2004年3月16日
意見表明

被告人 松崎 博巳

1.「四党合意」による闘争団破壊は許さない!
 1047名の闘いと国鉄闘争の前進に追い詰められて、政権党・自民党が直接、国鉄闘争と国労の解体に乗り出した。それが、「四党合意」だ。それは闘争団を破壊・解体し、国労を破壊、解体しようとするものだ。政府・自民党は、中曽根元首相がいうように、国労を解体し、総評を解体する、もって戦後政治を総決算する、ということで、国鉄分割・民営化を強行した。そして、連合を結成した。それにもかかわらず、国鉄闘争が闘争団の闘いを軸にして1047名闘争として発展し、連合傘下の労働者・労働組合の支援をうけて力強く発展した。ここを政府・自民党は恐れ、自ら乗り出して、国鉄闘争破壊攻撃に出てきたのです。
 JRに法的責任なし、これは闘争団の13年間をすべて否定し、これからの人生を敗残者として生きていけと強制するものだ。
 これまでどれほど苦労してきたか。生活を支えるために、国鉄時代の仕事とは全く関係のない、物資販売をすることになった。人前で話をしたことがない、顔を真っ赤にして、舌がもつれながらも訴えることから始まった。私が物資販売の道を選んだのは、「解雇撤回・JR復帰」の闘いを直接多くの労働者に訴え、支援してもらうためである。家族も固定賃金断たれ、毎日苦しい生活を強いられた。
 地労委の救済命令が出たときにはみんな喜んだ。「元の職場に戻せ」「87年4月にさかのぼって採用したものとせよ」、これは当たり前の救済命令だが、「自分たちは間違っていなかった。これでJRに戻れる」と誰もが思った。そして、それをその後の運動のよりどころとしたのだ。
 ところが、それら全部を否定するのが「四党合意」です。しかし、それだけではない。闘争団をなき者にする、闘争団という団結体を破壊する、闘いの拠点になっている闘争団を破壊、解体、抹殺する。これが「四党合意」です。さらに、もって国労を破壊・解体するということです。こうして政府・自民党は「戦後労働運動の終焉(しゅうえん)」をもたらそうとしたのです。

2.首切り責任の追及をやめることはできない
 闘争団と家族は誰もが苦しい生活を強いられながら闘ってきた。その闘いを支えたのは、家族からいえば「夫の名誉回復」、私たちからいえば「解雇撤回・JR復帰」です。それは「地労委命令を守れ」ということであり、法律的にいえば「JRに法的責任あり」です。
 労働委員会命令には履行義務があるにもかかわらず、JRは拒否し続けている。労働組合法27条4項には「この(労働委員会)命令は、交付の日から効力を生ずる」とあり、5項でも、再審査申立をしても「当該命令の効力を停止せず」とあります。
 JRの地労委命令の履行拒否は違法行為であることは明らかです。会社が労働委員会命令の履行を拒否することはないという前提で、罰則はありません。JRはそれに付け込んで、違法行為を平然と続けているのです。
 運輸省も労働省も履行するようJRを指導したことはありません。
 このような違法を野放しにして「法治国家」といえるでしょうか。青柳裁判長は、この裁判を「労働基本権との関連でどう考えていくかが本件の主要な争点」と第17回公判で言われました。私たちは、地労委命令を受けても履行されずにきました。国労全体では救済命令を受けた対象者は1万5千人を超えています。この巨大な違法が前提にあることを認識していただきたい。
 さらに、JR不採用事件については昨年12月22日の最高裁判決を絶対許すことができません。98年5月28日の判決や最高裁判決は、国鉄とJRは別組織という反動的な論理をふりかざして、労働委員会の救済命令を全面的に否定したのです。この判決は、憲法28条の団結権保障と労組法7条の不当労働行為禁止規定を実質的にホゴにし抹殺するものです。
 この問題の核心は、不当労働行為があったという事実認定です。これは誰も否定することができないのです。
 裁判所は原状回復の責任がJRには及ばないとしたのです。国鉄改革法23条を作るにあたって、最高裁から調査官が派遣され責任がJRに及ばない仕組みにしたということは広く知られています。その調査官の名前は公表されています。
 国鉄分割・民営化は、自民党、運輸省、当時の国鉄当局の三者が一体で強行したものです。私は、その責任は手を下した者全てにあると思います。ですから、私たち松崎・羽廣の2名の闘争団も原告として鉄建公団訴訟を闘っていますが、この国鉄1047名問題の責任はJR各社にあることは誰がなんと言おうと明白であり、解雇者がJR復帰するまで決着がつかないのです。

