スポーツアナウンサー
1999/07/18
ネット上にたくさんあるサッカー系 BBS (掲示版)で頻繁に出てくるのが、TV 中継の話題。中継の数についての話から、カメラアングル、解説者の論評など様々な内容で溢れていますが、ここではアナウンサーについての話を進めましょう。
アナウンサー評の主なものは、選手の名前をコールしないことに対する批判です。これは僕自身同じように感じていました。さらに、昨年のワールドカップでフランス TV 局による日本戦の TV 中継録画の放送を見たことで、その思いに拍車をかけました。
恐らく初めて日本の試合を中継をするフランス人のアナウンサーが、日本のパスに合わせて次々と日本人選手の名前を言うのです。もちろん、ワールドカップだからこそ、東洋の弱小チームの選手の名前でもすべて覚えたわけで、親善試合だったこうはいかなかったかもしれません。いずれにしても「選手の名前を次々に言えること」が理想であり、ワールドカップではそれをやってみせたわけです。
一方、日本の TV 中継はどうかというと、取材してきた選手のエピソードや解説者とのおしゃべりで一生懸命。野球の TV 中継のノリなわけです。野球のようなのんびりしたスポーツと同じやり方をすること自体、間違っているのは明らかなのですが。
個人的には、これらの不満は以前より高まったように感じています。そうだとしたら、それは多少はカメラアングルの話も関係しているかもしれません。
Jリーグができたばかりの頃、あまりのアップの画面、または狭い地域を写す画面構成の多さにサッカーファンは大いに不満を持ったようでした。確かに、サッカーで狭い地域を写すと全体の構図がわかりません。(これは TV 中継における、サッカーというスポーツの持つ不利な点で、バスケットとの大きな違いかも知れません。) サッカー“通”の人達にとっては、ボールのないところでの動きこそ“通”な見所なわけですから、不満が出るのも当たり前。それが通じたのでしょう。最近は引いた画面構成が増えてきたように思います。
ところが、この「引いた画面」こそ、ボールを持っている選手が誰だかわからなくなる、という事態を引き起こしました。そういう画面でこそ、ボールを持っている選手が誰なのかを知りたいのです。
ま、とはいえ、サッカー“通”が要求する引いた画面ですが、実際は海外の TV 中継でも、狭い地域を写すシーンは結構多いようです。この辺り、きっと理想はこうなのでしょう。中央突破のワンツーを狙うシーンや、サイドで1対1の勝負をするシーンなどでは「狭い地域の映像」を見たいし、大きな展開の時、いや、正確にはこれから大きな展開をするであろう時には「引いた映像」が見たいのです。
これを実現するには、しばしば日本人審判の能力が議論される時と同様の「ゲーム展開を読む能力」が必要とされるのではないでしょうか。番組を中継するスタッフに試合展開を読む能力があれば、どこで映像を切り替えたら良いかわかるはず。ボールを追っかけていてはそのような映像は出来ません。
結局、これはサッカーがどの程度文化として根付いているかという問題に帰っていきます。
アナウンサーの話から逸れてしまいました。元に戻りましょう。
既に書いたように、選手の名前をコールしてくれないことに対する不満もありますが、不満なのはそれだけではありません。
はっきり言いますが、現在、サッカー中継に“ふさわしくない人”が中継を担当しているケースが見受けられます。名前をコールしないことに比べると、こちらはほんの一部だけですが。
具体的には、正しく状況が理解できないこと、または、審判の判定、選手の意図、を読み取れないアナウンサーがいるのです。(解説者の中にも怪しい人がいますが。)
僕は、今でこそかなりサッカーの試合を見ているとはいえ、サッカー“通”の人ほどではありません。それでも TV で見ていて、アナウンサーの間違いにイライラすることが結構あります。単純な間違いが多いのもいやですし、それ以外のもあります。例えば、サッカーの審判のジェスチャーはラグビーやバスケのような詳細がわかるものではないので、実際の反則が何であったかわからないことがよくあります。しかし、状況を考えたら恐らく「ハンド」の反則があったのだろう、とか、審判はアドバンテージを取ったのだな、とかある程度の想像ができるのに、それが分からないアナウンサーがいるのです。中継を見ていて、とんちんかんなことを言われるとほんとに嫌になります。
そういうアナウンサーは、たいてい戦術に関してもとんちんかんなコメントをします。
思い付くところでは、フジテレビで中田(ペルージャ)の試合を中継する時のアナウンサーが酷いと思います。
これらは、センスの問題といっていいかもしれません。サッカー(などの)中継のアナウンサー技術は特殊技能と考えていいと考えています。その理由としては「野球とサッカー」に書いたのと同じです。野球の中継が上手にできるからと言って、サッカーの中継が上手にできるとは言えません。遥かに高い能力が必要とされます。
厳しいようですが、サッカー(など)のセンスのない人が中継をやっていはいけません。好きだからできるというものではないです。選ばれた人達がピッチ上でプレーをしているのと同じ。
(思えば、意外と NHK のアナウンサーにとんちんかんな人が少ないのは、民放に比べてアナウンサーの人数が多くて、自然に適材適所が成立しているのかなぁ……。)
同じように、バスケのアナウンサーにも不満があります。
現在目にすることのできる TV 中継においては、Sport-i の中継をやっているアナウンサーは、(失礼ながら)問題ありです。バスケ素人なのは明らかで、それは仕方ないにしても NHK の BS のアナウンサーより能力的に劣ると思います。
