故意ゴール事件

2003/03/09

ナビスコカップ・グループリーグ、京都vs大分でその事件は起こりました。

1-1 の後半17分、大分・高松がピッチ上で倒れたため京都・松井がボールを外に蹴り出しました。プレーが再開し、大分の若松がスローインで寺川へ。寺川が京都にボール保持権を戻そうとして大きくパスを出したところ、大分・ロドリゴがそのボールを奪い、そのままドリブルしてシュート、2-1 となる勝ち越し点を決めてしまったのです。

サッカーにおいてプレー中に怪我人が出た場合、選手達が自主的にプレーを止めることは良くあるシーンです。その場合は、ボールを外に蹴り出すのですが、蹴りだしたボールは相手ボールとなります。そうすると、相手チームはスローインしたボールを蹴りだした側のチームに返すのが暗黙の了解。昨年のワールドカップでも何度か見られたシーンです。

さて、今回のケース、ブラジル人選手のロドリゴは (後のコメントによると故意に) その暗黙の了解を破ってボールを奪ってゴールしたわけです。
事件はこれだけでは終わりませんでした。京都の選手の抗議にも関わらずこのゴールは認められます。そして京都側キックオフによる試合再開からしばらくして、大分の監督の指示により大分の選手がプレーを停止。京都・松井選手が無抵抗の大分選手の間をドリブルしてゴール。2-2 同点となります。
さて、翌日のスポーツ紙は一斉にこの同点ゴールを、「故意ゴール」、「疑惑のゴール」 として大きく取り上げ、NHK を始めとする TV の報道でも 「toto ゴールに大きな影響」 として取り上げました。これが今回の事件の全容です。


さて、この事件に関する僕の個人的な見解を述べます。

まず、大分・ロドリゴのプレー。相手に返すべきボールを奪ったのは非難されて然るべきだと考えます。ただし、同情の余地はあります。これはサッカーのルール上では反則ではないプレーです。だからこそ実際に得点が認められました。つまり、これはルールではなくマナー、言い換えると日本のサッカー文化の問題なのです。おそらく欧州におけるサッカーは紳士のスポーツですから、このロドリゴのプレーは絶対許されないプレー。チームから謹慎とかの処罰を受けてもおかしくないです。一方で、南米などでは特に問題になるプレーではないのかもしれません。(実際、Jリーグの他のブラジル人選手が、今回と同様なケースで同じようにボールを取りに行ったプレーが過去に何度か目撃されています。)
日本のサッカー文化において、このプレーをどう判断するか、これを決めるのは我々サッカーファンの問題です。この結論を出すには日本サッカーはまだ文化的な深さが足りていないかもしれません。個人的な意見としては、欧州と同じフェアプレーの考え方を主張したいです。

では次に、大分の行った 「故意ゴール」 について。これもまずは最初のプレーの判断に関わりますが、上のフェアプレーを支持するという前提の上に立つと、この大分のプレーは 「フェアプレー精神に基づいたプレー」 ということで支持したいです。
このプレーと似たような事件は世界でも起きています。故意に PK を外したプレー (下記に詳細あり) や、再試合になった試合 (下記に詳細あり) など。特にデンマーク代表チームにおける 「故意に PK を外したプレー」 はデンマーク国王からフェアプレーの賞を貰っているくらいです。これと同じように、Jリーグは大分にフェアプレー賞を出しても良いくらいだと思います。

一方、失点した京都について。京都がこのような境遇にあったことには同情の余地はありますが、やはり油断したと批判されても仕方ありません。もしこのチームが海外で試合をした場合、このようなケースに遭うかも知れません。フェアプレーの精神を持ちつつも、全く油断しないプレーを求めたいです。
これに関しては、ジュビロ磐田のプレーがとても気になっていたところでした。ここ数年、味方選手が倒れていることを理由にプレーを止める事を要求するシーンが多くなったと感じています。あまりに要求しすぎだし、要求しながら先に足を止めてるようなところがあります。フェアプレーの精神を持つのはいいけれど、それに甘えるのはちょっと……。

さて最後に、totoゴールとの関係について。今回の事件が大きく扱われたのは、totoゴールとの関係が大きいでしょう。これには、まずはっきりさせておくことがあります。サッカーは toto のためにやっているのではありません。ここまでに述べたことは toto とは全く切り離して考えるべき問題です。
でが toto はどうあるべきか、という問題になるのですが、「toto はサッカーに従うべき」 です。つまり、サッカー文化として認められることなら、それは全く問題なく認められるべきで toto が文句をいう筋合いはないのです。具体的な例を挙げましょう。カップ戦でベテラン選手を休ませることは良くある話。その結果試合に負けたのは不正でしょうか? あるいは、大量リードして試合の決まった試合で、若手を起用するのはよくあるケース。その結果若手選手のミスで失点したのは toto ゴール的に不正ですか?そんなはずはありません。どちらもサッカーの文化として認められているからです。だから、今回の事件のようなことが起きても、それがサッカー文化として認めれるならば、これは全く不正なプレーではありません。


これらを全てまとめると、話はひとつのことに集約されます。「怪我した選手が出てボールを出した場合、ボールを出したチームにボールを返す」 ことが、日本サッカーの文化として認めるかどうか? すべてはここで決まるのです。これが認められるならば、大分のプレーはフェアプレーの精神に基づくやむを得ない行為であり、totoゴールにおいては、サッカーとして含まれる展開の一部であり全く問題のないプレーなのです。