3.うそとペテンを・・・国労本部
 国労本部から「『四党合意』の大会決定と同時に解決案が出る」同時決着ということ、そして、「解決案の中身は、『JRに戻れる』『数千万円もの補償が出る』」ということがまことしやかに流されました。
 大会ドキュメントのビデオにも「『四党合意』受諾だけの大会は開かないと約束したじゃないの」という言葉があります。前回の石井証人の尋問でも『国鉄新聞』と宮坂書記長が作ったといわれる「チャート」を示しました。
 一見して明らかなことは、国労本部は、「四党合意」承認と同時に「解決案」が出ると約束していたのです。
 九州に国労本部が来たときにも、同時並行で解決案が出ると説明されました。危惧を表明した闘争団員に対して、高橋委員長は、「解決案が出なければ大会は開かない」と約束したのです。
 ところが、7.1臨大の前夜になっても、「解決案」は影も形もありません。前夜には「四党合意」受け入れに反対する闘争団、組合員、支援が集会を開き、その終了後に、国労本部に詰め掛けて、高橋委員長ら執行部の約束違反を弾劾し、大会を中止するよう説得したのです。説得は深夜に及び、翌日も話し合いをする約束でした。
 しかし、7.1当日、国労本部は約束をホゴにし、大会を強行しようとしたのです。7.1ビデオに映っている、鈴木執行委員への大会会場前での闘争団家族たちの説得は、このような経緯があって行われたもので、しごく当然であり、開始時間が迫る中での必死の説得であった。だから、鈴木執行委員も闘争団家族の訴えにうなだれ、闘争団は間違っていないと頭を縦にふったのです。
 7月1日は、大会会場の社会文化会館前に集まった闘争団・家族が中心になって、大会の中止を求め続ける組合員を排除しようとして機動隊が導入され、組合員1名が不当逮捕されましたが、「JRに法的責任なし」を大会決定されたら、分割・民営化攻撃以来、解雇撤回・JR復帰を求め続けた13年間が無駄になる思いが機動隊を押し返したのです。開始された大会はビデオが記録している通りです。
 大会の代議員の数は、JR組合員が多く、闘争団の代議員は数人でしかないのです。家族の藤保さんが代議員に向かって「私たちの人生を勝手に決めないでください」と必死で訴えたわけです。
 しかし、本部は強硬に議事を進め、反対発言を打ち切り、本部案を拍手で承認しようとし、強引に書記長集約を強行したことによって、闘争団が壇上に登る結果となり、大会は議長判断で休会が宣言されたのです。
 
4.労働組合は組合員の意見を聞くことで団結できるのです
 8月26日の続開大会が決まると、多くの闘争団員がアルバイトも休み、自費で上京し、8月22日から連日、本部に対し説得活動を続けた。この説得には、当然支援も参加して行われたことがビデオに記録されています。
 「僕らは、13年間、国労本部からJRに法的責任があると教えられてきたんですよ。それが一日にしてひっくり返るわけでしょう。すごい問題なんですよ」(弁44号証11カット)
さらに、土村筑豊闘争団長は「国労本部がこの四党合意を受けるときに、みんな疑問に思った。それが悪いと思ったと、ね。悪いことだと。しかしながら、これを受けるに当たって、同時並行だということが確認されたから、苦渋の選択としてこれを、ね、決めたと。そういうふうに、全国の闘争団幹事会の中でも、九州オルグの中でも、言ってきているわけですね。その同時並行が7月1日までに破られ、そして組合員にさっき言ったようにウソをついてきている、相手との確認が破られたならばですね、通常であれば、四党合意は元に戻すべきなんですよ。」(同26カット)と本部を追求した。
 そして、ついに、高橋委員長は「闘争団のみなさんの話は間違ってませんです」(同43カット)と答えます。このような説得活動が続き、26日の大会を迎えたのです。
 大会は、高橋委員長の自己批判と一票投票を提案したあいさつだけで終わりますが、傍聴した闘争団は、団結ガンバローに唱和せず、抗議の意思を表した大会でした。
 10月の定期大会は、経過報告の段階から異議が続出し、修正動議が4本も出され、このような結果、本部が予定した議事運営は進行せず、方針案は採決されないまま休会となった。この10月大会でも多くの闘争団・組合員・支援が大会会場の外で会場内と一体になって、国労解体の「四党合意」反対を叫んだ。この闘いによって採決することができなかったのです。
 2000年5・30以来、2000年の3回の大会で闘争団と家族・支援は本部に対し、国労運動と闘争団切り捨ての「四党合意」受諾の大会決定を許さない闘いを続け、分割・民営化と闘い抜いた修善寺国労を団結の力で守ろうとしたのですが、国労本部は、こともあろうに、2001年1月27日の続開大会で自ら団結を破壊する行動に出たのです。それは、警察機動隊を導入して闘争団・組合員の意見を無視して、「四党合意」の受諾を強行したことにあります。ここに政府・自民党のねらいがあったのです。

