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“白百合女子大学卒業論文要約” 内にあった “昔話絵本「かちかちやま」の比較−1933年から1995年まで (昔話絵本の入り口)” です。
『昔話絵本「かちかちやま」の比較−1933年から1995年まで
現代において大半の子ども達は文字を介してしか昔話と出会えない。そうした中で私は、昔話絵本の必要性、特に聞き手、語り手が良い絵本を選択することの重要性に注目した。そこで、本論文では1933年から1995年出版の絵本かちかち山22点をとりあげ、構成、文章、絵の3つの視点から昔話絵本に際しての問題点およびその変容を示し、昔話絵本の現状確認を試みた。その結果、お話の各モティーフにおいて、いくつかの特徴が明らかになった。まず、物語前半部<狸の捕獲理由、方法>においては、畑を荒らす狸を罠で捕らえるという日常的語りから、昭和40年代よりじいをからかう狸を鳥もち、松脂でとらえるといったファンタジー性のある語りへと移行している。現実主義的思考からの解放時代ごとの生活のあり様が反映されていると言える。<狸の反撃行動>欠如と<結末>欠如の充足においては、婆を殴り殺した狸が兎の櫂でたたき静められるという直接的語りから、戦後婆をいじめた狸が兎に救助されるという語りへ移行している。結末に続く後日談の語りや、狸の犯行声明文の有無が、両モティーフの語りに同調していることからも、軍国主義的教育から、終戦を経て徹底化された民主主義的教育の影響を、強く受けているといえる。ごく最近では、みなで仲良く暮らすといった永続的和解による結末も見られ、現代における大人の過剰な保護意識が反映されている。又、爺と既知の関係にある兎の登場する絵本の結末は、狸を救助し許すもの、爺に仇討報告するもの、この二つのパターンのみである。対人関係を結ぶ兎は、慈悲深く従順で、奥行きのある人物として登場するほうが自然であると言う理由からであろう。婆汁・狸の変装モティーフに関しては、単独で登場する事はなく、22冊中5冊のみにもちいられている事からも、絵本において両モティーフの削除が、定着しているといえる。全体を通して、各項目共に、原話型に忠実な絵本は、22冊中3冊のみであった。とりわけ現代の絵本においては、文章、絵ともに、読者に想像の余地を残さない種明かし多用が特徴的である。厳しい統制を免れた現代、自由であることが逆に、絵本における問題点を多様化させているようだ。昔話が囲炉裏端で語り継がれて今に残る事を忘れ、テレビ等の美しい画像で目を肥した子ども達が、装飾的描写を嫌う簡潔な昔話のありのままの形で受け入れてくれるだろうか、という製作者、大人側の自信のなさが、現在昔話絵本に問題点を残す原因となっているのではないだろうか。絵本に携わる製作者、選択する側の語り手、聞き手は、まず本来の昔話の魅力を肌で感じ取り、再確認する必要があると思われる。』