(追記 : 2000/02/27)

この文章は全面的に書き直しました。こちら をご覧ください。


ミスジャッジ

1999/03/23

Jリーグでは、よくミスジャッジが問題になります。
ミスジャッジでPKが見逃されたり取られたり。その結果が1点差の負けであれば愚痴りたくなる気持ちもわかります。

ところが、ほぼ同類のスポーツであるバスケットではあまり問題になりません。
これはバスケットの場合、ミスジャッジよりも明らかに外したシュートの数が多いからでしょう。
NBA であろうとも、フリースローを全部入れるなんてことはほとんどありません。最終的に1点差で負けて、しかも明らかなミスジャッジがあったとしても、「あのフリースローを決めておけば勝っていたのに!」ということになるからです。

しかし、そう考えるとサッカーだって同じはずです。
決定的なシーンで FW はシュートを外しませんでしたか?
MF は中盤でつまらないミスパスしませんでしたか?
DF はクリアミスをして相手の攻撃機会を増やしていませんでしたか?
GK はキャッチミスをして余分な CK を与えませんでしたか?

ミスジャッジは審判のミスです。それは選手のミスと同等なものです。
審判のミスを責めるなら、同じように選手のミスを責めなければ不公平です。

そもそも、審判のミスジャッジを負けた理由にするのなら、勝った時も審判のミスを理由にしなればなりません。そんなの楽しくないでしょう?
勝った時は選手(とサポーターの声援)の力で、負けた時は審判のせいなんてのはちょっと虫が良すぎます。

もう一つ、別の見地から。
ミスジャッジも、選手のミスも、あるいは得点も、それらは確率の問題なのです。
決定的なチャンスをたくさん作ったチームが、たくさん点を入れる可能性が高いのです。
危ない場所に持ち込まれる回数が多いほど、ミスジャッジでPKをとられる可能性が高いのです。
不用意に裏をとられる選手はどう判定されても文句が言えないギリギリのバックチャージをする可能性が高いし、不用意に足を上げる選手は蹴るつもりはなくてもラフプレーとしてレッドカードを出される可能性が高いのです。
つまり、たとえミスジャッジで不利益を被ったとしても、それはミスジャッジになる確率が高いプレーが多かったからなのです。
それらは、きっと長い目で見たらチームや選手によって差があるはずです。その差は偶然ではなくチームや選手の能力の差なのです。能力のある選手は、ミスジャッジを取られる前に対処したり、ミスジャッジ取られにくいプレーをしているはずです。

ちょっと話はそれますが、この確率論に関しては、ミスジャッジだけでなく、たいていのスポーツの重要なポイントです。
得点を取る競技は「得点の入る確率の高い」プレーを「数多く」行ったチームが「勝つ確率が高い」のです。
バスケなどは攻撃機会はほぼ同じですから、どれだけ確率の高いプレーをするか競っているようなものです。
サッカーの場合は、バスケよりはちょっと複雑です。時間的に圧倒的なボール支配をし、しかもたくさんのシュートを打ったチームが、少ないカウンター攻撃をするチームに敗れてしまうことも結構あります。
ボール支配率が高かったり、シュート数が多いと優勢だ、などと勘違いをしてはいけません。

(得点の確率)=(得点しそうな相手にとって危険な攻撃)x(回数)

守備のシステムが確立している近代スポーツでは、ゆっくりパスを回して組み立てながらの攻撃ではなかなか点は入らないものです。
バスケにしても速攻を多く出したチームが有利というのが常識です。
時間をかけても攻めるということは、上の式における危険度が下がるだけ。
はっきり言って、遅攻で崩す技術力のないチームは相手の守備隊形が整ったら、適当にゴール前に放り込んで相手のミスなどの幸運にかけるほうがいいです。無理してディフェンス陣が攻撃参加してカウンターくらう方がよっぽど危ない。
(「サイドでのパスは3本まで」とか「8秒以内にシュート」など指導する人もいましたね。
そういえば、オフトジュビロの最初の半年、自陣内でのパス回し禁止というのは正しい判断だったと思う。パス下手な選手はパス回しちゃ駄目です。)

ただ、そういうのをわかった上で、カウンターやイチかバチかのパスではなく、多人数のパス回しでじわじわ崩すことができるチームにこそ、羨望の眼差しが送られるのです。


ミスジャッジの話に戻ります。

そもそもサッカーに審判はいなかったそうで、自己申告性だったらしいです。なんたって紳士のスポーツですから。
しかし、そのうちさすがにそういうわけにもいかなくなり、お互いの利害に関係ない人を連れてきて『頼んで』審判してもらったそうです。
そうです、審判はお願いしてやってもらっているのです。お互いのチームが「この人のジャッジに任せましょう」とお約束した上で試合は始まるのです。
こう考えると、審判に判定の文句を言うのが、いかにおかしなことかわかります。(まあ試合中で頭に来ている時については同情の余地はあります。)
文句があるなら一度自己申告性でやってみたらどうでしょう?

それから、「
アメリカのスポーツとヨーロッパのスポーツ」で書きましたが、「ミスジャッジはお互いに起きるのだから公平だ」という考え方も重要です。
つい最近、審判2人制の議論が始まったようですが、ミスジャッジを無くすのは現実的にまず無理です。カメラで全方向から映して、プレーの度に確認しないと無理でしょう。
そんなの時間がかかってやってられません。僕はさっさと次のプレーが見たいです。
審判2人制の是非はともかく、とにかくミスジャッジは起こるもの、とみんなが理解することは忘れてはいけません。


さてさて、しかしながら、ミスジャッジが必ず起きる話と、審判の技術レベルの向上とは別問題です。
観客の立場から見て、審判のジャッジの不可解さほど不愉快なものはありません。
頭では上記で書いたようなことをわかっていても、感情としては
「あの審判、△×■○◇◆×。(伏せ字とさせていただきます。)」
となります。

ジャッジについての評価は絶対に必要です。
審判の技術レベルは明らかに個人差があります。上手い審判はミスジャッジが少ない上に、不可避なミスジャッジをカバーするゲームのコントロール能力(おそらく選手からの信頼感)を持っており、たとえミスジャッジが起きてもスムーズなゲーム進行をすることができます。
審判の技術レベル向上の為に、ミスジャッジがあったことは、ゲームの勝敗と別に言い続けなければなりません。

ここで大事なのは、特定チームのサポーターとして声を出さないこと。ミスジャッジで試合に負けたと文句を言わないこと。
特定チームのサポーターとして声を出しては、既に書いたような審判を頼むお約束に反しますし、公平な判断という説得力がイマイチ弱い。
いちサッカーファンとして声を出すこと、そこを注意して欲しいです。


ちなみに NBA の審判には背番号がついています。
その背番号が意味するのは、その審判の能力です。
少ない数字がついている審判ほど、前年に良いジャッジをした審判なのだそうです。
原則として審判がプロではないサッカーにおいてはそぐわないかもしれませんが、なかなか面白い試みですね。
(試みというか、きっともう定着しているのでしょうけど。)