ジーコ・サッカーが嫌いな理由(わけ)
2004/02/28
4年前に 「トルシエ・サッカーが嫌いな理由(わけ)」 を書きました。とすると今回も書かないといかんよなぁ、と思った次第です。
その前に整理しておかねばならないことがあります。しばしばトルシエとジーコの比較で使われる、トルシエ=規律 vs ジーコ=自由の議論についてです。
先に断言しますが “規律” と “自由” は背反する要素ではありません。これは反例をひとつ挙げれば証明できますね。ジュビロのサッカーでどうでしょう。ジュビロはJリーグでも有数の組織力のチームであると誰もが認めます。けれどもジュビロのサッカーといえば、自由にポジションチェンジをする流動的なサッカーです。
サッカーという競技は “規律”、“自由” といったひとつの言葉で枠にはまるような単純なものではありません。“規律” の上に “自由奔放” を積むことだってできるのです。トルシエが “規律” だから良いor悪い、ジーコが “自由” だから良いor悪い、という議論は全く無意味なものです。当然のことながら、今回はそういう話はまったくしません。
さて本題に入ります。「トルシエ・サッカーが嫌いな理由(わけ)」 を読んでいただければ分かると思いますが、トルシエ・サッカーが嫌い、というのはトルシエのサッカーの否定ではありません。僕の嗜好と違うという話でした。残念ながら今回はそういう理由ではありません。結論から言うと、ジーコのサッカーの志向云々以前に、ジーコは (厳密に言うと現時点では) 代表監督の器ではない、と考えます。
僕には、ジーコのチーム作りは “考えた上での実践”、“先のことの (明確な) 予想” という状況が見えません。ピッチ上で試行錯誤した結果でないと正しいかどうか確認できないように見えます。行き当たりばったりで監督業をしている、ということです。
いくつかの具体例を挙げましょう。
“欧州移籍した藤田を、海外の試合だったので呼んで使ってみたら結構使えた。以後代表に呼ぶことにした。”
- Jリーグでいいプレーをしていた時の藤田は使えるとは思えなかったのでしょう。たまたま使うチャンスが来た幸運を喜ぶべきか。
“4バック全部とっかえてみた。上手くいったので以後そのままやってみた。”
- 一番の不幸は、それまでの親善試合が全部無駄になってしまったことです。こんな損失は考えられません。
“親善試合で 4バック全部交代した。”
- 本番で起こる状況は、出場停止や怪我で一人が交代するです。4人全員交代ということは有り得ません。
“欧州から参加したメンバーとコンビネーションが合わない”
- さて困った。時間が足りなかったみたいだ。どうしよう?
どう考えても、ジーコは先を読んでチームを作っているようには見えません。もちろん彼のイメージするサッカーがあるのは確かでしょう。しかし、そこに到達するプロセスについては具体的な手法は持ってないように感じられるのです。試行錯誤してみて (たまたま) それに近づいたら良し、近づかなかったら駄目、そうやっているように見えます。
トルシエは (僕は嫌いですが) それなりに自分のイメージに近づける手順を持っていたと思うのです。そこへ理想通り進んだかどうかはわかりませんが、少なくともそこまでの手順は考えていた、あるいは考えていると回りを納得させていた、のです。
この辺りが、志向するサッカーの問題以前に、ジーコは監督の器ではないと思うのです。いえ、もしかしたら 5年後だったらジーコは先まで手順を考えた監督になっているかもしれません。今、経験を積んでいる最中で極めて有益な学習をしているかもしれません。けれども、それは現在の代表監督がするべきことではありません。これは監督自身の問題でもあり、その監督を選んだサッカー協会の責任も問われる問題です。
とはいえ、じゃあ日本代表は強くならないかというとそうでもありません。能力ある選手を並べてある程度一緒にプレーさせておけば、ある程度チームは出来上がります。特に現在の日本のような中田という明確なリーダーがいる場合はそうです。もしリーダー格の選手がいなかったり、自分勝手な選手ばかりだったら、今ごろ洒落にならない事態になっていたかもしれません。ジーコにとって、いや我々日本代表サポーターにとってこれは幸運だったと言えるでしょう。
実際問題、W杯一次予選は通過できるでしょう。まあ、絶対はありませんが、日本とオマーンと対戦したら10回のうちせいぜい 1回敗れるくらい。監督がもっとしっかりしていれば、現時点でもっとチームはしっかりとした戦い方ができるようになっており、敗れるとしたら30回に 1回になっているはずなのですが。
しかし最終予選は……。
付け加える点がひとつ。
もうひとつ、ジーコが監督であることが好ましくない理由があります。それは日本代表が、日本サッカーの広告塔であるということに起因します。
Jリーグが地域密着で地元人気を中心でやっていいのは、全国区やそれほどサッカーに強い興味を持っていない人に対しては代表チームが広告塔となるからです。代表の面白いサッカーを見て、サッカーに興味を持ってJリーグに興味を持つ。地元に自分達のクラブを持ちたいと思う。このような流れが必要なのです。
代表の試合は、面白くなければいけません。負けない、というだけでは不十分なのです。チーム作りが始まって一年も経つのに、現在のような選手らがピッチ上で意思疎通の確認をしているような状況を、TV などで日本中のサポーターに見せているようでは駄目なのです。
関連リンク