(2006/05/31) 「星の王子様の世界」 ではなく て「星の王子さま世界」 だったことに気がついて修正。
『星の王子さまの世界』
1999/01/30
子供の頃は、たくさん本を読みました。
家に児童文学全集などがあったし、お気に入りだった、佐藤さとるや、椋鳩十などのシリーズは親がどんどん買い揃えてくれたので次々に読んでいきました。読み始めると最後まで読まないと気が済まないタイプで、深夜まで読みつづけることも。
そのせいか高校生くらいになっても得意科目は現国(ただし漢字の書きとりは除く)でした。
多分小学生の時でしょう。サン・テグジュペリの『星の王子さま』を読みました。
その時の率直な感想は、「おかしい、なんか変だ。」
それはそれまでに僕が読んだたくさんの本の中で、ほんとに唯一の異色な感想でした。
全編を通じて感じる暗さ。
子供向け物語らしい盛り上がりに欠ける6つの星巡り。
何かにたとえられて(?)くどくど繰り返されるきつねとの会話。
特にラストシーンがまったく理解不可能で、普段はそんなことしたこともないのに、この本だけはそこを何度も読み直したのを覚えています。
そして、その感想と、印象的だったウワバミ、バオバブ、ヒツジ、ついたてに守られるバラの花などのイラストと共に、この本は強い印象となって心に残りました。
高校生のころ、その『星の王子さま』が気になっていたこともあり、同じくサン・テグジュペリの『夜間飛行』を読みました。
正直、こちらは読んでいてかなり面倒に感じて、さらっと読み流してしまい、細かい話はさっぱり覚えていないのですが、ちょっとヘビーなお話で、
「こんな話を書く作者が、単純な童話を書くか?やっぱりあれ(星の王子様)には何か意味があるんだろうな。」
という印象を持ちました。
多少、自分でも書き物したことあるんですが、ああいう一癖あるような書き方に思い当たるところもあります。マニアックなSF作家なんかもやりそうな手法なんですが、もしサン・テグジュペリもそれと同じだとしたら、一見別の形の物に何かを潜ませて書くっていうのは十分有り得ることだと思います。
そして学生時代、本屋で見つけたのが、『星の王子さまの世界』(塚崎幹夫著-中公新書)。
ぱらぱらと立ち読みして、「ああ、これだ!」
さっそく買って帰りました。
この著者によると、『星の王子さま』に出てくるエピソードはそれぞれこんな意味を持ちます。
王子様が「これこわくない?」と聞いたウワバミはファシズムや帝国主義。
そして半年毎に食べられるのは、中国やエチオピアやチェコ。
当時、ドイツは6ヶ月毎に軍事行動を起こしているのがその根拠。
それから3本のバオバブは、ナチズム、ファシズム、帝国主義。(ドイツ、イタリア、日本?)
まだその芽が小さいうちに摘み取るべきであった、と。
6つの星巡りは、ナチズムやファシズムを野放しにしてしまった(それぞれに具体的な対象が実在して、著者本人も含めて、“大人”たちが必ず属する6種の人々)への批判。
例えば実業家は英語のビジネスマンという言葉が使われ(もちろん原作はフランス語です。)、それはずっと対岸の火事だと、自分達が真珠湾を攻められるまで参戦しなかったアメリカを指す。
バラの花のエピソードは、彼の(悪妻といわれている)妻への思い。
わがままで気まぐれな彼女を、自分がもっと理解してあげるべきだったという後悔。
そして、王子の死とは、自分の死への覚悟。
『星の王子様』が出版されるとほぼ同時期に、彼はフランスへ戻り原隊に復帰し、そして帰らぬ人となる……。
などなど。
ちなみにこの本は、(自分はアメリカに亡命したが、)「いま(戦下の)フランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをして」いる親友へ捧げられています。
まあ、ようするに、社会や、あるいは個人への思いを詰め込んだ物語である、という主張なわけです。
この説が、どのくらい一般的なのか、あるいは否定されているのかは知りません。でも僕は、かなり納得できる主張だと感じています。
その根拠は、ただただ自分が子供の頃に感じた違和感が説明できる唯一の説だから。自分の子供の時の素直な感覚って、今の自分の理屈より信じる価値がありそうだし。
良く言われているような、子供の純真な心、といった視点を否定するわけではありません。子供の純真な心があれば、という事自体は間違ってないのです。
しかし、少なくとも単純な子供向けの内容では無いと思うのです。
そもそもこの本が好きな人が必ず引用するフレーズ「ほんとうに大切なものは目に見えない」なんて、人生経験積んでない子供が共感するでしょうか?今となっては僕も素敵なフレーズだなと思うんですが、読んだ当時はなんとも思いませんでした。
帽子の絵に見えても実はウワバミの絵なのだ、というのは強く印象に残ってるんだけど。
そしてその言葉は、その文字どおりの意味と共に、この本についても同じ事を言っていると考えることはできないでしょうか?
もちろん、逆に一部でいわれる逃避の文学なんかではないでしょう。
むしろ、ほんとうに重くて深刻な内容だからこそ、童話のような書き方をしたのではないでしょうか。
ストレートに妻には言えないメッセージ、親友らに伝えたい自分の死への覚悟(けれど物語中の王子のように死を恐れていないのだということ)を、わざと童話に託して……。
読んだことはありませんが、他の作家による『星の王子様』の続編があるようですし、子供向けのアニメーションもあるみたいですね。
でも、もし『星の王子様の世界』の解釈が正解に近いものだったとしたら、そういうのはどうかなぁ……と。
だって死を覚悟した人の、いわば遺書のようなものなのだから。
この文を書く前に、ネット上で『星の王子さま』について検索かけてみました。
まず見つけたのがリンク集星の王子さまリンク ( -> 2006/05/31 リンク先修正 - 「星の王子様」総覧 )
そして僕と同じように違和感を感じた人を発見。
論文の抄録です。
フランスの50フランの紙幣に、サン・テグジュペリと『星の王子様』のイラストが載っていますね。
僕も、フランスへ行った際に、50フラン紙幣1枚は記念に持ち帰りました。
表と裏の両方に小さな星に立つ王子様と、それから表にはウワバミが象を飲み込んでいるイラストがあります。ずっとそれだけだと思っていました。
ところがつい最近気がついたのですが、表の王子様のイラストの横に、透明な印刷の「ひつじ」があるではありませんか!
いやー、気がつかなったなぁー。