サッカーマンガの不幸
2005/10/08
サッカーマンガは不幸だと思います。
Jリーグ26節、東京ヴェルディvsジュビロ磐田のロスタイムは、ほんとにこんなことが起きるんだな!という展開になりました。
4-3 と1点リードしていたジュビロ磐田は、試合終了間際に相手のファールでPKを獲得します。しかもその際の抗議で東京ベルディの選手は 1人退場。PK が決まればもちろん試合は決しますが、そうでなくても試合は勝負あり、という状況でした。
ところが PK を蹴った中山はボールをクロスバーに当てる失敗。その跳ね返ったボールによるカウンター攻撃から東京ベルディがファールを獲得。その FK をワシントンが直接ゴールして同点に追いついてしまいました。試合はその直後に終了。
これで思ったこと --- “こんなの絶対マンガじゃ描けない!”
マンガでこんなことを描いたら “そんな都合のいいこと起きない”、“リアリティに欠ける” と批判されるような筋書きだからです。
以前、『サッカーマンガについての考察』 に書いたのは、現実がサッカーマンガを追い越してしまう、という話でした。ワールドカップ出場というドラマを描いても、現実のワールドカップ出場の感動に明らかに劣ってしまう。Jリーグ昇格の苦難を描いても、現実のJリーグ昇格へ向けての苦難に劣ってしまう。
ところがこの試合の例では、そういった舞台背景が生み出すドラマだけでなく、1試合の中でさえ現実の試合のドラマ性に負けてしまうようです。
特に今回のケースにおいては、サッカーという競技のロスタイムというものが持っている特性が大きく影響していると思われます。この点について野球と比較してみましょう。
野球において “逆転サヨナラ満塁ホームラン” だとか “サヨナラエラー” などのドラマは劇的ではあるけれど、それらは予想の範囲外というわけではないです。可能性として存在しているのは頭の中に必ず残っています。これは野球という競技が、アウトカウントあるいはボールカウントというデジタル数値によって試合展開を表現することの影響だと思われます。負けている試合で九回裏にツーアウトでツーストライクに追い込まれると確かにチャンスは極めて低くなります。そのことは十分にわかっているのですが、それと同時に “3つめのアウトをとられない限り試合終了ではない” ということも頭のどこかでわかっているのです。つまり “まだ残りアウト 1つある” という一定量のチャンスの期待感が試合終了の瞬間まで確実に残っているのです。
ところがサッカーにおいてロスタイムになった場合はそれとはちょっと違います。例えば負けている試合でロスタイムに入ったとき、“試合終了のホイッスルが鳴るまではわからない” と頭ではわかっていても、やはりどこかで “もう残り数秒だろうか? もう無理だな” と思ってしまうのです。時間とともに可能性はどんどん下がっていくわけで、自分の中の期待値は指数関数的に “ゼロ” にどんどん近づいている状況なのです。野球において、ツーアウトでほぼ期待値が低いながらも一定値に停止しているのとは随分違います。
ところがそんな状況、すなわち期待値が自分の中で極めて “ゼロ” に近づいた状態であっても、ごく稀にロスタイムの同点ゴールや勝ち越しゴールというものは発生します。いや、稀と言いましたが実はそんなに稀ではありません。ドーハの悲劇のように、4年に一度のワールドカップ予選のよりによって最終戦でも起きてしまったくらいですから。しかもあの年のワールドカップ予選においては、日本と同じくフランスも最終戦のロスタイムで失点してワールドカップ出場を逃したはずです。我々がめったに起こらないと思っているのは実は勘違いで、劇的なことは結構起きることなのです。半分はそういう思い込みが原因なのですが、可能性が “ゼロ” に近づいたと思っているところで起きる予想外の出来事を、より劇的に感じてしまうわけです。
それに加え、この東京ベルディの同点劇にように、相手の PK という絶対的なチャンスからいきなり自分の得点になってしまうというサッカーという競技の特性も拍車をかけているでしょう。おそらく中山が PK を蹴る瞬間には、東京ベルディサポーターの同点に追いつくという期待は限りなく “ゼロ” になっていたはずです。
もともとサッカーという競技は上記のような理由で劇的だと感じる場面が多いわけですが、これをマンガで表現するとなるとさらにこんな特徴が表面化します。
先ほどと同じく野球と比較しましょう。前述したように野球は、アウトカウントひとつや、ストライクボールのカウントで、状況の有利不利が刻々と変化していきます。この構造をベースとしてドラマ性が構築されるわけですが、これはデジタル値ですから、マンガのコマで表現できるわけです。例えばこんな感じ。“一球目 - 見送りストライク (しまった、いいボール見逃した)、二球目 - ファール(さあ追い込まれたぞ、不利になってしまった)、三球目 - タイムリーヒット(ピンチからの形勢逆転だ!) …… ”
ところが、サッカーではドラマ性を表現できないのです。特に複数の場所でリアルタイムで進行しますからそれをマンガで表現するのが難しいのです。ボールのないところで FW と DF が駆け引きをしているところ、逆サイドの選手が走っていることなどを画にするのは至難の技です。そして、なんといっても上記で挙げたロスタイムの表現はほんとに難しいです。言葉で “一分過ぎた”、“二分過ぎた” とは違います。指数関数的に刻々と可能性が “ゼロ” に近づいていくことを画で説明するのは、ほぼ不可能と言い切ってもいいでしょう。
そうなのです。不幸なことに、サッカーという競技の面白さはマンガ表現に向いていないのです。
競技の面白さを表現するのが難しいとすると、奇抜さ (消える魔球的な非リアリズム方面) で攻める手がありますが、現在のマンガは (ほんとに小さな子供を対象にするケースを除いて) リアル志向が主流。それが駄目ならあとは人間関係主体をメインに持って来るしかないのですが、そうなってくると競技がサッカーである必然性は薄くなってしまうわけで…。
最近サッカーマンガが減ったと思うのですが、潜在的な原因はこのあたりにあるのではないでしょうか。現実の方が面白いから、面白いサッカーマンガはなかなか成立しないのです。
ではバスケットボールはどうでしょう。
バスケットもリアルタイムで進む競技ではありますが、プレー自体は個人のプレーや、二人、三人などの連携であることが多いので、画で表現することもサッカーよりはやりやすいでしょう。それからマンガ 「スラムダンク」 の最後の試合のよに、クロックのカウントとプレーを並べて描くとことで、現実の試合の終了の場面と同じような表現が可能です。
サッカーに比べたらはるかに表現しやすいはずです。