2010年8月13日 更新

私の実家静岡市は、かつては、いろいろな鉄道、貨物線が走っていました。
そして、まさかこんな場所に鉄道が・・・というのも存在します
たとえば貨物線の「戦前:東洋モスリン専用線 戦後:鐘淵紡績線などの支線網(通称:静岡南貨物線)
がありました。
下の地図を見れば分かりますが、静岡駅から駅南へ続き、静岡産業館(現ツインメッセ静岡)を通って
カネボウ通りを進んで、静岡済生会病院から静岡瓦斯(ガス)まで続いた貨物線がありました。
当時は駅南は、荒地や工場だらけの土地で網目のごとく線路が通っていました。
現在は、その痕跡を探すのは非常に困難ですが、航空写真を見ると、
その線路跡に家々がその線づたいに建っているで
痕跡は分かります、また、八幡山付近の道路にところどころ、もっこりと膨らんだ箇所
があります。それは当時そこに踏切や線路があった証拠です。
そして静岡済生会病院あたりに異常に広い十字路がありまが、
それは、貨物線が斜めに横切る為のものなのです。斜めに建っている建物はその証拠。
また、いろんな工場へ行く支線(鐘淵紡績支線、松林工業薬品支線、大浜製紙支線)も存在しました。
もうひとつ静岡市を走った鉄道として安倍鉄道がありました。
これは大正時代から昭和初期までの短い間走っていました。
場所は、静岡浅間神社からやや北へ進んだ井の宮駅が始点で、牛妻まで通っていました。
廃止になって、既に70年位経っているので痕跡を探すのは非常に困難です。
しかし、今でも、終点の牛妻操作場跡の敷地が残っています。
そして、昔、計画線として静岡駅から藁科川を通って千頭までの大井川鉄道がありました。
結局、勾配が高くて当時の技術では不可能だったので、路線変更で、金谷駅が始発となりました。
(井川駅までの路線バスはあります。)
もうひとつの計画線で、静岡駅から、久能山東照宮までいく路線もあったようです。
(終点は三保らしい)これも企画倒れで、路線バスのみとなりました。

戦前:東洋モスリン専用線 戦後:静岡瓦斯線、鐘淵紡績支線、松林支線



航空写真 (昭和46年頃の航空写真はここ
上の写真の、真ん中辺りを注目してください。なんかカーブしている部分がありますよね。
これが、謎の静岡南貨物線跡(正式名称:戦前:東洋モスリン専用線 戦後:静岡瓦斯線)です。
静岡駅南側(新幹線ホーム沿い)から、静岡学園予備校の付近を通り、森下小学校
静岡ガス付近、から南へカーブし、南幹線道路を横切ります。
(その付近が一番それらしい痕跡が分かる) マピオンではここ(衛生試験所あたり)
そして、八幡山沿いに曲がっていきます。(上写真)
で、産業館通りに沿ってツインメッセ静岡付近の交差点を曲がり直進
その後、済生会病院付近の十字路を横切り
もう一つの静岡ガス付近(近くにタミヤサーキット場)まで延びていました。

@【貨物】巴川製紙所線
A安倍鉄道
B静岡鉄道静岡市内線
C旧静岡操作場(宝台橋)
D【貨物】 矢部コンクリート工業 静岡工場線
E【貨物】東洋モスリン専用線→静岡瓦斯線(現:静岡ガス)
F庵原(いはら)軌道
G静岡鉄道清水市内線
H静岡鉄道波止場線(右上側)
I清水港線
J【貨物】日立工場支線
K【貨物】日本軽金属線
L【貨物】大谷線(戦時中、プロペラ工場へ資材を運ぶために使用されていた)
M旧石部トンネル&弾丸鉄道路線
N静鉄賤機山リフト
O【貨物】東洋モスリン専用線→鐘淵紡績支線
P【貨物】(戦中)住友金属プロペラ工場 → (戦後)大浜製紙支線
Q【貨物】松林支線
R【貨物】大井川鉄道 井川線 井川駅-堂平駅 (レールはまだほぼ当時のまま残っている。たまに水没)
S静岡鉄道三保線(未成線)戦時中までに7割完成したが戦争の悪化、空襲により中止
21 【貨物】西武駿豆鉄道線【砂利採集場】

(((お知らせ)))
E付近にあった謎の路線はただの久能街道でした。実際は、反対の八幡山側沿いに南下し
住友金属のプロペラ工場の引き込み線でした。
貴重な戦時中の写真があるメールを頂き感謝しております

【最近の情報】2015年8月23日更新!!
静岡市には、今も昔も地下鉄というものはありませんが、昔 東静岡駅(貨物駅)のあたりに
地下へ続くレールが存在しました。
それがこれ

