労修善寺大会は、1986年10月9日、10日に開催された。山崎執行部の提案した議題は、「大胆な妥協」を内容とする緊急方針(労使共同宣言と雇用安定協約の締結)であった。大会代議員の構成は、第49回定期大会(千葉大会)の代議員構成のままであり、執行部派が多数派であると見られていた。
しかし、大勢の組合員が全国から駆けつけ、大会会場を取り囲む中で、とりわけ、人材活用センターに送られて苦闘する組合員の声が、代議員を変えた。大会は、予定時刻を大幅に遅れて開会された。
書記長による緊急方針の提案後、討論に入り、26人の代議員が発言した。討論では緊急対処方針反対の発言が多かった。大会2日目は9時開会の予定だったが、緊急方針支持派の代議員が9時すぎても出席せず、大会成立要件(204人)を満たしていなかったため午前中休憩となった。執行部派がボイコット戦術を採ったのである。これに対し、大会を流会させてはならないとの思いに駆られた代議員や組合員がボイコット代議員の宿舎を一軒一軒たずね歩き、出席するよう説得を続けた。その結果、12時を過ぎてから本部派の代議員も会場に入り、256人の出席が確認されて大会の再開にこぎつけた。無記名投票による採決の結果は、賛成101票、反対183票で、執行部提案は否決された。山崎執行部はただちに総辞職し、六本木敏新委員長をはじめとする新執行部を選出した。修善寺大会は、以上のように分割・民営化反対の方針を堅持することを決定し、国鉄当局に屈服せず、労働組合として闘いつづけることを高らかに宣言した。
(4) ここで重要なことは、現在の国労執行部こそ、9月24日の中央闘争委員会に押し掛け、臨時大会を開かせることの約束を取り付け、また、この修善寺大会に全国から駆けつけ、代議員をオルグし、説得して、執行部方針否決に持ち込んだ組合員たちとともにいた人たちだということである。
修善寺大会こそ、現在の国労の出発点でもあり、その精神の体現でもあった。2000年8月26日、臨時大会の続開大会で、当時の高橋義則委員長は次のように発言している。「86年の修善寺大会では分裂という大きな犠牲を伴いながらも、闘う国労の伝統を守り抜いたのであります。大会構成員・傍聴者の皆さんも、修善寺大会を成功させた仲間であり、また当時の国労方針を支持し忠実に実践をしたのが組合員であり、最大の犠牲者となったのが闘争団であります。」と。
2 国労執行部の変節と機動隊導入
国労執行部は、このように自らの立脚点を形成する修善寺大会の決議を転換し、敵の攻撃に全面屈服して、99年の「国鉄改革法を承認する決議」を決定しようとするころから、組合民主主義という面でも、反対派を排除して決定するという方向を取るようになる。そして、反対派を排除するために、警察機動隊を導入するにいたるのであるが、これこそ、まさに組合執行部として完全な変節を遂げた現れというべきものである。
3 導入の初期の状態
(1) 第64回臨時大会(99年3月18日・中野ゼロホール)
自民党は、1998年5月28日の東京地裁不当判決を背景にして、国労に「改革法を承認し、訴訟を取り下げよ」と迫ってきた。同年6月2日自民党政調会長山崎拓は、JR各社に和解を働きかける条件として、@)訴訟で控訴しない。A)他労組の理解をえる努力をする。B)国鉄改革の趣旨を認め機関決定する、と従来の自民党の主張をもとにしていわゆる自民党3条件を国労に提示してきた。これは国労の方針転換をせまる露骨な支配介入であり、労働委員会命令を否定するものであった。
1999年3月18日、この支配介入の結果、国労は臨時全国大会を開催して、組合員から反対の声が多くでて意見が二分し混乱する中で、「国鉄改革法承認」の機関決定を強行した。
これが最初の機動隊導入であり、国労本部の変節のエポックメイキングでもあった。ただ、この大会においても、会場が狭いという口実で傍聴者の人数制限があったが、組合員の大会傍聴の権利は認められており、また、大会会場前でのビラまき・説得活動も可能であった。
(2) 第66回臨時大会(2000年7月1日・社会文化会館)
2000年5月30日、「JR不採用問題の打開について」なる自民党・公明党・保守党と社民党による4党合意文書が発表され、国労中央執行委員会はこれを直接の当事者である闘争団にはかることなく受諾した。これは、表題は争議の解決案のごときであるが、一切の解決条件(採用人数や賃金補償・解決金の額など)が示されず妥協案というにもほど遠い、JR側の言い分の押し付けであった。
この合意の内容は、「人道上の解決」として、国労に「JRに法的責任なしを認め」させ、それを「臨時大会で決定」し、「訴訟の取り下げ」を強要するものであり、そのような国労の全面屈服を前提として、それがなされたらようやく自民党ら与党がJRに「雇用の場の確保につき検討を要請」するだけというものであった。
