親切に関する考察
2001/02/18
確か、小学校に入るか入る前の頃の話です。母と一緒に道を歩いている時に、道に50円玉が落ちているの見つけました。拾った物は警察に届けなければいけません。母に連れられて、その50円玉を持って交番へ行きました。
ところが、交番で取得物の手続きをした後、対応したお巡りさんのとった行動は、僕にとってはあまりに思いがけないものでした。拾って届けたこと誉めてくれたまでは良かったのですが、その50円玉を僕にくれるというのです。それは断ったのですが、この出来事は、僕にとってはとてもショッキングな出来事でした。
もうひとつ、こんなこともありました。
学生時代、電車で通学していました。適度に混雑した車両に座っていた時の話です。ある駅で停車した際、お年寄りが乗車されました。僕は勇気を出して 「どうぞ」 と席を譲ろうと立ち上がりました。しかし、 「次で降りるので結構です」 と丁寧に断られました。
これらの話、どちらも大した事ではありません。
50円玉を届けられたところで、お巡りさんは困ってしまうでしょう。届けてくれたご褒美にあげるというのは悪い話ではありません。
席を拒否したお年寄りだって、正直な気持ちだろうし、もしかしたら 「そんなに年老いてないよ」 という不快な気持ちがあったのかもしれません。
しかし、それらの出来事で僕がどう思ったのかというと、正直に言って残念に思ったのです。がっかりしたのです。
せっかくお金を届けたのにそれをくれるなんて、届けた意味がないじゃないか、と。
せっかく席を譲ろうとしたのに、余計なお世話だったなぁ、と。
けれど、これらの体験をしたことで初めて気がつきました。親切っていうのは、それを受ける側の対応で、その中身が全く変わるのだと。
親切とは、親切される側がそれを上手に受け取らないと成立しないのです。言い換えると、親切を受ける時の対応にも 「思いやり」 が必要で、それもまたひとつの親切なのです。
これに気がついて以後、僕はほんのちょっと変わりました。自分でできることであっても、それをやってくれるという人がいるならお任せしようと。親切でなにかくれるというなら、不要なものでない限りは素直にもらおうと。もし、自分が年をとって電車で席を譲られたとしたら、別に座りたいと思っていなくて、しかもすぐ次の駅で降りる予定であっても 「ありがとう。次の駅で降りますが、それまで座らせてもらいますね」 と答えて席に座ろうと。
人の好意を素直に受け取ること、これもまた人間の大きさというか、余裕なんでしょうね。
ところで、全然話は変わるのですが、何か親切してもらったら、どう答えますか?
よくありそうなのが 「どうも、すみません」 です。でもこれ、少しだけおかしい気がします。間違いというわけではないのでしょうが、悪いことをして謝る時の言葉と同じなんですよね。
僕は 「すみません」 ではなくて 「ありがとうございます」 と答えるように気をつけています。「ありがとう」 の方がいい言葉だと思うんですよ。
どうですか? みなさんも 「ありがとう」 っていう言葉を使う運動をしませんか?
(ああ、なんか 「いい子」 なこと、書いてしまった。笑)