“いただきます” の話
2006/01/22
ちょっと面白い話がありましたのでとりあげてみましょう。
リンク先が消える可能性がありますので内容を書きます。要約するとこんな話。
永六輔のラジオ番組にこのような投稿が来たとのこと。
《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》
それに対していろいろ反響があったそうなのですが、この記事はその出来事を取り上げて 『じゃあ実際あなたは外食が市販弁当の食事の時に “いただきます” と言ってますか?』 と読者に問うたものです。
なお、永六輔自身はこの記事内でインタビューに答えて、“いただきます” は 「あなたの命を私の命にさせていただきます」 の “いただきます” と認識しているとのこと。
(実際にはそれらに加えて、“いただきます” という際に手を合わせるのは宗教的意味になると強制はよくないかも、などの問題提起もありましたが、ここではテーマを絞る目的でその話はなしにします。)
概ねラジオへの反響はその母親に否定的なものが多かったそうで、個人的にはまあ納得。永六輔の発言もまあ理解できるものです。
ということで、改めて強く主張するようなことはないのですが、少し話を整理して僕の意見を書くことにします。
大きなポイントになると思われるのが、その母親の考え方。彼女はお金を払っているのだから “いただきます” という言葉は必要ないと考えたようです。つまり “いただきます” という言葉は、何か無償のサービスのお礼に使う言葉だと考えているということです。親が食事を作ってくれた - これには対価を払っていないから “いただきます” と言う必要がある。誰かが無償で物をくれるというときには “いただきます” と言う。しかし代金を支払った場合は不要である、と。
きっと “ありがとう” なども同じでしょう。バスを降りる時に運転手さんに “ありがとう” という必要はないし、ホテルのポーターが荷物を持っても “ありがとう” という必要はなし、飲食店でお水のおかわりをもらっても “ありがとう” という必要はない、と。
まずこの時点で、彼女に育てれらる子供が心配。言葉は社会の潤滑油である面を知らないと、あとで損すると思うけどなぁ。
まあそのことは置いておくとして、ここで考えてみたいのは、では食事をするときに言っている “いただきます” は何を意味しているのか?
一般に言われているのはこのふたつのはずです。ひとつは永六輔が言っているように、植物なり動物なり、その命をもらって代わりに生きるのだから、それに感謝して “いただきます”。もうひとつは、この食事を作るためにお百姓さんなど多くの人の手間がかかっていることに感謝して “いただきます”。
そのどちらにしても言えることは、(その母親が考えるような) お金の対価ということではなく、文化的な意味合いを持っているということです。日本の文化として、動植物の命をもらうことに謙虚になり感謝の意を持つことだし、多くの人が苦労して手間をかけたことには敬意を示して感謝する、と。
僕はこの考え方に共感するし、こういった文化的な考えはぜひ大切にし、できれば今後も継承していったらいいなぁと考えていますから、当然 “いただきます” と言うべきだと考えます。
ではその記事の話に戻って 『じゃあ実際あなたは外食が市販弁当の食事の時に “いただきます” と言ってますか?』 と問われると、その回答は 『言ってません』 となります。ただし、心の中で言っていることは多いです。言い訳になるのですが、まあそれはそれでいいのではないかと思います。要はそういう文化的な意志があるかどうかが重要であって、見た目ではありません。
ただし、ここからが大事な話なんですが、僕がその文化に共感しているのは、子供の頃に必ず “いただきます” と (付け加えるならば、“ごちそうさま” も) ずっと親に言わされていたからこそだと思うのです。ですから、子供達にはそれらの文化継承の為に “いただきます” を言わせるべきだと考えます。そういう習慣をつければ、大きくなった時になぜそう言っていたのかを考えるはず。このことだけでそういう文化が継承されるわけでもないでしょうが、直接的な教えだけでなく、そういった様々な気が付かないところで残る風習や作法に多面的に残ることで、文化が継承されやすくなるのではないかと思います。
まあ普段 “いただきます” と言わなくなっていたところで、今回の話題で再びこの文化的背景を考えるきかっけになったのは良かったかも。
過去に書いたコラム。
「悪いことをすればバチが当たる」
「敬語について」
特に 「敬語について」 書いた内容なのですが、“いただきます” というのは敬語を使うのと同じで、謙虚さの表明という点では同じかも。
ネットでみつけた関連リンク
一般的な考え方だと思われる文章がありました。
農林水産省が小学校5年生向けに作成した小冊子。
こちらは実際に “いただきます” を止めたはんし。どうも “合掌 いただきます” が宗教的な意味合いとして問題になった話のようです。
ネットで調べると、合掌はする人しない人それぞれのようです。“命をもらう” という意味で宗教的な意味として外せないという人もいるし、宗教的な意味で反対する人もいるし、宗教と無関係で作法と考える人もいるようです。
僕は手を合わせる習慣がありますが、まあ気持ちの方が明確なら、特に作法は必須でなくてもいいかなと思います。