4党合意は、JR及び運輸省が、組合差別だけではなく労働委員会命令を履行しないという違法行為を重ねた上に、運輸省、自民党、JRが国労に対して「不当労働行為責任の追及を放棄せよ」と迫るものであり、労働委員会申し立てに対する不利益取り扱いの労働組合法第7条4号違反であり、国労に路線転換をせまる支配介入として労働組合法第7条第3号違反である。さらに、解雇を認めることの強要は、労組法第7条1号の不利益取り扱いである。
この4党合意に対して、国労闘争団から猛然たる批判がわきあがったのは当然であり、36闘争団のうち20闘争団が反対を表明するに至った。しかるに、国労本部は、4党合意の内容に反する「解決内容の同時並行交渉」「臨時大会で解決案を提示する」などの欺瞞をもって、同年7月1日の臨時大会の開催を決定したのである。
同年7月1日、国労本部は過半数の闘争団が反対を表明し、かつ「同時並行交渉」「解決案を示す」との約束もまったく果たされないまま、臨時大会を強行した。この結果、臨時大会は本部と闘争団、組合員間の深刻な対立をもたらし、闘争団及び反対派組合員の抗議と説得行動によって、開会が5時間にもわたって遅延された。ようやく開会された大会においても、反対意見が圧倒していたにもかかわらず、「拍手で確認」という非民主的な手段で決定を強行しようとしたため、怒った闘争団・反対派組合員が演壇に駆け上がり、休会とならざるを得なかった。
この臨時大会も、機動隊の出動を要請して行われたが、機動隊は、闘争団による会場前におけるピケッティングを排除できず、闘争団と家族が代議員や本部役員に約束の履行を迫ることができ、また闘争団員全員の傍聴と家族会の特別発言が行われて、闘争団とその家族の強い怒りが表明される中で、国労執行部も押し切ることができずに、休会となったのであった。
(3) 同続開大会(00年8月26日・社文)
同年8月26日、国労臨時大会の続開大会の開催を前に、国労闘争団の厳しい追及によって、国労本部は「7・1臨時大会の混乱の責任は本部にある」として、総辞職を約束するところまで追いつめられ、4党合意は全組合員一票投票によって賛否を問うとしてきた。しかし、運輸省の「総辞職するなら4党合意はなかったことにしてくれ」という支配介入によって、26日の大会においては総辞職は行われず、さらに、一票投票の決定は規約や議事運営規則に反するものであり、国労内に混乱がもたらされ団結が破壊されるとの闘争団の強い反対にもかかわらず、一票投票が強行実施されることとなった。
この大会でも機動隊が導入されたが、反対派の大量動員の包囲のもとに行われたもので、反対派の排除は徹底していない。
なお、高橋義則委員長の特別発言で、組合民主主義にふれている部分が重要である。「第3は組合民主主義の問題であります。これまで組合民主主義を最も大切にし、組合員の職場における闘いと大衆行動を軸とした闘いを進めてまいりました。節々での集会を開催し情勢の認識を一致させ意思統一を図ってきました。職場討議が十分にできるような時間的な保障と情報の提供が不十分であり、とりわけ大衆行動も自粛傾向にあったことも率直に認めなければなりません。」と。
(4) 第67回定期大会(00年10月28、29日・社文)
国労本部は、1票投票でも半数近い反対・批判票があり、「組合員の意思の集約」に失敗しながら、あくまで運輸省・自民党等の支配介入の下で、4党合意受け入れの決定を強行する第67回定期全国大会を10月28日〜29日に招集した。
この定期大会では、高橋委員長の冒頭挨拶において自民党・運輸省等による支配介入の事実とともに、4党合意の問題点が提起され、4党合意の経過をめぐって大会議事は紛糾し、結局4党合意受け入れを採決できず、休会となった。この大会も機動隊が導入されたが、大会会場前でのビラまき・説得活動は行われており、また闘争団など組合員の傍聴は認められている。
4 決定的エスカレート
(1) 同続開大会(01年1月27日・社文)
2001年1月27日、国労定期大会続開大会が開催されたが、3回にわたって闘争団及び組合員の強い反対で4党合意受け入れを決定できなかった国労本部は、いよいよ自民党・運輸省から責任を問われる立場に追いつめられ、警視庁機動隊1000名の配置という国家権力の制圧と威嚇の下で、4党合意受け入れを強行採決するに至った。しかし、闘争団及び賛成派も含めた組合員の裁判取り下げに対する強い反対があって、「最高裁上告審での公正な判決を求める方針」を決定した。
