ちょっと言い訳しますが、この文章は最初に書いてから何度も何度も書き直しました。どうも上手く説明できません。自分の理解が不十分なのもあるし。
でもいつまで温めてても仕方ないので、とにかくあげてみることにします。
どうしても納得できなかったり、後になって新たな理解により内容が変わるようなら、将来的に改訂版をつくりたいと思います。

でもこれってインターネットならではですね。本なんかで出版しちゃったら、普通は古い方は直しようがないし。


音楽の進化

1999/03/15

最初に断っておかないといけませんが、僕は音楽理論を学んだことはありません。絶対音階もありません。多少、いくつかの楽器を扱えますが、ほとんど独学みたいなものですから、ちゃんと楽器演奏をやってる人に比べたら弾けるというレベルではありません。
ということで、これから書くことに理論的な裏付けはありません。もしかしたらとんちんかんなことを書いているかもしれません。間違ったことを書いているようでしたらぜひ教えてください。(メールください。)
とはいえ、音楽好きの知り合いと話をするとある程度意見が一致することが多いので、強ち間違いでもないだろうなぁと思っているのですが……。


いつだったか、雑誌のインタビューで細野晴臣がこういう内容の発言をしたことがあります。
「19XX年から19XX年までに生まれた人でないといい音楽は作れない。」
この XX に入る数字は忘れました。が、ビートルズの活動した年だったと思います。
これはビートルズの偉大さを述べる為の誇張された言葉かもしれないのですが、ある意味で全く的外れな話でもない気がするのです。

「KinKi Kids の歌は唄い易い」と言われますね。あれは明らかに 1970〜80 年代のサウンドを再現というコンセプトで作られている音楽です。そういうことが意味するのは 1990 年代のヒット曲がそれらと違うこと、つまり時代時代によって流行音楽に質的な違いがあるということです。
残念なことに正確な理論で説明できないのですが、用いられる
コード(和音)やスケール(モード?)、その進行などに違いがあると思われます。細かい所まで言うと、音色や、リズムトラック(ドラムやベースのパターン)なども違いがあるでしょう。
(本当は「リズムトラックが変ったらジャンルが変わる」と言っていいくらいなのですが、今回はそれらについては触れません。)

このような、音楽における時代による質的な違いは、歌謡曲に限った話ではありません。
クラッシックとジャズを比べても明らかです。ジャズで使われる緊張感のある和音(
テンション・コード)は、クラッシック音楽ではあまり使われません。(多分、ドビュッシーらは除く。) ジャズが生まれてくる際にそういうものが一緒に生まれてきたのです。
クラッシックの中でさえ、そういう違いがあります。バロックの時代は単純な和音が使われていたのが、古典派、ロマン派、印象派、と時代が進むと複雑な音の積み重ねになります。ドビュッシーらがそれまで使われていなかったスケール(モード?)を使ったことなどなど。

調律の話も一緒にしてしまいましょう。バロックの時代は、
純正律をはじめとする様々な調律が用いられたりしましたが、その後は平均律しか使われなくなりました。
調律の話は長くなるのでここでは詳しく述べませんが、純正律で弾く「ドミソ」の和音と、平均率で弾く「ドミソ」の和音を聞き比べてみたら一目(聴?)瞭然です。平均率は音が濁っているです。けれども平均率に慣れてしまっている我々は、こうやって聞き比べないと濁っていることに気がつきません。(もちろん、現在でもアカペラコーラスなどは純正律で歌われていますし、吹奏楽などでも使われますから、そういうことをしている人や、高いレベルの絶対音階を持っている人などはそういうことを意識しているでしょう。)

この調律の話から、人間は慣れてしまったらそれまで不自然に感じていた物をそう感じなくなるということがわかります。きっと和音でもそうでしょう。最初は複雑な和音はノイズに聞こえていたのかもしれません。しかし、それに慣れるに従い複雑になることの耳新しさ(刺激?)というメリットが上回ってきたのではないかと思うのです。そしてジャズプレイヤー達はそれまでの汚い音と思われていた響きを「かっこいい」と感じたわけです。
和音の進行などでも同じことが言えます。あるいは転調や使用するスケール(モード?)も含めていいと思うのですが、それまで不自然だと感じていた進行や転調に慣れると、それがとっても面白く、かっこいい物に感じるのです。(まあコード進行に関しては複雑な和音だからこそ進行が可能になった物もあるかもしれないので、それを単独に語るのは意味がないかもしれません。)
またこれは想像ですが、おそらくポップスで多用される
シンコペーションなどの技法も、初めて使われた時には不自然、あるいは難しいと感じる人が多かった物ではないかと思うのです。
もっと別の例を挙げましょう。歪んだエレキギターの音、あれはかなりの人には騒音と感じられるのですが、ロックが好きな人にはかっこいいと感じられるわけです。多分時代が古いほど、あれを受け入れることが出来ない人の方が多いだろうと想像できます。
人工的なシンセサイザーのサウンドもそうです。シンセサイザーが出てきた時、楽器演奏者を含む多くの人はあの機械的なサウンドを嫌いました。しかし今ではシンセサイザーの機械的な音色も楽器音のひとつとして自然に使われます。