5.暴行の事実はない
 私の意見の最後に事件当日の行動について述べておきます。すでに事件現場を撮影したビデオが証拠採用されました。
 このビデオを見ても、私たちが暴行したという事実はありません。事実は必死で説得を行っていることです。ビデオによって明らかになったことは、私たちが、分割・民営化以来、解雇撤回・JR復帰と、国労組合員であるがゆえに不当配属・不当差別に負けずに闘う闘争団を守りとおそうとする行為です。
 東京高裁もいうように「本件における有形力の行使は強度のものではなく、障害を負った者もいないなど、必ずしも重大とまではいえない事案」です。
 重大なのは、「四党合意」によって破壊された国労の団結です。闘争団の誰もが言うのは「『四党合意』さえなければ、組合員同士がこんなにいがみ合うこともなかった」ということです。そして、その対立は、同じ組合員同士が、一方で被告、他方では検察側証人となって法廷で対立するところまで行き着きました。 労働者の団結を守るには、「四党合意」を弾劾するとともに、自民党に屈服して組合員を国家権力に売り渡すところまで転落した国労本部を打倒し、この裁判で無罪を勝ち取ることです。
 政府といえども、検察官といえども、労働者の団結権を侵害し、国鉄1047名闘争を破壊することはできない。17年の歴史が示しているように、労働者の誇りにかけて無実・無罪を明らかにして裁判に勝利します。


2004年3月16日
意見表明


被告人 橘 日出夫

1. 00年12月14日国労東京地本「第67回続開大会成功にむけた見解」と01年1・27続開大会における「四党合意承認」大会決定

  01年12月14日 国労東京地本 は「67回続開大会成功にむけた見解」という声明を発表し、その前段部分で、「大会破壊を意図的に策する外部からの動員者・・・・・・(に対し)関係機関と協議し法的措置も含めて検討を進めている」として特に、第5項目で「続開大会成功のため、妨害勢力に毅然たる態度をとり、万全を期す。」としています。これは四党合意反対派を00年7月1日以来一貫して「妨害者」「妨害勢力」と規定してきた国労本部派が、警察権力を使って弾圧してででも、「四党合意」を大会決定することを決断したとみるべきです。
 この決断は、「四党合意」を新井中執とともに積極推進していた鈴木勉前中執が、東京地本執行委員に就任したこととも無関係ではないと思います。
 この東京地本見解を受けて、翌日の12月15日に、国労本部・高嶋―寺内執行部は、本部「指令19号」を発し続開大会を01年1月27日に開催することを決定したのです。
 東京地本酒田・鈴木らの警察権力の弾圧に依拠した「四党合意」決定強行決断が国労本部 の1千名の機動隊を導入した大会強行につながったのです。
 降り積もる雪のなか四党合意反対派闘争団・組合員は、最後まで社会文化会館前で、1千名の機動隊と対峙し「四党合意」に反対し続けました。

