『小公女セーラ』 と 『明日のナージャ』
2003/11/23
幼稚園児の知り合いの影響もあって、『おジャ魔女どれみ』 や 『明日のナージャ』 にはちっとばかし詳しくなりました。
『おジャ魔女どれみ』 シリーズは、うちの姪っ子も好きだったのでお話自体は知っていましたが、4年も続いた超人気シリーズだというのは知りませんでした。全部合わせると200話くらいになるようです。ここで面白いなと思ったのは昔との違い。知り合いの幼稚園児、今 5歳だったら、シリーズが始まった頃は観てないだろうと思って聞いてみると違うのです。今はレンタルビデオ、DVD が充実しているせいで簡単に過去の放映分を観ることができるのです。昔の感覚だと再放送でも 4年かかるわけで、誰もが観るということは考えられないわけなんですが 『おジャ魔女どれみ』 のような “名作” と言われるシリーズなどは昔以上に多くの子供が観るのでしょう。ここでも勝ち組、負け組がはっきりするのかもしれません。
さて、その人気の高かった 『おジャ魔女どれみ』 シリーズの後番組として始まったのが 『明日のナージャ』。
生き別れの母 (実は貴族) を捜しながら旅芸人一座に入ってヨーロッパ中を旅する少女のお話。序盤は、旅するナージャに出会う男達がみんなナージャを好きになるというような “のほほん” としたお話が続いていましたが、最近になって、貴族という立場からナージャの出現を快く思わない人達の妨害、さらには幼なじみが裏切って自分に成りすましたり、自分が偽者として警察に追われる羽目になるなど、終盤に向けてハラハラする展開になってきました。というか、最近のナージャの不遇は、もはや子供向けアニメの内容じゃなくなってきてます。主婦向けの昼メロドロマでやりそうなストーリー。“出生の秘密” とか “運命のいたずら” とか、山口百恵の 『赤 シリーズ』 とかに近いんじゃないでしょうか。ハラハラさせるのはいいのですが、切り替えの利く大人と違い、辛い話のままで一話が終わるのは小さい子供の場合は精神衛生上あんまり良くないんじゃないかとちょっと心配。
さて、それらの最近のストーリーの是非の話はおいといて、以前から 『明日のナージャ』 を観ながら漠然と考えていたのは、これらのお話、基本的なベースは児童文学の 『小公子』 や 『小公女』 あたりなんだろうなぁ、でした。とはいえ 『小公子/小公女/秘密の花園』 あたりは子供の頃にまとめて読んだので、今ではストーリーは忘れ気味。ネットでそれらを検索してストーリーとかを思い出していたのですが、それらの中に興味深い記述を見つけました。
それは “原作 『小公女』 と、日本で作られた世界名作劇場アニメシリーズの 『小公女セーラ』 の内容が一部異なる” というものです。
登場人物も違ったりして、キャラクターの性格付けに多少アレンジされているのですが、最も注目したい違いがラストです。ストーリーをおさらいすると、主人公の大金持ちの娘が父の死後、突然無一文になって自らが通っていた寄宿学校のメイドになり、先生や元同級生らにいじめられる。しかし自分を探していた父の友人の出現で状況は大逆転、というお話。この最後の部分が問題で、原作 『小公女』 では自分をいじめた人達とは縁を切ってオサラバ。ところが、『小公女セーラ』 では自分をいじめた人たちを許し、寄宿学校に多額の寄付もするのです。
つまりこれは、こういうことではないでしょうか。日本で子供向けにアレンジにより 「慈悲の心」、「罪を憎んで人を憎まず」 という考え方を主張したわけです。一方で原作では (主張しているわけではないでしょうが、考え方として表現すると) 「自業自得」、「悪いことをすればバチがあたる」 といったところでしょうか。
この子供向けアレンジについて、僕個人としての思いは 「そりゃないだろ」 です。悪いことした人達が、そのまま許されてしまうなんて! 『さるかに合戦』 のさるが許されたでしょうか? 『かちかちやま』 のたぬきが許されたでしょうか? 『花さかじいさん』 のいじわるじいさんが許されたでしょうか? 「悪いことをしたら相応の報いを受ける」 それが当たり前じゃないかと思うのです。むしろ、子供向けだからこそ 「悪いことをしたら相応の報いを受ける」 ということを教えるべきではないでしょうか? 現実社会にかえっても、例えば刑法だって、そういうベースの上にある考え方でしょう。そして、それらの全てのことを前提に置いた上で、つまり 「悪いことをしたら相応の報いを受ける」 という大原則を十分に理解した上で、“敢えて” 「慈悲」 の考え方が意味を持っていると思うのです。
ということで、子供向けアニメなどで、あまり 「慈悲の心」 的考え方を前面に出して欲しくないです。今のままだと “慈悲の安売り” になってしまいます。あくまでも、“慈悲” というのは特殊な事である、と考えたいです。
さて、最後に 『明日のナージャ』 の話に戻ると、幼なじみに裏切られたナージャ、その友達を許すでしょうか? 途中で本人が 「許さない」 という発言をしています。けれど、……やっぱり最後は許すんだろうなぁ。ナージャって、元気で明るくて、思いやりがあり、前向きな性格で、誰からも好かれる完璧な “いい子” キャラクター。『小公女セーラ』 のケースを考えても、同様の結末が計画されているように思います。(加えてナージャの場合は “お人好し” というキャラクターもはいってるからなぁ……)。
関連リンク
過去に書いたコラム 「悪いことをすればバチがあたる」
同じ人による原作との違いの記述
余談になりますが、そのナージャを裏切り、彼女に成り代わって貴族の娘になろうとする、ナージャの幼なじみのローズマリー。子供向けアニメ史上、これほど極悪少女っていたでしょうか? クラスにいるいじめっ子キャラクターとはレベルが違います。周りの大人の悪人達が考える以上の悪事を思いついてナージャを陥れようとする……。うーん、常識的に考えるとローズマリーが許されるようなストーリーはちょっと考えられないんだけど……。
(追記 2004/01/25)
ついに最終話を迎えました。
結論としては、『小公女セーラ』 のような最悪の展開ではありませんでした。偽者であることがばれたローズマリーが去っていく形。まあ子供向け番組で “かつての主人公の親友が逮捕される” というストーリーは難しいでしょうから、これが考えられるベストの展開かな。
それにしても、年末の放送だったナージャvsローズマリーの直接対決は凄かったです。ナージャの “自分が本物である” という主張をことごとく潰してみせるローズマリー。最後はナージャが警察に捕まえらえるという、ローズマリー完全勝利の展開。あんなにハラハラドキドキのドラマは、そうそう見られる物ではありません。ナージャvsローズマリーの駆け引きを中心に据えたドラマにリメイクできないかなぁ。
しかし、最終的にはナージャが勝利するわけですが、その差を決めたのは明らかにサポートする周りの人の差。教訓的にまとめると、
“社会的/経済的な力、あるいは行動力を持ち、それを使って自分を助けてくれる男がたくさんいる女が勝ち”
という、とてもシビアなお話でもあるような……。