今回からの大会会場内外の警備体制の決定的エスカレートは、次のようであった。これまでは、大会会場管理者からの警備要請によって機動隊が出動しており、機動隊は会場の外側で反対派の行動を規制する態勢で配置されていたのであるが、今回からは、直接国労執行部が警視庁に対して事前の警備要請を行い、綿密な打ち合わせの上、会場周辺を機動隊が制圧し、反対派組合員を一切会場付近に近づけないような体制が取られた。
まず、会場前にバリケードが設置され、会場付近に反対派組合員や支援者が接近すること自体ができない状態にされた。これまで、会場前に闘争団をはじめ多くの反対派組合員や支援の仲間が集まり、会場を取り囲んで集会を行うことができたのであるが、そうした行動ができないように警備が強化されたのである。
傍聴者については、これまでと同様に大会代議員数の2倍の傍聴を認めたのだが、傍聴券の配布において賛成派に多く配布し、反対派の傍聴を厳しく制限し、また、会場係(警備係)を機関の正式ルートでの動員ではなく、賛成派の党派的系列での、確信犯的に反対派を排除できるような人間を動員するということを行っている。
また、大会代議員が反対派組合員と接触できないように、大会代議員の宿舎を指定し、宿舎から代議員全員と会場係をバスで送る態勢をとるようになったことが重大である。この措置によって、会場までの間で、反対派組合員が、意見を代議員らに伝え説得する機会が全く失われることになってしまったのである。このため、代議員がバスに乗り込む前しか、説得活動の余地はなくなったのである。
(2) 第68回定期大会(2001年10月13日・社文)
2001年10月12日(国労定期全国大会前日)には、国土交通省鉄道局が国労寺内書記長を呼びつけ、「今大会で裁判の取り下げを決定するはずだったが、一体どうなっているのか。それを決めなければ解決案はない」と迫った。寺内書記長は「約束は果たす。分裂覚悟で裁判の取り下げを決めます」と約束したのである。
その支配介入を受けて、13日の国労定期大会当日、突然に「運動方針(案)の追加について」という文書が配布され、そこには@)採用差別の東京総行動の中止、A)1月27日の大会での追加決議ー最高裁での公正な裁判を求める方針をあらためる、などの重大な方針の変更が記載されていたのである。しかし、この「運動方針(案)の追加について」は、4党合意に賛成してきた代議員からも、批判と疑問が続出した。それを受けて、「取り下げは解決時」という書記長集約が確認されたのである。
この大会も、その内容の緊迫性から、前回と同じ体制で行われた。
(3) 第69回臨時大会(2002年5月27日・社文)
定期大会での裁判の取り下げを阻止した国労闘争団は、大会から1年を経ても解決案を示されない状況の中、2002年1月28日、283名を原告として、鉄建公団に対する新たな訴訟の提訴に踏み切った。国鉄分割・民営化において採用差別をしたJRの不当労働行為の責任とともに、JR不採用の差別名簿を作成した不当労働行為責任が国鉄にあり、それを継承した清算事業団が、その不当労働行為責任が存在するにもかかわらず、1990年に2度目の解雇をしたことは、解雇権の濫用で違法とした訴訟をおこしたものである。この訴訟と最高裁訴訟参加は、いずれも個人の資格において行われたものであって、憲法に保障された「裁判を受ける権利」によるものであって、なんら統制処分の対象となるようなものではないはずであった。
ところが、国労本部は、2002年2月25日に開催された中央執行委員会において、「一部闘争団・闘争団員に対する生活援助金の停止と物資販売活動支援の停止」を決定し、訴訟を提起した闘争団員に対し、支援カンパによりこれまで行われてきた、1人につき2・5万円の生活援助金の停止と物資販売からの排除も決定してきた。このように国労本部は、1ヶ月わずか15万円程度の生活費で解雇撤回闘争を15年間継続してきた闘争団に、一層の苦難と生活破壊を強いてきたのである。
同年4月26日、自民党、公明党、保守党の与党3党は、闘う闘争団が鉄建公団訴訟に踏み切ったなどの事態に対して、「与党3党声明」を出して、一層露骨な国労への支配介入をしてくることとなった。声明はその2項で、「2つの矛盾」を国労に指摘し、「国労は、JRに法的責任がないことを認めたとしながら、引き続き裁判によってJRの法的責任を追及する姿勢を堅持するという言行不一致を未だに解消しておらず、さらには組織内をまとめるという点についても、4党合意賛成派が離脱する一方で、不採用関係者の約3分の1もの組合員が鉄建公団を相手取り新たな訴訟を提起するなど、むしろ矛盾は拡大している」、3項で「『4党合意の進展がないのは政府の責任であり、JR及び政党に対して必要な指導を行っていない』などと、何ら根拠もなく与党・政府を非難して自らの責任を転嫁する申立てを(ILOに)行っている」そして4項では、「4党合意の進展の遅れは、ひとえに国労執行部が矛盾解消の責任を 果たしていないことに帰せられるものである」「国労執行部が前述の2つの矛 盾を早急に解消して4党合意の前提条件を成就する目に見えた結果を出し、これが関係者に評価されることが必要であると言わざるをえない。