2. 01年10月13〜14日第68回定期大会と12月末、前国労中央執行委員・荒井らの脱退

 01年1月27日「JRに法的責任なし」の「四党合意」を機動隊暴力で大会決定した国労本部は、その年の10月定期大会で、議案にない「最高裁判取り降ろし」を急遽大会当日に提案しましたが、激しい反対意見に押されて、書記長集約で「裁判取り降ろしは、解決時」となりました。
  (02年5・27臨大議案書では、この書記長集約も反古にされている。)
 もはや、四党合意反対派を切り捨てることが出来ないと諦めた四党合意を最も積極的に推進していた前国労中央執行委員・荒井及び秋田地本・今井書記長らは、01年12月になると五百数十名を大量脱退させる暴挙を行いました。     
 しかし、高嶋―寺内国労本部は、国労分裂を働いた裏切り分子を糾弾するのでなく、「分裂を引き起こしたのは、闘う闘争団の独自行動だ」と分裂の責任をあろうことか闘争団に求めていたのです。
 これは、後に脱退した寺内書記長の脱退にあたっての本人の声明にあるように、分裂した新井・今井と同じく寺内自信がゴリゴリの国労解体・連合合流派であったからでした。

D四党合意撤回地労委における甘利証人採用と鉄建公団訴訟の提起

 02年2月15日 千葉地方労働委員会は、「四党合意」という新たな国家的不当労働行為の真相を明らかにするためには、四党協議の座長であり、自民党筆頭副幹事長であり、その渦中の人である甘利明議員を証人採用しました。それは至極当然であり、私たちの1年半に及ぶ労働委員会闘争の成果でした。さらに、4月15日、大阪府地労委で、4月22日、福岡地労委で、次々と甘利証人の採用が勝ち取られていきました。
 甘利議員は、証人採用されたことに対し激怒し、国労本部に抗議したといわれています。また、闘う闘争団員283名は、解雇撤回と雇用の地位確認を求めて、鉄建公団に対し新たな訴訟を起し、四党合意による闘争終結・解雇承認にあくまで反対し、「解雇撤回・原職復帰」を求めて闘いに立ちあがりました。甘利証人採用と時を前後する1月28日のことでした。
 事実上、自民党支配下におかれている国労本部は、直ちに鉄建公団訴訟闘争団員283名に対し「生活援助金の凍結・物販活動からの排除」という実に卑劣な兵糧攻めを行うとともに、2月3日に開催された中央委員会で「査問委員会の設置」を強行したのです。まさに、自民党甘利議員の「国鉄闘争つぶし」の意をうけた攻撃と言わざるを得ません。それでも、つぶれない闘争団と地労委証人採用に業を煮やした甘利氏ら与党3党は、4月16日の「与党3党声明」に行き着くのです。

E与党声明から5・27臨大にいたる経緯

(1)4・16与党3党声明の反動性と国労本部の嘘と欺瞞が自民党与党からも指摘さる。
 00年5月30日以来2年目に当たる02年5月30日までにという、最後通告的に期限を切って自民党ら与党3党は、@最高裁闘争の取り下げ、A鉄建公団訴訟組合員への統制処分、BILO書簡の撤回を大会決定せよと迫ったのです。後の02年12月25日付ILO書簡で、国労本部さえ労働組合への「支配介入である」と認めざるをえないような闘争団員の除名を要求するという凄まじい国家的不当労働行為でした。
 一方、私たちが何度も指摘しているだけでなく、直接交渉している自民党四党協議座長・甘利議員からも、「組合員に対しては与党・政府から解決案が出るがごとく宣伝して彼らの期待感を煽っている。このような、国労執行部の対応は、単に自らの延命策を図るものであり、・・・組合員とその家族の信頼を裏切り、関係者のこれまでの努力を無にする行為であると断じざるを得ない。」と指摘されているのです。国労本部の組合員に対する嘘と欺瞞が敵の側から暴露される形になりました。

