ワールドカップ雑感 〜国と国との戦い〜

2002/06/02

ワールドカップが開幕しました。

数日前の話ですが、あるサイトで、要約するとこんな感じの文章を見つけました。強い主張というわけではありませんでしたが、ワールドカップについて、
「今時、国を代表して戦うなんてのはいかがなものか」
とのこと。きっとこの人は、国粋主義とか軍国主義とか、そういった物への反発をイメージしていたんだと思います。

「日本代表の試合はナショナリズムを刺激される」
こんな言葉もよく聞きます。
で、本来ならば 「ナショナリズムとは何か?」 という話をしなければならないのでしょうが、残念ながら不勉強でその話についてはここでは避けます。その代わりに、もっと単純な理由で、W杯の国別の対抗試合が、軍国主義的な性質の物とは違うのだという主張をしてみたいと思います。

「お国の為に戦う」
かつての日本で、しばしば使われた言葉です。一方で、W杯などでしばしば使われる言葉は、
「国の名誉の為に頑張る」
これらは確かに似ています。しかし、その中身は全く違ったものだったと思います。
なぜなら、戦時中のその言葉は、実際の庶民の要求ではなかったから。もちろん、ある程度は洗脳されていたことに拠る本心であったことは否定できません。しかし、多くの庶民の生活においては “戦争を始めよう” という発想をする事自体があるはずがないわけだから、やはりそれは上から押し付けられた思想であった筈です。
ではW杯は違うのか? ええ、違うと思います。W杯の始まりの前に、まずそこに生活の中のサッカーがあったのです。そして、W杯よりも前に 「お前の町のチームと俺の町のチームのどちらが強いか試合しよう」 があったはず。その延長上に 「お前の国のチームと、俺の国のチームのどちらが強いか試合しよう」 としてのW杯があるのです。だから、「国の名誉の為に戦う」 と言う言葉は 「町のチームの代表として 」 という極めて生活に密着したものの延長上にあるものなのです。


ここから少し話を発展させてみましょう。

 家族や友達のチーム -> 町のチーム -> 国のチーム

これらは繋がっているのです。
W杯に出場しているほとんど全ての国で、片田舎の町のチームから繋がったサッカーリーグがあり、その上に国の代表チームがあるはずです。だからこそ、多くのサポーターが国の代表チームを応援します。
そうでなければ、年に何試合かしか行われない国の代表チームを、あれほどまでに熱狂的に応援するはずがありません。単に素晴らしいサッカー、面白いサッカー、強いサッカーを観たいのなら、アルゼンチンなりフランスなりイタリアなりブラジルなり、そういう国のチームを応援すればいいのですから。弱くても自分の国のチームを応援するのは、それは自分たちの生活の延長上にある代表だから。

国の代表チームだけを応援する、あるいは他国の強いチームを応援する。それも悪くはありませんし、十分に楽しむ事ができるでしょう。(実際僕などは、バスケの場合では NBA の好カードを選んで観戦して楽しんでいます。)
けれど、その楽しみ方だと、実はW杯のうわべの部分を楽しんでいるだけに過ぎないと言えるかもしれません。


今大会、日本にやってきたチームの多くが練習試合を行いました。中でもイタリア代表なんかは大人気。
しかし、その試合を見たイタリア人は、あまりにイタリア代表のユニフォーム着てまで応援する人が多いのを不思議がっていたそうです。
まあ、日本においては長くサッカー不遇の時代が長かったことや、地元チームのような考えが生まれたのは最近のこと。長い間他国の代表チームに思い入れがある古いサッカーファンも多いので、これは仕方ないという部分もあるのではないかと思いますが……。


(追記 2002/06/05) 関連するネット上の文章。

日本人イングランドサポーター

「日本と日本人」にとってのワールドカップ