さて、ここまでは楽曲の質的な違いの話。ここからはそれを感じる人間の話です。

そういった、楽曲の質的な違いについて、感じ方には個人差があります。
年配の方がどうもロック系音楽に馴染めないとか、最近の歌謡曲を難しいと感じて KinKi Kids の歌なら歌い易いと感じることです。(KinKi Kids の最新のはモロ Backstreet Boys してますが。)
これは僕が考えている仮説なのですが、これらの、何をかっこいいと感じるか、何を難しい、不自然に感じるか、というのは、ある程度は先天的なものがあり、それに加えて年齢と共に衰えていく「適応能力」が関係するのではないかと。そしてその人の「適応能力」が働いていた時期に聞いていた音楽によってどう感じるのかが決まるのではないかと思うのです。
つまりずっと童謡ばかり聞いていた人はある程度歳をとると、新しい音楽、例えばテンポが早かったり、シンコペーションが多用してあったり、転調を繰り返すような音楽に適応できないのではないのはないかと思うのです。
また、その「適応能力」のせいで、同じ人でも時期によって感じ方が変わるのでは?

適応能力あるなしに加えてどれだけ学習したかも重要です。学習とは実際どのくらい聴いたかということ。
あるアーティストの楽曲を、最初に耳にした時より、そのアーティストの次のアルバムを聴いた時の方がすぐ耳に馴染む、という現象があります。これはそのアーティストの癖、メロディやコード進行のパターンを聴いているうちに学習して覚えるからだと考えられます。
アーティストによるメロディの癖はかなりあります。例えば PUFFY のアルバム聴いていたら……、ほとんどが「明らかな奥田民夫節だなぁ」という中で「これ奥井香(元プリプリ)作曲じゃん」ってすぐ気が付いたりとか。(でもトータス松本の曲は聴いた時は気が付かなかった。) またはアレンジでわかるものも。吉村由美のソロが僕の好きな PIZZICATE FIVE の小西康陽の曲だったのは曲調に加えてアレンジで気が付きました。
こういったものはどれだけたくさん音楽を聴いたことがあるかが大きな要素になっています。それによって同じ曲を聴いても、人によって感じ方が違うのは当然の結果です。
(推理小説や SF小説で、過去に読んで知ってるネタ次第で次に読む本の評価が変わるのと似ているかもしれません。)

ボサノバの名曲『イパネマの娘』、ユーミンの『中央フリーウェイ』、ドリカムの『晴れたらいいね』というとピンと来ますか?
これらの共通点は、曲中で部分的に転調すること。こういう、ころころ転調する曲は、たいていの人は最初は不自然に感じるはずです。まあ『中央フリーウェイ』はかなり慎重に計算して作ってあるのでそれほどではないですが、『晴れたらいいね』はかなり大胆な作りです。ですが、それらも聞き慣れてくると心地よく感じたりします。いえ、人によってはいつまでたっても不自然に感じるかもしれませんし、最初から不自然に思わない人もいるかもしれません。
ドリカムは、『晴れたらいいね』ほど派手ではないですが、この「曲中の転調」が個性の一つで、かなりの楽曲でそういう技法が使われます。アーティストの癖と言ってもいいです。『決戦は金曜日』なんかも結構派手な転調してますよね。ドリカムが良い悪いという評価とは別に、この転調に馴染めないでドリカムが好きではないという人はいると思います。
おそらく 1970〜80年代には日本にそういうアーティストはあまりいなかったのではないかと想像します。ユーミンが軽く取り入れていたくらい。しかも『中央フリーウェイ』程度の軽く取りいれるくらいがかっこよかったわけで、その時代にドリカムくらいやってもきっと受け入れられなかっただろうと思います。

ところが、今の若いアーティスト達は、変わった転調や、一味違うコード展開の曲を当然のように作っています。例えば川本真琴が作るコード進行(『1/2』、『DNA』 etc.)。椎名林檎が1番と2番で平然と移調してたり(『歌舞伎町の女王』)。Jungle Smile が、最後のサビの繰り返しで導入音だけ半音上げて移調すると見せかけておいて何事もなかったように元に戻す(『おなじ星』)、など。 (ここで一味違うと感じるのは僕の話で、人によっては不自然に感じるだけだったり、あるいはなんの特徴も感じない人もいるかもしれませんが。)
これらは、おそらく彼らが子供の頃に誰かがおこなった、控えめなチャレンジのサウンドを聴いて育ったからこそだと思うのです。それがあるから、さらに次の新しいものにチャレンジするわけです。
それは聞き手も同じです。これら、作り手と聞き手の双方が感じることで、時代全体の意思としての、新しい音、かっこいい音、というものが出来上がっていくのです。
そしてそれは時代と共にどんどん進化していくのです。それを作っていくのは主に若い世代。もちろんその時代の平均から、はずれた所にいる人もいれば、先を行ってる人がいたり、様々な場所に人がいるわけです。