(2)やむにやまれぬ宿泊所前の路上におけるビラまき・説得活動
 5月に入り、国労本部が臨時大会を開催するには、もはや時間がないと思われていたにもかかわらず、自民党支配下におかれ、警察権力に依拠する国労本部は5月16日になって、27日に大会開催を指令するというアクロバットを行ったのです。
 大会3日前に作成されたという大会議案書なるものは、与党3党の声明を丸のみしたB4版2枚のもので、それも代議員には当日に配布された者もいるという職場討議なしの大会開催であり、傍聴制限をしき、反対派を締め出し、四党合意賛成派地本、長野・盛岡等からの私兵的会場防衛隊を大量動員して会場内を固め、会場外は機動隊の暴力で反対派組合員を一歩も会場に近ずけないようにし、代議員らは宿泊所から直接バスで会場に乗り込むという、まさに、民主的な労働組合の大会とはとうてい呼べない、自民党に召集され、国家権力機動隊の暴力に支配介入された大会でした。そんな大会の状況のなかで、私たちは、四党合意撤回地労委で甘利証人を勝ち取ってきた成果をもって、闘争団員の除名に反対して、代議員に私たちのささやかなビラまきと説得・訴えができるのは、宿泊所からバスに乗り込むまでの路上しかないとしてやむにやまれず宿泊所にむかったのです。
 起こった事態について簡単に述べます。
 国労本部派は、はじめから、警視庁・公安部と事前に打ち合わせの上、私たちが来るのを知ってビデオを用意して待ち構えていました。
ビデオを用意したのは、大会準備地本である東京地本が、その会議において、「今度は、ビデオに収めて、告訴できるようにするため」と鈴木証人が証言しているように、あらかじめ弾圧意志があったからであり、私たちがビラを手に手に持って、既にホテルから出てきていた黒執・浅川組合員らや他のホテル宿泊客に何事もなく、手渡していたにもかかわらず、鈴木証人は、「阻止線を張って待っていた」として、その突破の意志を固めていたのでした。
そして、ホテル内で、東京地本・笹原準備地本事務局長らが謀議し、「3列縦隊でバスに乗り込む」という方針を出し、ホテル入口付近にいた私たち10名程に約30数名が体当たりしてきて、国労本部側が「5秒後の混乱を予測して」(鈴木証言)意識的にもみ合いを作り出したのです。30数年間の国労運動のビラ撒き・説得活動のなかで、体当たりされて、突破されたのは初めての事態でした。
私たちのビラまき・説得活動という正当な労働組合活動にたいし、あらかじめ警察と結託し、3列縦隊でぶつかって、混乱を引き起こしたのは、国労本部側のあらかじめの弾圧意志にもとづく計画的告訴方針の貫徹であったのであり、1047名闘争壊滅にかけた国家権力との共同意志にもとづく、四党合意反対派闘争団員及び組合員の権力売り渡しだったのです。
 このような警察権力と国労本部が一体となった国労の団結破壊を許しておいて1047名闘争の勝利はありえません。改めて、怒りが込み上げてくると共に、無罪勝利を勝ち取り、闘う国労の再生のために闘う
ことを明らかにしておきたいと思います。

(3)5・27当日における甘利議員への労働委員会証人出廷要請行動
 私たちは、ビデオでも明らかなように、東京グリーンホテル御茶ノ水前でのビラまき・説得活動の後、大会会場前にて、全国の四党合意反対派組合員と合流し、「3党声明反対」「闘争団の統制処分反対」の抗議闘争を行い、昼近くになって大阪・福岡両地労委で甘利証人採用をかちとったことを機に、自民党本部・自民党議員会館へ証人出頭要請行動をおこないました。
自民党本部会館では、会館責任者と面談することができ、「私たちの要請を、甘利議員に伝えるように」との約束を取り付けました。
続いて、議員会館へ赴き、甘利議員との面会を求めましたが、甘利議員は会おうともせず、仕方なく、私たちは秘書に「地労委へ証人出廷するように」との要請を伝えました。
 私たちのこのような、労働委員会制度にもとずく、証人採用とその出廷要請行動という労働者の団結行動にも、警視庁公安部10数名が尾行・監視し弾圧の機を窺っていたことは今回の5・27臨大闘争弾圧と無縁ではありません。

