スポーツ観戦の面白さ分析

1999/08/22

スポーツ観戦の面白さについて考えてみましょう。スポーツ観戦をしている時、一体何を楽しく感じているのでしょうか?

言うまでも無く、最も単純で分かりやすい要素は“勝利”です。応援しているチームが勝つことによる喜び。それだけで面白い、という人もいるでしょう。
しかし、それだけではないはず。
ひいきのチームが負けても「面白かった」と思うこともあるし、ひいきのチームでないチーム同士の試合を面白いと感じることもあります。

間違いなく、大きな要素としてあるのは「意外性」でしょう。特に非日常的なシーン。
野球だったら、ピッチャーの投げる物凄く早い球、とんでもなく大きなホームラン。サッカーだったらもの凄い勢いのシュート。バスケだったら超人的なジャンプとダンクシュート。バレーボールのとてつもなく強烈なアタックやクイック。この辺りは、そのスポーツのことを詳しくなくても楽しめる部分です。

ある意味では、選手のミスも同じ意外性の要素です。
思いもしないミスによる失点。それもまた意外性という面白さの一つ。
子供の競技なんかは、そういうプレーが多いでしょう。

さらにそのスポーツに関して詳しくなると、もっと複雑な意外性にも気が付くはずです。
野球だったら、セーフティバントなんかがそうかもしれません。意表を突いた配球や監督采配も。
サッカーやバスケだったら意表を突くスルーパスやアシストパス。意外な選手起用なんかも。


しかし、実は意外性と同じくらい、いえ割合で言えば実は大部分を占める重要なことがあると思うのです。特にプロスポーツにおいて顕著な部分です。
それは当たり前のプレー。“お約束”という言葉の方がふさわしいかもしれません。

“お約束”とはセオリーや基本のこと? 確かにそれも含みます。
トラップが下手でパスが繋がらず、、攻撃が組み立てられないサッカーほど、見ていてつまらないものはありません。あるいはストライクが入らない野球。いえ、小学生のプレーであれば別に構いません。小学生において、それは“お約束”ではないから。しかし、プロのレベルであれば、期待するだけの当たり前のプレーをしなければいけないのです。それを見ることが出来なかった時こそ、スポーツ観戦が面白くない、のです。

この“お約束”は、単純な基本技術だけではありません。
野球だったら、ファンは「一番バッターが何とか出塁し、二番が送りバント、クリーンナップで得点」そういった展開を予想しているのです。ですから、4番バッターが送りバントをする野球は、それは“お約束”とはちょっと違います。

チームのプレイスタイルに関するお約束もあります。ジュビロ磐田の例を出しましょう。
ジュビロのプレイスタイルはJリーグの中でも、最もパスをつなぐスタイルです。それは、過去にサポーターが見てきた中で作られ、Jリーグチャンピオンという結果と共に確立したのです。そんな中で、中盤を省略してゴール前へ放り込みしたら、それは“お約束”違反。サポーターは満足しません。

昔プロ野球で、「8時半の男」というものがありました。8時半頃に必ず登板するリリーフエースです。
これは“お約束”をより積極的に楽しむ例です。
「くるぞ、くるぞ、くるぞ、……、きた!」
この面白さです。
サッカーやバスケのお決まりの攻撃パターンなんかもこれです。例えば、サッカーで中央部でパスをつないで守備隊形を崩しておいてから、最後に上がってきたサイドバックにパスを回すなんていうのも。

ちなみに、この「くるぞ、くるぞ、くるぞ、……、きた!」の面白さというのが、『
スポーツアナウンサー』で書いた、アナウンサーが「起きたことを伝えること」に相当します。
モータースポーツで、スリップストリームに入った車がこれからどうしようとするのか?それは分かりきった“お約束”。しかし、それを楽しむ為に、アナウンサーは起きている状況を伝えなければならないのです。当たり前の手順を、その通りに伝えることによって、この「くるぞ、くるぞ、くるぞ、……、きた!」をより盛り上げることになるのです。
アナウンサーがそれを伝えること自体もスポーツ中継の“お約束”の一部であるといえるかもしれません。

“お約束”なのだから、原則としてはそれを破ってはいけません。特に“お約束”を破った上で、結果が出なかったら最悪です。
もちろん“お約束”を破る意外性もあるのですが、それは結果に結びついてこそ、その意義があります。


ということで、スポーツ観戦の面白さとは、まず、当たり前のプレーが展開されることが前提。そのベースがあってこそ、意外性のプレーが本当に“意外”となって、そこにとびっきりの面白さが現れてくるのです。
そして、当たり前のプレーの中で意外なプレーができるプレーヤーこそが、スター選手。サッカーで「ファンタジスタ」と呼ばれる選手達です。
……ということは、スター選手を生み出す為には、または、よりスター選手が輝く為には、当たり前のプレーをする選手達がいなければならないということかもしれません。