サッカーと格闘技は似ている

2006/01/15

サッカーと格闘技は似ているように思います。
いわゆるフィジカルの要素である接触プレーのことではありません。サッカーという競技が持つ根本的な競技性の面で、格闘技と共通のものがあると思うのです。


圧倒的に攻め続けてシュート数でも圧倒したのに、一本のカウンターで失点して敗れてしまった。サッカーではわりと良く見られる結果です。
ちなみにこれは運が悪かったのでしょうか? 確かに、その試合についてだけ見るならば運が悪かったといえるかもしれません。しかし見方を変えてみましょう。もし、もっと用心深く、守備意識が高いチームだったらカウンターで失点しなかったのではないでしょうか。具体的に言うと、そこには極めて高いレベルの集中力の話が関連しているかもしれないし、極めて高いレベルでの経験による危機察知能力の話が関連しているかもしれません。あるいはもっと決定力のあるチームだったら得点することで負けることはなかったかもしれません。
その場面が運が影響した要素があったにしても、やはりそれなりの理由があるのです。ですから、やはりそれは実力が反映した結果だと考えるのが妥当です。

これらの話が、格闘技と共通するものではないかと感じます。
特に近年メジャーになってきた総合格闘技からは、似ている例を挙げることができます。立ち技得意の選手が相手を KO 寸前まで追い詰めたのに、ちょっとしたミスから寝技に持ち込まれて関節を決められて逆転してしまうシーンなどです。その試合、立ち技の攻防の時に決定的なダメージをうけなったのは運が良かったのでしょうか。確かに決定的なダメージを受けなかったことは幸運であったと言えるでしょう。そのことを “勝負運があった” という言い方をする人もいるかもしれません。しかし、そう発言した人も “丸っきりの運” という意味で使ってはいないはず。それら “勝負運を引き込んだ” ことを含めた上での結果を尊重して、実力による正当な試合結果と判断するはずです。

もちろんそれは、総合格闘技だけでなく、柔道やレスリングなどでも同じ話です。
さらに格闘技から少し話を延長してみましょう。かつて剣豪と言われた人たちの戦いです。(宮本武蔵だとか、そういった人たちのことです。) 彼らの戦いはほんとの真剣な一発勝負。もしかしたら、その時の体調がどうだったとか、偶然足が滑ったとか、たまたま苦し紛れに振った刀が、といったことがあったかもしれません。しかし、結果においてそれらの理由付けは一切無関係。全部を含めて、勝った方が強い。ただそれだけ。
かつてジュビロ磐田の監督だったハンス・オフトは、サッカーにおけるカウンターで逆襲をくらうことについて、しばしば “ナイフを持って待ち構えている敵” というような表現をしたのは、こういった勝負の感覚だったのかもしれません。


考えてみると、このような一瞬の隙が勝敗を決してしまうスポーツは格闘技だけでなく、陸上競技や水泳、スケートなんかも含まれるかもしれません。短距離種目におけるスタートなどが典型的でしょうし、長距離種目のスパートをかける駆け引きなども同様です。スケートにおけるショートトラックなんかは、まさに剣豪の一発勝負に似ているかもしれません。
これらの勝負、その時の体調がとか、たまま足が滑ったとか、細かい事実を分析することができるでしょう。しかし、それはあまり意味はありません。その一度きりの場面で力を出せないのは、やはりその力を出せない者が未熟なだけ。そいう考え方をするべき競技なのです。

ところが、この考え方を球技全般に広げて考えてみると、意外にもこういった特徴を色濃く残している競技はサッカーだけのように思います。
特に野球やバスケットボールなどは、何度も数多くのチャンスが等しく回ってくる仕組みを作ることで、平均的実力が最終結果として現れるように作られています。これは誰もが納得できる結果を追求しているわけで、ある意味非常に合理的な判断ともいえますし、大きな長所でもあります。しかしその一方で “一度きりの勝負” という付加価値の面では劣ります。
特に連戦を行うプロ野球においては一発勝負の価値はさらに低くなり、しばしば高校野球の一球に賭ける真剣さという話になってプロ野球に対する優位性として主張されます。実際のところは、連戦であろうと選手は常に真剣勝負でやっているのでしょうけど、要は見る側がどう感じるかです。実際に一発勝負という状況におかれる高校野球の方が真剣なのでは?と見る側が感じてしまうわけです。

そうやって合理的な面を追求して出来上がった野球やバスケットに比べると、サッカーは格闘技や陸上競に近い原始的な面を残している競技、という言い方ができるかと思います。サッカーは “足で蹴るという行為が原始的な動作” という言われ方をされることがありますが、実は上に書いたような、一瞬のミスで試合に負けるような格闘技的な要素も原始的であると言えるのではないでしょうか。
そしてしばしば言われるのが “原始的であることは本能に訴える要素が大きい” ということ。世界の多くの地域でサッカーが熱狂的に受け入れられるのは、この原始的であることが大きな要因であると言われているのはみなさんご承知の通りです。