環境問題の話
1999/02/25
ここでは、中学生だか高校生だかの頃に考えた話を思い出して書いてみます。
当時、鯨を捕っては行けないとか、日本のトキを絶滅から守ろうとか、という感じで、地球環境を守ろう、生態系を守ろう、とかいうようなことが叫ばれていた頃でした。
その頃読んだのが、新井素子の『ネプチューン』。
新井素子っていうのは高校生でデビューした、一人称で書くので有名な SF 作家(つっても高校生の頃の作品はSFラブコメという方が適切かな。コバルト文庫だったし。)で、彼女が大学生の時に書いた中編がこれ。確かハヤカワ文庫の、その年度の中短編を集めたオムニバスにあった一作品だったと思います。
内容は、まあ直接は環境問題の話ではないんですが、(まあ恐らく彼女はそういうことを普段から考えていて、どこかで言いたかったんでしょうけど、)ちょこっとだけ出てくるのがこんな話。
地球に生命が誕生した頃は、大気には二酸化炭素の方が多かった。そこである種の生物が呼吸して(?)二酸化炭素を酸素に変えたので、現在の我々が住むことが出来る地球になった。
でも、それは環境破壊だったのでは?
つまり、こういうことです。
環境破壊といっても、地球全体にとってはどうでもいいことで、酸素が増えたらそれに適した生物が繁栄するし、環境が変わればそれに適応した生物が現れるだろう。恐竜が滅びたように、人類が滅んでしまっても地球にとっては別に構わないのではないか……。きっと人類より適応能力が高い生物が繁栄するだろう。
この話を読んで、やっと気がつきました。
自然環境を守ろう、というのは自分達の為。
鯨やトキやパンダやイリオモテヤマネコが絶滅したらかわいそう、なんて話ではありません。
ほんとは生物が絶滅したっていいんです。地球全体から見たらなんってことない。
そもそも、今生存する生物が繁栄した時間なんて、地球にとってはほんの一瞬の出来事。
だから、ただただ自分達が絶滅したくないという “わがまま” の為に、自然環境を守るのです。
食物連鎖に入っている鯨はともかく、トキなんて絶滅したってほとんど影響はないはず。
でも、トキはシンボルなわけです。
動物達を絶滅させるような環境にしてたら、自分達だって滅んじゃうよ、と。
と、昔考えたのはここまで。
ところが最近の状況はどうでしょう。ダイオキシンだの、環境ホルモンだの、直接人体に影響がでる環境破壊でいっぱい。
トキをシンボルにするまでもありません。
特に環境ホルモンに関しては、良く出来た人類滅亡のシナリオの一つですね。
小学生の時、SF小説を書いたことがあります。
宿題などで書いた作文を集めて個人の文集を作るんですが、あまり宿題とかしなかったせいで薄っぺらな文集になりそうだからと追加して書いたものです。
どんなお話かというと、人類が滅亡した後でロボットだけが生活している社会で、最終的にはその星に大型隕石がぶつかることがわかって脱出を計るんだけど、ロボット同士の抗争が起きて、最後にはなんとか発進できたロケットも重力圏を脱出できず、というところで終わるという、小学生にしてはなかなか渋いお話。
人類絶滅の理由は特に考えてなかったけど、戦争でもなくただ単に人類だけが滅亡するという状況は、この環境ホルモンによる人類絶滅のシナリオがぴったり。
増えすぎた種族に対して、減る方向の力が働くっていうのは、過去から繰り返されてきた自然の摂理のような気もします。
環境ホルモンにしても、AIDS にしても、またどんどん変形して新しく生まれ変わるインフルエンザにして、そういうものって実は地球にとってはシナリオ通りなのでは?
時々そんな風に思ってしまいます。