F5月27日臨大以降後の国労本部の動向

(1)国労脱退・分裂と連合化策動

@北海道における国労分裂・連合化策動
 2003年10月中旬 国労本部前書記長・寺内は、兼ねてから北海道鉄産総連と共同歩調を取ってきた北海道エリア本部役員らとともに260名を国労脱退させ連合へ合流するという許しがたい裏切りを行いました。2カ月前は国労本部の書記長として、闘う闘争団員22名を3年間の権利停止処分にした張本人が、国労を分裂させるというように、国労本部は国労解体・国鉄闘争破壊の尖兵の集団ではないかと思わせる暴挙でした。
A九州・西日本における国労分裂・連合化策動
 国労西日本エリア本部の上村委員長は、四党合意時の本部副委員長であり、当時から連合合流を指向しており、自らが所属する革新同志会(革同)の会議の場でもそのことを隠していませんでした。その国労西日本エリア本部・上村委員長が山本書記長、田中副委員長ら三役を従え03年1月、JR西日本連合主催の「賀詞交歓会」に出席し、JR西日本社長・南谷氏らと歓談しているということがJR連合のインターネット上にながれました。それを近畿地本委員会で代議員に追及されるや、上村委員長は「私には私の考えがある」と居直りました。その「考え」とは、03年4月18日、熊本県山鹿市にて、JR連合の森JR西日本エリア委員長、船津九州エリア委員長との間で交わされたJR西日本等の関連事業へ20から30名の就職斡旋と引き換えに国労九州450名を九州連合へ分裂合流させるというものだったのです。
 つまり、国労分裂・連合合流の「秘密会議」が行われていたことが、発覚したことによって、国労西日本・上村委員長の「考え」がずっと国労分裂・連合合流であったことが裏づけられたのです。

(2)闘争団切り捨て・1047名闘争破壊
 先ほども触れましたが、03年9月13〜14日の第71回定期全国大会において、22名の鉄建公団訴訟を闘う闘争団員の代表への3年間の権利停止処分を決定したうえで、03年12月22日の最高裁判所のJR不採用事件に対する「JRに法的責任なし」という反動判決を受けて、04年1月31日 第174回中央委員会で、国労本部・酒田らは、「この判決を機会に改めて政治の場における解決を求める」として四党合意路線を突き進んでおり、闘争団組織の再編、支援金のあり方の見直しと称して闘争団切り捨てに動いています。

(3)益々警察権力・公安部の弾圧に依拠する国労本部委員長・酒田
 国労本部が告訴の証拠として警視庁公安部に即日提出した「鈴木ビデオ」で明らかになっていますが、02年5月27日の 第69回臨時大会当日の午前7時過ぎバス車内から、酒田(当時)東京地本委員長が、以前から親しくしていると思われる警視庁公安部に対し「110番しろ」「もう、パクルしかないだろう」「逮捕できないですかね」「要請しているんですけど」等々と弾圧要請していました。
 その酒田東京地本委員長が、03年9月14日 第71回定期全国大会において国労本部委員長に、芝崎東京地本執行委員が中央執行委員にそれぞれ就任しました。前代未聞の、警視庁公安部に依拠した国労本部執行部が誕生したのです。
 私たちを、1年2か月も勾留したその責任を糾すべく、保釈後の04年1月31日 第174回中央委員会当日に酒田本部委員長へ団結権の保障と国労の団結自治の回復を求める申し入れ行動を行いました。酒田委員長は申し入れ書の受け取りを拒否したうえ、国労会館から会館前に待機していた公安1課の星警部らとの連携にもとづくと思われる、「退去勧告と法的手段行使」の恫喝を行ってきました。
 この日の申し入れ要請にみせた酒田委員長の対応によって、02年5月27日の警視庁公安部への弾圧要請が真実であったことを確信させるものとなりました。
04年3月2日には、国労本部「指示第51号・中核派による5・27暴力事件公判に対する取り組みについて」なる文書を全国のエリア委員長・地本委員長宛に発信し、公判への傍聴動員を指令するに至っています。02年11月の闘争指示55号に続く警視庁公安部と連携した反動的指示文書です。
国労本部は酒田委員長になってから、益々警視庁公安部との癒着を深めその弾圧に依拠する執行部となっています。

 以上、国労本部は、四党合意賛成派・反対派ともに全闘争団員とその家族、全組合員に対し、嘘とデマとペテンを弄し、幾重もの信義則違反を犯して、国鉄闘争解体・一掃のために、国労の団結と団結自治を破壊し尽くし、分裂と大量脱退をもたらしてきたのです。