さて、といったところで僕のいる場所について。
僕の個人的な感覚で言うと 1970〜80年代、いわゆるアイドル歌謡曲は嫌いでした。それらのサウンドには全く魅力を感じませんでした。(むしろ 1960 年代のヒット曲の方が古臭い印象ながら面白いものが多い気がします。)
しかしその一方で、確かに「ユーミンのサウンドは新しい。他の歌謡曲とは違う。」 そう感じていました。オフコースなども同様です。サザンはそれらと歌謡曲の中間くらいかな。
ところが今現在では、その新しいと感じていたユーミンのサウンドをやや古臭く感じます。サザンも同じ。いえ、それらが質的に変わったとは思っていません。
彼らのサウンドは昔から、多少は変わっていますがやっぱりそのアーティストが作り出したある程度の枠の中に留まっていて、我々聴く方や、他の若いアーティストが作るサウンドの方が進化して追い越したと感じるのです。
これが、適応能力が年齢とともになくなるのではないかという仮定の根拠で、いつまでも適応能力があったら、ユーミンやサザンが、今の若い世代と同じような新しいサウンドが作ることができると思うのです。しかし、実際はユーミンやサザンのサウンドは“やや”古臭いです。いや、彼らの能力を持ってすれば、最近の若いアーティストが作るサウンドを真似て作ることができるはずなのですが、彼らはそうしようとしないのです。おそらく、それほどかっこいいと感じていないのです。

近頃のヒット曲はカラオケの影響を受けて……、と馬鹿にされたこともありましたが、それらは明らかに若者達に、過去よりも強く支持されています。これは洋楽の人気との相対的な差からもわかります。一昔前に多かった日本国内における洋楽のヒットというものが最近ではほとんどありません。別に洋楽の質が下がったわけではありません。邦楽の質が洋楽に近づいた為に洋楽を要求する人が減ったのです。
僕の価値観では、最近の邦楽は洋楽同様に面白い物が多いです。1970〜80年代のヒットチャートは個人的に納得できないものばかりで許せなかったのですが、最近のヒットチャートは納得できる物が多いです。
アイドル物にしても、例えば次々に実力派ライターから楽曲の提供をうける SMAP もそうだし、SPEED にしても必ず曲中に「おや!」っと思うようなコード進行が組み込まれていて面白いと感じます。(最新のやつは余り面白くなかった。) 批判の多い小室哲哉系にしても大量生産のツケで聴き飽きた感はありますが、やはり昔の歌謡曲に比べると遥かに好感が持てます。
つい最近に至っては Misia や 宇多田ヒカルのような、明らか HipHop 系サウンドの影響を受けたもの(一般には彼女らは「ニューR&B」と言われていますが HipHop の影響を受けているのは間違いありません。)が売れることからも、昔と違って自分と国内のヒットチャートとの感覚の近さを感じます。
(あとは、ガラージハウス ‐ ソウルフルなボーカルをフューチャーしたハウスというジャンルのダンスミュージック、が国内でも売れてくると、僕のセンスとピッタリ一致するんですけどね。)
ということで、今は自分としては最新ヒットを作る若者とほぼ同じ場所にいると思うのですが、これから先、いつまで留まることができるでしょうねぇ?


さて、最初の細野晴臣の発言に戻りましょう。
その言葉の意味をこう解釈してみました。
彼の感性で「いい音楽」と感じるものは、ビートルズサウンドや、それの影響を受けたサウンドを聞いた世代が作ったものだけ。それ以後の世代になると、彼にとっては不自然に感じるサウンドを作る人達かもしれない、と。
まあ実際問題、細野晴臣がそういう古い人間の立場になるなんてのは想像できないので、その言葉はやはりビートルズの偉大さを表現する為の言葉だったのではないかと思うのですけど……。


今回は、かっこいいサウンド、新しいサウンド、という観点で話を進めました。
注意しなければならないのは、「名曲」という観点はこれらとは別のものであるということです。
名曲は、音楽の技法やジャンルにとらわれない物です。技巧が素晴らしくて名曲というものもあるでしょうが、童謡にもあるだろうし、1970〜80年代のサウンドにも、最新ヒット曲にもあるでしょう。歌詞とのコンビネーションも重要な要素かもしれません。が、クラッシックや映画音楽のインストゥルメンタル(歌詞のなし楽曲)にもあるでしょう。人によって名曲が違うかもしれません。
名曲を語るのはちょっと僕には力不足っぽいので手をださないことにするつもりです。


おそらく、僕が感じることを理論的に説明してくれているのがこれではないかと。
PUFFY のどこが凄いのか、具体的に解説してあります。

音楽理論について

ここにもちらり音楽理論自体が発展するのだ、という話が載っています。

音楽理論

ヒット曲のコード進行が解析してあります。
でもこういう「部分」を取り出すのは、重要な要素の一つだとは思いますが全てではないな、と感じます。
ただし、この人が言うビートルズのコード進行の特異性に関しては、もしかしたらこれが細野晴臣の言いたかったことなのかもしれません。

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