この対応が4党合意から丸2年を経過する本年5月30日までに国労執行部においてなされない場合は、与党としては、4党合意から離脱せざるを得ない」(5項)と脅 迫して、5月30日という期限を切って、「裁判を取り下げ」「組織をまとめる」ことを迫ってきたのである。ここで、「組織をまとめる」とは、鉄建公団訴訟等の裁判取り下げに応じない国労闘争団の除名を指していた。
国労はこの与党3党声明による支配介入に屈して、同年5月16日付で「第69回臨時全国大会の開催について」という指令第11号を発し、5月27日の臨時全国大会の開催を強行しようとした。これは、わずか11日前の大会告示であり、一切の職場討議の余裕もなく、事前に組合員に議案の提起すらも行われていない。議案が組合機関に電送されたのが大会3日前というありさまであって、大会代議員にも全員には伝わっておらず、いわんや一般組合員には何が決定されようとするのかも一切知らされないという状態であった。現に大会の中で、千葉の小林代議員が、「私が議案を正式に受け取ったのは大会当日であった」と発言しているくらいである。極めて非民主的なやりかたであった。前述した高橋義則委員長の発言で指摘されている組合民主主義のあり方と正反対の大会の開き方であった。
事前の職場討議も皆無の状態であり、代議員に現場の組合員の声を届けることは組合の意思形成過程として不可欠である。しかも、この臨時全国大会で決定されようとしていることは、闘う闘争団員や反対派組合員の切り捨て方針であり、それが、当該当事者を交えた十分な討議もなしに行われることはあってはならないことである。切り捨ての対象となる組合員には、代議員らを通して自らの意見を反映させる権利がある。反対派組合員らが、執行部や大会代議員に対して、ビラまき・説得活動をすることは、当然かつ正当な権利である。しかるに、今回の大会も、機動隊によるエスカレートした厳重な警備体制のもとで行われ、会場前にバリケードが設置され、会場付近に反対派組合員が接近すること自体ができない状態にされた。会場付近でのビラまき・説得活動が不可能にされていたのである。
そればかりか、本臨時大会においては、事前に申し入れがなされていたにもかかわらず、メディア団体3社の大会取材まで理由を示さずに拒否し、大会の様子も自由に伝えることを許さないという姿勢を示したのである。
また、大会代議員が反対派組合員と接触できないように、宿舎から代議員全員と会場係をバスで送る態勢をとっていた。これによって、会場までの間で、反対派組合員がその意見を代議員らに伝え説得する機会が全くなかった。このため、宿舎前で、バスに乗り込む前しか、ビラまき・説得活動の余地はなかったのである。
このように、本件で、宿舎のホテル前でのビラまき・説得活動を行うことは、組合員として当然の権利であったのである。
第3 国労本部の変質、変節
以上みてきたように、国労本部は、99年3月の「国鉄改革法承認」をはかる臨時大会から、機動隊を導入して組合方針を押し通す極めて強権的な組合運営を強行してきた。このことは、それまでの組合民主主義を重視してきた国労からの明らかな質的な転換を意味していた。それ以後、最近における全国大会の度に行われる機動隊導入こそ、こうした国労の変質を促進するテコになっていたものであった。
こうした国労本部の変質の根本には、98年5・28東京地裁判決以降、顕著となった政府・与党などによる国労執行部への屈服の強要にたいして、「国鉄改革法承認」や「4党合意の受け入れ」という形で、その介入を率先して受け入れていった国労本部の姿勢にこそあった。それは、修善寺大会以降の国労のあり方を変質させる路線転換であり、これを受け入れるためには、当然巻き起こる反対派の抵抗と闘いを力ずくで排除しなければならないゆえのことであった。そのため全国大会の度に機動隊の導入を不可避とし、ついには今回の弾圧のように、同じ組合に所属する組合員の仲間をビラまき・説得活動を理由に 警察に売り渡すという前代未聞の事態にまで行き着くのである。
こうした国労の変質に対して、被告人らのとった国労本部派の宿舎前でビラまき・説得活動は、国労を愛し、闘いの旗を守ろうとする国労組合員として当然かつ正当な、またそれしか手段のなかった組合活動であったのである。
以 上