動物愛護、自然保護は人間の我儘

2002/08/25

動物愛護や自然保護は人間の我儘だと思います。

だからと言って、動物愛護や自然保護が良くないということではありません。ただ、動物愛護や自然保護を動物や自然に対して 『良い事をしている』 という感覚だとしたら、それはちょっと違うのではないかと思うのです。

動物愛護が、たとえばペットを飼うことだとしたら、それこそ人間の我儘であることは明白ですね。動物に頼まれて飼い主になるわけじゃありませんから。むしろ野生に生きているはずの動物を飼うとしたら、動物の野生の能力を奪うということをしているかもしれません。
もちろん、だからペットを買ってはいけないというのではありません。ペットを飼う事で、より人生を楽しんだり、寂しさを紛らわせたり、あるいは、近頃の自然や生き物の生死に接する事が少ない子供達に対してはそういう経験を持つなど、良い面も多々あるでしょう。
けれどそれが、動物に対して 『良いことをしている』 と考えるのはちょっと違うと思います。動物を利用しているに過ぎません。つまり、動物を虐待しようが愛護しようが、動物を利用しているという見方をするならば、それらに差はありません。違うのは、それに対する人間社会へ影響です。動物虐待を観たり、話を聞いたりするのは気分悪いですから、それは禁止しようということ。動物愛護は気分もいいし、様々なメリットもある、そういうことです。

同じく自然保護について。
まず “自然” とは一体どういうことでしょうか?
新井素子の 「ネプチューン」 という作品の中に、こんなお話が出てきます。

『地球に生命が誕生した時は、地球は二酸化炭素に覆われていた。それを酸素を出す生命が現れて地球の環境が変わった。それは環境破壊だろうか? それを考えると、仮に人間が地球の環境を壊してしまって、人間自身が住めなくなっても構わないのではないか? 人間に変わる新しい環境に適応した生命が現れるに違いない。』

僕はこの考え方に強く共感しています。地球に意志があるとするならば、まあ多少は 「汚すなよ」 くらいは思うかもしれません。けれど、長い地球の歴史からみたら、一時期ばい菌が混じって発病した、くらいのことでしょう。人間が死滅してくれれば、また新たな自然の形態が出来上がります。
自然保護運動なんかで 『地球環境を守ろう!』 というのは、あくまでも 『人間が生きていく為に地球環境を守ろう!』 なわけです。地球の為でも、他の動物の為でもありません。

ちょっと極端な例を挙げてみましょう。
動物愛護や自然保護の象徴といえばイルカやクジラです。イルカやクジラの泳ぐ映像なんかを見ると、ほんとに心が和みます。イルカと泳ごうなんていうツアーも大人気。
けれどもし、イルカやクジラが何かの原因で異常繁殖してしまい、(我々によって都合の良い現在の) 自然環境を壊すような事態になったとしましょう。そうなったら、自然環境を守る為にイルカやクジラを駆除しなければなりません。

自然保護とは、そういうものです。
自然を破壊するのも人間の我儘だし、自然を保護しようとするのも人間の我儘。これらの違いは、どちらが多くの人間にとって気分が良いか、あるいは (我々人類の子孫を含めて) 後々に得であるか、それだけの違いなのです。


この内容は、以前に書いた 「環境問題の話」、「エビキャッチャー」 をストレートにまとめたものです。

最近読んだある本が、「野生の犬を飼って〜」、「近所の人とのトラブルを乗り越え〜」 という内容だったのですが、あまりに 「この犬を助ける」 というような人間の傲慢さを感じたので、もう一度これらの内容を考え直してまとめてみました。

動物愛護とか自然保護って、良い事だとは思いますよ。だけど、上記に書いた理由から、グリーンピースみたいに社会にトラブルを起こしてまでやることではないと思うのです。社会に賛同が得られないならするべきでない、と。ご近所とトラブルを起こしてまでペットを飼うのはおかしい、と。

まあ、自然保護活動とかされている方は、こんなことは十分に理解した上で行っていると思いますが。