「ハリーポッターと賢者の石」 の話
2003/05/24
まあ、あんまりムキになって主張するほどの話でもないのですが……。
「ハリーポッターと賢者の石」 を観たのですが、あまり面白くありませんでした。その理由を説明してみたいと思います。
最初に前提として挙げておかないといけないのは、僕は原作を読んでいないし、予備知識もまったくないということ。これから書くことは、そういう状況の人がどう感じたか、という話です。
映画を観ている最中からおかしいと感じたのがキャラの性格付けのやり方について。
一番端的な例を挙げると、ハーマイオニーがトイレに閉じこもって泣いているところでトロールが学校に現れるシーン。これ、一緒にしてはいけないふたつのエピソードだと思います。この映画のこの場面まで、ハーマイオニーというキャラは優等生で強気な性格に見えます。その強気に見えるキャラが落ち込んで泣いてしまうというのはとっても意外な場面です。これは本来なら物語上で非常に重要なキャラ性格付け直しをしている場面です。
一方で学校にトロールが現れるというエピソードは、学校における異常事態であり物語全体の起承転結の転ともいえる場面。これらのふたつのエピソードが一緒になっているのは構成上あまりよろしくないと思います。ふたつのエピソードが重なることでそれぞれのエピソードが曖昧になるからです。
そもそも、全体の物語が起承転結の転まできたのなら、この時点でキャラの性格付けはすでに終わっているのが普通でしょう。この映画のこの場面、物語が中盤に差し掛かっているのにも関わらず 「あれ?この子はこういう性格なんだ」 と観客に思わせてしまっているわけです。それにしてはその後のフォローもなくあっさりの話は進んでいくし。
例えばその後にある、ハーマイオニーが友達を魔法で眠らせることについて。あれは、優等生というキャラ設定が済んだハーマイオニーが意外に大胆なことをするという “異常事態”。すなわち、これが切羽詰まった状況での冒険であることを示しているわけで、ストーリー上のスムーズな流れだと思います…本来ならば。しかし、もしかしたらトロールに襲われたことがきっかけで性格が大胆に変わったのかも? などいろいろと考えることもできます。事前の性格付けが不十分なせいで、この段階で見る側が迷ってしまうわけです。
想像ですが、原作の小説中においては、もっと細かいエピソードや描写で、ハーマイオニーというキャラクタを “優等生で強気だけれども弱さもある魅力あるキャラ” に設定してるのではないでしょうか?(原作読んでないので実際どうだかは知りませんが。) 原作でそれを知ってる人は映画にもちゃんとそういう場面が現れることに満足するでしょう。しかしはっきり言えば、もしこの映画が 2時間の物語であるならば、ハーマイオニーが実は傷つきやすい性格で、などというエピソードはストーリー上は必要ないものです。必要ないエピソードを入れる事で話の焦点がボケてしまうのです。
同じように登場する友達のロンの性格もよくわかりません。おっちょこちょいなのか、正義感が強いのか、いたらずら坊主なのか、臆病者なのか、賢いのか、さっぱりわからない。チェスがどのくらい上手なのかもイマイチはっきりしない。例えば “周りの大人達を倒すほどチェスが上手い” という振りがあってラストに進むのならともかく、途中でチェスをするシーンがあるだけでは、何故最後にハリーでなくロンがチェスをするのかがわからない。
万事がこの調子。ストーリーはどんどん進むのに、登場人物のキャラを手探りで探りながら物語についていかなければいけません。
そもそも、もっとわかりにくいのがハリーの性格付けです。彼に関しては映画観終わった後でもいまいちよくわかりません。最初から強い心を持った子なのか、弱気な性格の子供がだんだん成長して強い意志を持つ子になっていくのか、誠実なのか、がんばりやさんなのか、自分の不思議な能力に思い悩む子なのか?
映画を観る前のイメージとしては “典型的な主人公である、とってもいい子” なんですが、従兄のダドリーが痛い目にあったら、そばにニヤニヤしてるんですよね。これ、シンデレラの話と比較して考えてみます。おそらくシンデレラは “徹底的に性格が良い” というキャラ設定をされているはずですよね。まま母にいじめられ、義姉にいじめられても運命を受け入れ黙々と仕事をする。そしてささやかな願い事をする。義姉らが痛い目にあってもそばでニヤニヤ笑ってるようなシーンは絶対ないはず。
このあたりの作者の意図がよくわからないのです。あのニヤニヤ笑うシーンはあまりに単純な子供の反応であって、性格付けになっていない。自分宛の手紙を読むために様々な工夫をするわけでもなし。不思議な能力を見せただけで、すべて外的要因で物語が進んでしまい、魔法学校に入学。そこでも才能を見せ付けて人より凄いことができただけで、性格を印象付けるようなエピソードはあまりありません。
僕の観た限り、ハリーはちっとも魅力を感じないキャラです。しかし、あれほど話題になった人気の物語ですから、おそらくは原作では魅力あるキャラであって、映画での説明が不十分なのが原因なのでしょう。
実は、こういった映画の作り方自体は間違いというわけではないのです。ある種の映画に関してはこういう作り方はアリなのです。それは “ドラえもん” であったり “水戸黄門” であったりする “お約束映画”。ドラえもんの映画で、のび太のキャラ設定場面は必要ありません。ジャイアンがいじめっ子で、のび太がいじめられっ子で、しずかちゃんが優等生なのは説明する必要はないのです。助さんや角さんがべらぼーに強くて、ピンチになったら忍者が助けに来ることも説明はいらないのです。
つまり、ハリーポッターのシリーズというのは、ドラえもんと同じでキャラを知った人向けのシリーズ映画ではないかと思います。というか、本来は映画ではなく、TV シリーズドラマ化するべきだったお話なんでしょう。“ドラえもん” や “水戸黄門” がそうであるように。そうすれば、全体のストーリーに、それぞれのエピソードを交えつつ魅力あるキャラ設定していくことができるはず。
この映画、原作から何も足さず何も引かず、という評価をされているみたいなんですが、はっきり言ってそれは原作ファンだけが楽しめるという映画。単体映画という条件で判断するならば、全然駄目な映画だと思います。
(04/06/20)
名前間違いを修正。ハーマイオー” -> ハーマイオニー” でした。