反則の判定に関しては(微妙なトラベリングの判定などは素人さんには難しいけれど)、審判が反則の種類について明確にジェスチャーで示すので簡単です。しかし、どちらのファールかなどで明らかな間違いを頻発してくれるのでいらいらします。この辺り、確かに素人としては難しい部分だとは思いますが、NHK のアナウンサーがある程度こなしていることからも、このアナウンサーは不適格だと思います。
それから、モータースポーツのアナウンサーについて。
モータースポーツと言えば、フジテレビの Formula 1 の中継に起用されたのが古館伊知郎。奇しくも、彼の初担当は、僕が始めて本格的に見るようになった 1989年開幕レースでした。まあ、同期みたいなもんです。
彼のレース中継のスタイルは、フジテレビの戦略的な要素を含んで、敢えて、プロレス中継流の、絶叫、面白おかしい比喩表現を含むというものでした。それは確かに効果はあったのでしょう。それはキーワードを生み出し、特に(恐らく僕を含め)観戦初心者には手助けになったはずです。
しかし、真剣なファンからは大顰蹙。僕にとっても総合的には気に入らないものでした。特にその過剰な比喩表現が。
ただし、彼について認めている部分もあります。
「そこで起きた現象を正確に、正しく理解することができる」こと。この能力に関しては、特に当時は、その他のフジテレビアナウンサーに比べて群を抜いていました。例えば、中継画面に片隅で一瞬のうちに起きるアクシデントに気が付くかどうか、またはバトルが行われている際に、前の周との車間距離や走行ラインの違いで、勝負に出ているか(抜きにかかっているか)に気が付くか、アクシデントを起こしたドライバーは誰か、など。
結局、これらに気が付くかどうかが、上記で書いているセンスと同じ物です。
古館伊知郎にそのセンスがあるのは間違いないです。トレーニングを積めば、サッカーやバスケの中継を上手にこなすでしょう。(やってもらいたくはありませんが。)
まあしかし、彼が作り出した、過剰な絶叫や比喩表現は、後のアナウンサーに影響を与えてしまいました。現在の Formula Nippon での中継をしているアナウンサーは、センス悪く、とんちんかんなことを言う上に、過剰な絶叫や比喩表現など、もー最悪。こんな風潮を作り出した罪は重いです。
ただし、絶叫に関しては、一昨年までやっていたテレビ東京系での WGP における絶叫系アナウンサーは認めます。
同じ絶叫系でも許せたり、許せなかったりするのには理由があります。最後にそのことを書きましょう。
中継のアナウンスにおける、もうひとつの要素があります。
今までに述べた、「的確に何が起きているかを理解するセンス」ともう一つ必要な要素です。
それは「起きたことを伝えること」。つまり、TV 画面を見ていたらどんなに明らかにわかることであっても、それを喋らなければいけないのです。それは何故か?
起きたことを言葉で確認することにより、より面白味を増すのです。(これに関しては別の機会に詳しくお話しします。) 逆に関係ないことを喋ると、今度は面白味を減らしてしまうのです。
例えばレースの中で、マシンがスリップストリームに入ってストレートエンドでインに飛び込むなら、それを喋らなければいけないのです。マシンが挙動を乱したらそれを言わなければいけません。その時に関係ない話をしていてはいけないのです。
サッカーやバスケでも同じ。サッカーで、サイドを崩してセンタリングを上げようとしている時に、関係ない話をしてはいけません。バスケで、決定的なフリーの3ポイントのシュートシーンなら、それを言わなければいけません。関係ない話をしている位だったら、音声なしの画像を見ている方がましです。
それはその音声が、映画やゲームにおける『 BGM 』や『効果音』と同じ役割をしているからです。
映像に関係のないおしゃべり、これはミスマッチの BGM や効果音です。
感動的なシーンに、コミカルな音楽をつけると興醒めしてしまいます。
過剰な絶叫 - これを例えるなら、爆竹の破裂する映像にダイナマイトの爆発音がかぶさっている状態でしょう。これにも興醒めしてしまいます。
絶叫がいけないのではありません。場面に合って、タイミングの合っている絶叫なら良いのです。それが見る人の感覚からずれていると興醒めする最低な中継になるのです。
(この点も、古館伊知郎は的確だったと思います。乱発する大袈裟な比喩表現さえなければ極めて優秀なアナウンサーなんだけどなぁ。)
映像と音声。特にリアルタイムな要素の強いエンターテイメントにおいて、両者の重要性についてはここで言うまでもありません。
映像にあった的確な音声。スポーツ中継という、リアルタイム進行のエンターテイメント製作に参加しているアナウンサーは、単に情報を流しているだけではありません。それらを正しく選択して、音声として適切なタイミングで付加するという重要な役割、映画における音楽監督のような仕事をしているのです。
(追記 : 1999/07/26)
7/25 放送の Formula 1。前々から下手だと思っていた N アナ。この日もその思いを強めるだけでした。よく、アナウンス席から見ているのと TV で見ているのは違うと言いますが、明らかに TV 視聴者と同じ映像を見ていてのミスがありました。
「これはディニスのリプレーですね。」 どうして、中位を走っているのディニスのピットインがわざわざリプレーされるのか考えないのでしょう?給油口が閉じてないのに気がついてください。
解説者に訂正された、バリチェロのピットインの出来事。勝手に勘違いして興奮しないでください。僕も一瞬映った映像で、別の車とタイミングが重なったからスタートしなかったのに気がついたよ。
その他、車の言い間違え多数、及び、とんちんかんなこと言って、解説者やゲストに訂正されること多数。
あなた、絶対向いてません。野球とか、解説者が全部説明してくれる格闘技なら出来るかもしれませんが、サッカーやバスケ、Formula 1 の実況は無理です。