今回のプレーに限らず、日本のサッカー文化を決めるのは、我々全てのサッカーファンです。その為に我々は意見を表明しなければなりません。それは、こうやって意見を発表することでもあるし、スタジアムでの対応でも構いません。フェアプレーに基づくプレーには拍手をすること、危険なファールな汚いプレーにはブーイングをすること。そういうことが必要です。
その結果、日本のサッカーにおける文化ができるはず。それが海外と違っていても構いません。もちろん、海外クラブと試合する時にはその違いを意識してプレーするべきです。どんな時でも気を抜かないということも必要でしょう。


プレゼント・ボール

『「プレゼントボール」(通称): 怪我人が出たときに選手がボールをタッチの外に蹴り出した後に、相手チームがボールを出してくれたチームに、ボールを再び返してあげること。サッカーが「紳士のスポーツ」であることの薫りを今もとどめる、良き習慣(マナー)である。』

(毎日新聞) 楽しいサッカー、温かい人たち(セネガル×トルコ戦)

注) ただし単純にミスで相手にパスしてしまうことに対しても 「プレゼントボール」 と表現することも多いです。

 

故意に PK を外したケース

『事件はデンマーク―イラン戦で起きました。0−0の前半終了間際、イランのFWが観客が吹いた笛の音を主審が吹いた前半終了の笛と勘違いし、ペナルティエリア内でボールを手でキャッチしてしまったのです。主審は即座にPKを宣告。デンマークに先制のチャンスが思わぬ形で訪れたのでした。イラン代表は選手のみならずベンチの首脳陣までもが猛抗議をしましたが判定が覆るわけはありません。試合はPKから再開となります。すると突然デンマークのオルセン監督がピッチわきに現れ、キッカーのFWヴィークホルストに何事かを指示、するとヴィークホルストはシュートをゴール横にわざと外しそのまま前半を0−0で終えたのでした。不可解な行動に、事態が飲み込めないスタンドの観衆は騒然となります。

皮肉なもので、後半開始直後にデンマークは逆に後半イランにPKを決められ、0−1で試合には敗れました。試合後、デンマーク代表モアテン・オルセン監督は詰めかけた記者たちに、「ヴィークホルストにPKを外すよう指示した。イランの選手たちは何が起こったのかわかっていなかったようだ。不当な判定には従えない」と発言、 翌日のテレビ・新聞の報道はこの件一色になりました。イラン代表はデンマーク代表のフェアなプレーに対し、敬意を表するとともに、FIFAに対しフェアプレー賞候補を授与するよう申請し、デンマーク国王は代表チームに賞を授与することを決定したのです。

3日後の最終日、事情を理解した満員の観客達からデンマーク代表への拍手が止むことはありませんでした。デンマーク代表は2−1で香港選抜を降し3位となったのですが、ファールの少ないクリーンなサッカーは完全の香港のサッカーファンを捉えてしまったようでした。 』

(
毎日新聞) デンマーク代表に始まりデンマーク代表に終わったカールスバーグ杯 (SCN)

 

再試合を行ったケース

『99年2月13日、ロンドンで行われたイングランドFAカップ5回戦のアーセナル−シェフィールド・ユナイテッド戦。1−1で迎えた後半30分に、味方が倒され、起きあがれないのを見たシェフィールドのGKが、ボールをタッチラインの外にけりだした。直後、アーセナルのスローインは、ゆっくりとGKに返されたが、アーセナルFWカヌが奪い取りゴール。これが決勝点となった。

ケガ人が出たときはお互いに助け合うという、暗黙の了解がある。試合後、ベンゲル監督は試合のやり直しを提案し、FA(イングランド協会)もこれを認めた。』

(
中日スポーツ) “超法規的”再試合を望む 高校サッカー・岡山Vゴール誤審問題 欧の“前例”見習ってもいいのでは

 


話が複雑になるのでちょっと上には入れなかったのですが、実はもう少し微妙な問題が数点あります。

まず、大前提として本来は怪我人がいたらプレーを止めるのは審判の役目であるということ。この辺りが、「審判が止めるんだから選手がボールを出す必要がない」 という考え方の根拠でしょう。とはいえ、これに関しては実際選手がボールを出すということがあるわけだから、それを理由にするのはおかしいと考えます。また 「選手は絶対にボールを出してプレーを止めるべきでない」 という意見については、それはサッカーを単なる運動行為の積み重ねにして、文化として認めないほとんど自殺行為だと反対します。選手は自分の判断でプレーを止めても止めなくても良いし、その結果選手がボールを出して試合を止めたのならボールを返すべきだと思います。

次に、怪我人が出てボールを出すのは良いとして、それを出すのが自分のチームか、相手のチームかで、対応が異なるという考え方もあります。つまり、相手チーム選手の治療でボールを出した場合はボールを返すが、自分のチームの選手の治療でボールを出した時は返す必要はない、という考え方です。これは一理あって、自分のチームの選手の治療まで認めると時間稼ぎなどに利用できるわけです。現在の Jリーグにおいては、とにかくボールを出したチームに返すの当たり前になっているようで、これは海外チームの試合の場合にはトラブルの原因になるかもしれません。この点に関しては個人的にも結論出し切れないところです。怪我人の様子を見ながらの妥協かと思います。選手の判断を優先するべきではないでしょうか。

もうひとつ。あるJのチームで、ちゃんとボールを返すものの、キーパーなどに渡したり、ゴールキックにするのではく、必ずスローインにしてプレスをかけるというチームが思い当たります。これも微妙なところで、個人的には嫌な気もするのですが、プロなんだからスローインとったら多少プレスされても、ある程度キープしろよ、とも思うので微妙ですね。