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ここでは、清水駅から三保までの清水港線を紹介します。

清水港線は、昭和59年3月31日に廃止された、路線です。
営業キロは、8.3キロで、非電化路線でした。この路線の主な特徴は、まずDD13による混合列車でしょう。
そして、巴川口駅前にある可動橋も名所で、当時の国鉄で4カ所しかありませんでした。
あと、鉄道岸壁がありこれは日本にただ一つしかありませんでした。なお、下の地図に「清水港駅」があります
読みは「しみずみなと」で、手動式踏切(現在はない)があった道路のちょっと清水駅寄りにありました。
この駅は貨物主体であったため、実は廃止された7年後に訪れた時にもなんと、使用されていました。
そして、訪れた時、ちょうどKATOの黄色い機関車がその踏切すぐそこまで、動いていました。
廃止された時は私は中学1年でしたが、時々三保文化ランドへ遊びに行っていたので、昼間でも
貨物のみの電車が走っていました。
支線は2つあり、1つは日立製作所の支線で折戸の手前で国道150号を交差し工場内に入りました。
現在も1部がそのままの状態の箇所があります。
もうひとつは日本軽金属支線で三保より先の工場まで進み、かなり広々とした操作場がありました。
よく鉄道関係の本では、全国で1番本数の少なかった路線(1往復のみ)と書いてありますが
それは混合列車で、貨物のみは頻繁(7本位)走っていたそうです。
混合列車といっても、利用者の大半は、折戸の東海大学付属高校の生徒でした。三保にも、同じ系列
の付属高校があるのですが、始業時間の都合で、この路線を使う生徒はいませんでした。
清水駅も、清水港線の駅ははるか遠くにあったので、一般の住民はあまり利用する人は
いませんでした。なぜか私の兄は乗っていたようですが。


線名 清水港線
調査年月日 1991年8月7日
調査場所 新港町〜三保
廃止日 1984年3月31日
写真1 清水埠頭駅跡。民家の裏にコンクリート式の古びたホームがありました。
調査当時も状態は結構良く、雑草さえ無ければ再復帰できそうな感じです。
現在は民家もろとも整備されてしまい、新たなビルが建っております。
写真2 清水埠頭駅の清水観光船のりば前の看板。古びた看板に清水港線の路線がある。当時は、清水の遊覧船や三保までのボート、伊豆の松崎港までの観光船がありました。
現在は跡形も無く埋め立てられ、別の場所に新しい港の玄関口があり、そこから伊豆の下田土肥までのフェリー、清水港めぐりなどの観光船が発着しております。
(原油高騰により清水-下田の高速船「希望」は2005/9/25をもって廃止されました)



写真3 巴川口駅前の巴川の有名な可動橋。
列車が来る時、ブザーが鳴り、橋が下に降りてきました。
現在は撤去されて跡形もありません

巴川方面を眺める

折戸方面を眺める
写真5 巴川口駅があった場所。調査した当時は広大な更地になっていました。
現在は下水処理場などあり全然跡形もありません。
写真6 巴川口駅のホーム。かなり長いホームで貨物主体というのがよくわかります。
調査時、既に撤去作業の工事が始まっており、往時の状態を見る最後の機会でした。
写真7 巴川口駅ホームを正面から撮った。ホームにある5本の木は現役当時から見守って
いました。今はどっか別の場所に植えられているでしょう。
後ろの小野田セメントは貨物運送で使用されていました。現在はたぶん無いでしょう。


写真8 宮加三にあるかつて清水港線や清水市内線を走っていた貨車や客車
ディーゼル車が静態保存しています。
現在もここに保存していますので見てみるのもいいでしょう。
写真10 かつて清水市内を走っていた60系路面電車。
横砂-港橋間(静鉄清水駅経由)を運行しておりました。
しかし昭和48年、七夕豪雨の影響で運転休止で昭和50年3月31日
そのまま廃止となってしまいました。
当時は安全地帯もなく、降車時は結構危険だったようです。
写真11 清水港線を走っていた客車(スハフ42 2105)。主に東海大学付属高校の生徒が
乗っていました。市民はあまりこれに乗った人は少ないです。
写真12 三保より先にある日本軽金属の支線に使用されていたアルミタンク車。
タンク車が静態保存されているのも日本全国では珍しいです。
現在は三保駅跡の公園に移転されております。
写真13 上記の静態保存から折戸方面に進むと、かつての清水港線のレールがそのままの
状態でありました。また橋桁にもレールがありました。
現在はサイクリングロードとして整備されてしまいました。
写真12 三保のバス停は当時のままの停車場の名前でした。
廃止後は、結構な本数のバスが清水駅まで連絡されています。
今はこの停車場の名前は変わっているでしょう。