歌詞と楽曲の連携

1999/04/07

小学校の音楽の授業でこんなことを習います。
山田耕筰は、言葉のイントネーションとメロディを一致させて曲を作った〜」
でも、その時思ったのは
「なるほどそれは素晴らしい。でも、方言で訛ってる人にとっては意味ないじゃん!」

よく例に出されるのが『からたちの花』。
「しろい しろい 花が咲いたよ」の「しろい」は “ろ” が一番高い音。
アクセントとメロディが一致していて、美しい日本語を再現している名曲だと。

と、こ、ろ、が、遠州地方では “し” にアクセントがあるのです。
三文字の言葉は先頭にアクセントがあるのがこの地域の特色と、新聞記事だったか何かで読みました。
つまり、遠州地方だと『からたちの花』はアクセントに反する曲なわけで、アクセントとの一致が名曲としての重要な要素だとすると、遠州地方では名曲ではなくなるわけで、それもまた変な話。

まあ、こんな方言云々はへ理屈だとしても、実際問題として、少なくとも僕とおそらく多くの若い人達は、口語のアクセントとメロディの高低が一致していないことには違和感を感じていません。(いや、年配の方でもどれだけの人がそこまで感じとる能力があるのか?むしろ方言による山田耕筰の評価の違いなんて聞いたことないから、そもそも感じ取れる人自体少ないのでは?)

これは「
音楽の進化」に書いた、慣れてしまうことにより不自然に感じなくなるということが影響してるのかもしれません。
文化的に残念なことかもしれませんが、それが現実というものでしょう。


さて、そんなところで、歌詞と楽曲の連携について書いてみます。
明るい曲調に明るい歌詞、暗い曲調には悲しい歌詞。
演歌の音階には演歌らしい歌詞。
これは当たり前ですね。

学生時代の話なんですが、上記とはちょっと違う方法の、計算されて作詞作曲されたと思われる楽曲を発見しました。そういう曲を発見したことがちょっと嬉しかったので、ここで発表することにします。
例によって理論的な説明はうまく出来ないのですが……。

楽曲は
斉藤由貴の『卒業』です。(作詞 松本隆、作曲 筒見京平)

この曲は、Aメロ、A’メロ、サビ、という形式で作られています。注目したいのはAメロとA’メロ。
Aメロが繰り返されるのは全部で3回。そのうち2つがこれです。

♪制服の胸のボタンを
下級生たちにねだられ
頭をかきながら 逃げるのね
本当は嬉しいくせして♪

とりあげたいのは、まずこの中の「本当は」以降。

♪離れても電話するよと
小指差し出して 言うけど
守れそうにない約束は
しない方がいい ごめんね♪

「しない方がいい」以降。(まあ文章的には「守れそうにない」からですが。)
いずれも歌詞の内容が、前と後で、逆説でつながるような内容です。

同じく、もっとはっきりしている3回ある A’メロから例を2つ。

♪人気ない午後の教室で
机にイニシャル 彫るあなた
やめて 思い出を刻むのは
心だけにしてとつぶやいた♪

これはこの中の「やめて」以降。

♪セーラーの薄いスカーフで
止まった時間を結びたい
だけど東京で変わってく
あなたの未来は縛れない♪

これは「だけど」以降。
つまり、Aメロでは最後の1行、A’メロでは最後の2行が、逆説的につながる内容なのです。
ここにあげなかった残りの1節づつも、ほぼ同じ構造で、逆説的につながる内容です。

そして、それに対応するメロディがどうなっているかというと……。
ここまで書けば予想がつくと思いますが、その逆説でつながる部分、Aメロでは最後の1行、A’メロでは最後の2行以降に、不安定なコード、すなわち、いかにも文脈的な変化が感じられるようになっているのです。

この曲でなくても、部分的に歌詞の内容とメロディが持つ情感の内容が合わせてあるということはあるでしょう。
しかし合計6個所の全ての歌詞の内容を、メロディの持つ情感に合わせて作ってあるなんて珍しいのではないでしょうか?
松本隆はきっと、うーんと頭をひねってこれらの歌詞を作り出したに違いありません。

そういえば、松本隆の作詞って、アーティストによって力の入り具合が違うと感じるのは僕だけでしょうか?
元一緒のバンド(
はっぴいえんど)だった、大滝詠一の楽曲の時って、松田聖子や近藤真彦の時より明らかに、「ぐっとくる」、とっておきの歌詞が用意されてるような気がするんですけど。
まあ、アーティストによって変えてあるんでしょうが。

ま、とにかく、そういう技巧的な意味と、加えてサビの歌詞とメロディの良さまで含めて、この『卒業』は、僕の中ではかなりの高位置につける「名曲」です。(特に、サビの歌詞の意外性「卒業式で泣かないと〜」は、初めて聞いた時にかなりの衝撃でした。)

ところで、松本隆、筒見京平、コンビと言えば、もっと有名な曲がありますね。
そう 『木綿のハンカチーフ』。

ふと思いついて、この曲について調べてみたら、ちょっとした仕掛けらしき物を見つけました。

♪恋人よ 僕は旅立つ〜♪

この、男性の立場で歌っている部分と

♪いいえあなた〜♪

以降の女性の立場で歌っている部分。
それらについて、なんとなく切り替わる部分の雰囲気が違うなぁ、と思っていたのですが、どうやらスケールが変えてあるみたいです。前半は
ペンタトニックスケールだけで作られています。(このあたり、理論的にあっているのかどうかはわかりませんが、雰囲気の違う理由としては大きくは外してはいないでしょう、きっと。)

(追記 1999/04/12) ペンタトニックスケールと言えば、中学生の時、音楽に興味を持ち始めるきっかけになった YMO の、「千のナイフ」や「THE END OF ASIA」のメロディを鍵盤で弾いていて気がつきました。「あれ、5つの音しか使ってないぞ?」と。それでこの5つの音を適当に弾くと、ソロらしきものが出来ることも発見しました。当時はそういう理論は知りませんでしたが。
でさらにその後気がつきましたが、ハチャトゥリアンの『剣の舞い』のラストの部分とか、
沢田研二の『サムライ』のイントロで、そのまんまの音階が出てきますね。

こういう歌詞と楽曲の連携による歌作りって、どのくらい行われているんでしょうね。
少なくとも、時間に追われて大量生産するような場面では、こういう作り方はされないだろうと想像できますが。