ジュビロを誇らしく思った場面

2003/08/30

このサイトを見てもらえばわかるように、僕はジュビロ磐田のサポーターです。Jリーグ昇格前から応援を始めたので、もう10年以上このチームを見ています。
さて、そんな観戦歴の中でも昨年くらいから、そして今年に入ってからも何度か、以前にはないような状況で、ジュビロを誇らしく思う場面がありました。どんな場面だったと思いますか?

勝利の瞬間? 得点シーン? 昨年の完全優勝の場面? あるいは、Jリーグ随一といわれる華麗なパス回しが決まった瞬間?
確かにそれらも誇らしいと感じる場面ですが、そういった場面の話ではありません。

ジュビロを誇らしく思った場面とは、こんな場面です。
優勢に試合を進めながらもどうしても点が取れない試合。後半に入ってなんとかかんとか先制点を取ることができた。その先制点を取った直後の相手のキックオフの場面。ここでジュビロの選手は相手チームのボールに対しその試合中で最も猛烈なプレスをかけます。そんな場面です。
あるいはこんな場面も。勝っている試合の残り何分かという、最も疲労がたまっているであろうという時、やはり相手チームのボールに対して猛烈なプレスをかけにいく、そんな場面です。

このような場面を見て、ほんとに誇らしく思いました。このチームは 「ああ、やっと一点取れたよ。ちょっと一休み」 とか 「残り数分。ゴール前を固めとくか」 なんてことはしません。もちろん、それらの考え方が間違いというわけではありません。サッカー強国のチームなどは、実際にそうやって勝利を掴むこともあるでしょう。その一方で守りに入って裏目に出る幼いチームがあるのもご存知の通り。
しかし、ジュビロはそういうプレーを選択しません。ジュビロは、先制されて反撃に出ようというチームの出鼻をくじく、それこそが勝利への道、そう考えます。残り数分でなんとか反撃しようとしている相手チームにプレッシャーをかけて 「このチームにはかなわない。この試合はもう駄目だ」 と思わせる。格闘技でいうところの “心を折る” ことで確実に勝利を引き寄せようと考えます。
これが現在のジュビロが持つメンタリティです。それを、僕はサポーターとして誇らしく思います。

そういえば、今年の1st ステージやナビスコカップの試合では、退場者を出してしまい相手より一人少なくなってしまったケースが何度かありました。そんな中、敗れはしたものの2点取り返した試合や、勝利を収めた試合さえありました。劣勢にも “心が折れず” に戦い続けた場面です。これも強いメンタリティなしには起こり得ない、誇らしく思える場面です。

もちろんこのようなプレーは、技術があってこそできる話。いつも劣勢の試合展開をしている弱小チームに同じことをやれというのは最初から無理な話。これができないからといってそのチームが駄目というわけでもありません。それでも、実際に力のある多くのチームで、ジュビロのような戦い方をするチームはあまり見当たりません。やはりこれは単純な技術の問題だけでもない、メンタリティが多くの部分を占める話なのです。単に技術があるというのではなく、強いメンタリティを持つチーム、それを僕は誇らしく思うのです。


ちなみにこの勝負どころでのプレス、ここ数年になって見られるようになったわけですが、それが選手の判断なのか監督の指示なのかはわかりません。しかし、ご存知のようにプレスは選手一人では絶対出来ません。ピッチに立つ選手全てが同じ意識をもたないと絶対に出来ないのです。これはチーム、というかクラブ全体が持つ意識の結果と言えるのでしょう。ジュビロの組織的なプレスが目立ち始めたのが一昨年の鈴木監督の頃。今年の柳下監督と、クラブ内からの監督輩出ということからも、これはクラブ自体が獲得したメンタリティと言えるでしょう。

5年前に初優勝をした頃のジュビロが、こんなメンタリティで戦っていたという記憶はありません。やはり点をとったら 「ほっ」 としてしまうチームだったように思いますし、一人少なくなったら 「これはきつい。駄目かもなぁ」 と思うチームだったように思います。
そんなチームが、アジアでチャンピオンになったこと、Jリーグで完全優勝を成し遂げたこと、そんな経験を積むうちに、勝者となるに相応しいメンタリティを持つことになったのでしょう。


とはいえ盛者必衰は世の常。願わくば、10年、20年後に、「昔のジュビロは、点取った直後に猛烈なプレスをかけたものだったがなぁ……」 などと嘆かなくてすみますように……。


付け加えると、このところずっと中山が怪我でいない状態でも、上記のような場面が見られていることも特筆すべきことかもしれません。そして藤田移籍後であることも。その上、名波が欠場したり、福西が欠場したり、そういう状況でも見られた場面です。これも誰かがチームを引っ張っているのではなく、クラブ全体の意思としてプレーが実現している証拠ともいえるでしょう。