写真中央に地下へ入るレールがあります。これがどこに続くのか今でも謎です。
だれかご存知でしたら教えてください。
この当時(1990年6月7日)は、貨物レールがびっしりとありかなり爽快でした。しかし
既にこの周辺は東静岡駅(JR)、ビル群となり、貨物もかなり縮小されております。

((お知らせ))
上記の地下に続くレールの行き先が判明しました。情報提供、感謝感激です。
(2通メールがありました)
どうやら、これは当時、東静岡駅(貨物)、国道側の柚木方面に貨物を搬入するための
地下の迂回路線のようでした。
新幹線をオーバークロスする形で地下内にあるスイッチバックで旧東静岡駅に入るそうです。
そして柚木の相川鉄鉱の裏にその貨物の搬入口(連絡線)があったそうです。

NEW
2015年 8月23日
上記間違い、ご指摘のメールありがとうございました。
実際は、地上側でスイッチバックして
新幹線北側の線路から現在のJR東海静岡車両地区まで繋がっていました。

2001年3月7日分

最近わかったのですが、上の地図のDの先になんと 鉄道が走っていたようです。
そのまま安倍川の河川敷沿いを通っていました。
終点は不明ですが、恐らく緑ヶ丘にあった旧:鐘紡紡績工場(その後曲金に移転)だと思われます。

また、Lは最近メールを頂いて知った大谷辺りにあったナローゲージです。
軽便の機関車が使用されていたようです。
(静岡市立図書館で大谷に住んでいた家族の写真集の中にありました。)
記載に、(第二次世界大戦頃)にプロペラ工場の資材を運ぶために使用されていました。
この工場南側から大谷の有度山へ続く路線があったそうです。
現在 痕跡はまったくないと思います。

Mは、宮脇俊三編著の「鉄道廃線跡を歩く3」を見て知ったのですが、用宗駅から焼津駅の間に
あの弾丸列車の為の軌道と、旧石部トンネルがあります。
弾丸列車とは、 今の新幹線の元となるもので、第二次世界大戦頃に考案された
高速旅客列車の為の路線で、トンネルがまず造られました。
しかし、戦争敗戦により完成はしたものの頓挫され、
在来線がそれを使用していました。そして約18年後、
あの超特急新幹線用のトンネルとして使用されました。
なお用宗からの軌道跡はほとんど残っていません。
なお大崩あたりに、在来線の明治時代に造られた旧石部トンネルの廃坑があります。
なおこれを見た人は絶対ショックを受けます。
まるで猿の惑星のシーンです!
トンネルの片方が海に投げ出され、そのまま洗われ放置されています。
もう50年以上は経っています。(なんかアイオン台風で崩れたそうです)
Nの静鉄賤機山観光用リフトは、昭和49年7月7日に、
集中豪雨(通称七夕豪雨)によって、崩落しました。
(家の母は乗ったことがあります)
これは、今も痕跡があるみたいです。
同時に市電の清水線もこの七夕豪雨によって廃止されました。
(平成12年2月24日のyahoo newsで、その内容が掲載されていました)
追伸:当時、この静岡南貨物線沿線に住んでいた方々から、貴重な情報を 頂きました。非常に感謝しております。
こちらも、少しずつ情報をかき集めていきます。

A安倍鉄道の停車駅
井ノ宮→菖蒲ヶ谷→御新田→役場前→福田ヶ谷→下村→大土手→門屋→中沢→牛妻

B静岡鉄道静岡市内線の停車駅
静岡駅前→新静岡→県庁前→中町→呉服町→金座町→茶町→安西
(中町のあれは当時のものではありませんでした)
F庵原線の停車駅
【A】江尻→本郷→辻→秋葉前→西久保→嶺→松花→小路→新田→金谷
【B】江尻→辻学校前→辻町→秋場前→西久保→明神前→庵原役場前→庵原郵便局前→
   →庵原新田→庵原金谷
Aは鉄道廃線跡を歩くIII付録での停車駅
Bは地元に住んでいた人のホームページから参照
G静岡鉄道清水市内線の停車駅
港橋→万世町→市役所前→新清水→仲浜町→清水駅前→辻町→秋葉道→西久保→ 愛染町→嶺→鈴木島→袖師→横砂

H静岡鉄道波止場線の停車駅
波止場→松原→新清水(江尻新道→相生町) 昭和24年廃止、新清水から入江岡方面にやや異なったルートで走っていた)

I清水港線の停車駅
清水→清水港[貨物]→清水埠頭→巴川口→折戸→三保

S静岡鉄道三保線(未成線)の停車駅
桜橋→堂林→北矢部→村松→宮加三→駒越→折戸→羽衣松→三保