福田の涙、上原の涙
1999/12/31
1999年も終わろうかというこの時期、今年のスポーツ名場面などの特集番組が多数放映されています。
そんな中で欠かせないのが涙のシーン。それは実力を出しきったことの満足の感動であったり、若い力の生き生きとした姿に対する感動であったり、あるいは力を出しきれなかった悔し涙であったり……。
個人的に一番印象に残っているのはJリーグ最終戦での浦和レッズ、福田の涙。
それは、J2降格の悔しさ、サポーターに期待に応えることができなかった悔しさ、監督に信頼されずにこの大事な試合にほんの数分しか使ってもらえなかった悔しさ、むなしいVゴール、いろんなものが入り交じった涙でした。
さて、ある番組の調査で今年最も印象に残ったシーンとして第1位に挙げられていたのが、読売ジャイアンツ、上原投手の涙。
ホームラン個人タイトル争いに巻き込まれた上原は、チームメイトの松井と争っている、ヤクルトのペタジーニに対して敬遠の四球を命じられます。その直後のくやし涙でした。毎年当たり前のように繰り返されているシーンで、珍しい上原の反応に対する驚きということから印象に残るシーンとなったのでしょう。
でも、ふと気がついたことがあります。
福田の涙の時、そこには一緒に涙を流したサポーターがたくさんいたのです。
ついでに付け加えると、涙を流しながらも、なお「 We are REDS! We are REDS! 」と声援を続ける彼らに、こっちまでもらい泣きしそうになったくらいです。
他のスポーツ名場面の涙のシーンだって同様です。たいてい一緒に感動して涙を流す人がいるはず。
ところが、上原と一緒に涙を流した人はいたでしょうか? ( まったくいないとは言い切れませんけど。 )
上原の涙は「へー、泣いちゃったんだ」という、醒めた“他人の目”で見られていたとしか思えません。それはスポーツにおける感動の涙の場面とはちょっと違うものだったからではないでしょうか?現在のプロ野球が持つ 「問題点」 が生み出した場面に起因する涙であって、まともな世界では存在しないシーンだったはず。
しかも、マスコミの煽りという面も大きいのでは?もちろんプロスポーツにおいて人気というのは実力同様に無視できない面です。(浦和レッズが人気チームだから“J1残留争い”が注目を浴びた、とも言えるでしょう。) でも、上原が読売ジャイアンツの選手でなかったら、その時の注目のされ方は ( 浦和レッズが残留争いにいない場合の差と比べて ) 天と地ほど差があったのではないでしょうか?
上原自身の気持ちなんかは、別に悪いとは思わないんですが、これが今年のスポーツの印象にのこる名場面の第1位でいいんでしょうか???
(追記 2000/01/05)
ただこの問題、そんなに単純ではないな、と思えてきました。
例えば読売・松井の星陵高時代の 5連続敬遠。それはチームの勝利の為の戦術にすぎませんが、世間で論争を巻き起こしました。この戦術、理屈では全く批判される要素はないように思えます。満塁策などの常識的な戦術のちょっと極端なものというだけですから。しかし見ている人にとっては、なにか心に引っかかるわけです。
結局、これも上記の上原への敬遠の指示、個人タイトル争いの話と同じ問題を含んでいます。すなわち、野球という種目に存在する「チームの戦い」と「個人の戦い」という両面がある限り、そういったものは必ず現れてくると考えることができます。これは、サッカーやラグビーやバスケットで、こぼれ球やミスジャッジなどの“運”という不条理が必ずあるように、野球という種目が持つ固有の不条理と考えることができます。(「ミスジャッジ」参照 ) だとしたら「それがサッカーさ」と言い流すように「それが野球さ」と言い流すべきものかもしれません。
そう考えると、上原の涙は、サッカーでミスジャッジの結果の不条理に涙するのと同じだったと言えるかもしれませんね。だとすると、そういうものがあるのもわかるかな……。
ただし、(また反野球的なことを書いてしまいますが) 最後に付け加えさせてもらいましょう。
この要素は、野球には存在しますが、ベースボールには存在しないものです。ベースボールで存在しない理由はただひとつ。5連続四球や、個人タイトル争いの為の敬遠など、ファンが許すはずがないから。
(驚いたことに 「野球の話」 でも同じような結論になりましたが、意図したわけではなく偶然です。)
野球とベースボールの違い、そのもっとも大きな物は、パワーや技術よりも、ファンの質ではないでしょうか?
……いや、ファンの質というより、もっと根本的なもの。「こうあるべき」という要求をする自発的なファンの意思、意欲の違い?事実、上記論争は起きているのです。けれど、勝負を逃げる四球がなくなりそうな雰囲気はありません。球団主導で全てが決まる形式。
なんだか、日本人論なんかでしばしば展開される、自分で勝ち取ったものではない、与えられた自由や民主主義、そういう話を連想してしまいます。
与えられたもの、自分達が作ったもの……。
横浜FCの意義、それを考えずにはいられません。