流行音楽についての雑記 (2001年春編)

2001/04/24

最近の音楽についての雑記です。
浜崎あゆみを中心とする話を書きたいと思います。

浜崎あゆみ
絶大な人気を誇る
浜崎あゆみ。最近ではベストアルバムの発売に合わせて、ワイドショーや一般の情報番組でも取り上げられていました。その時必ず出てくるのが彼女の創る詩の世界。同世代の人から圧倒的な支持を得るだけでなく、ニュース番組のキャスターなどもそれらの世界について好意的な発言をしていました。彼女の生い立ちと合わせていろいろな研究などもあるようです。
ここでは、そういう
浜崎あゆみ論というのはやりません。
(これはこれで結構面白いネタなんですが。以前は、今のようなバカっぽいしゃべり方ではなかった、など。あれは演じてるのかぁ? まあ、あまり詳しくないので……。)

さて、浜崎あゆみの音楽は典型的な J-POP。その製作手法は
ビーイングで編み出された 「お抱えライター陣に作曲を担当させるシステム」 を、そのまま avex が真似したものです。avex ですからダンス寄りの面で特徴を出し、リミックスなどによって、単なる J-POP 好きよりもクラブ系サウンドなどの流行りの音楽好きにも受け入れられました。
僕の好みで言うならば、一部のリミックスなどは確かに面白いと思いますが、特にその音楽が好きというわけではありませんし、高く評価される歌詞の世界も特別共感するようなことはありません。しかし、僕は彼女の歌詞について、とても注目し、高く評価している点があります。

彼女の歌詞には、J−POP の常識を破る特徴があるのです。それは、歌詞に英語が全く使われていないこと。響きの良い英語のフレーズを繰り返す。これがないのです。「英語を使う」は、演歌やフォークといったジャンルにはなかったかもしれませんが、J-POP の先祖である、歌謡曲やニューミュージックといった音楽では、過去からずっと繰り返されてきた常套手段でした。

日本語による歌詞、考えてみたら当たり前の話です。歌詞によってなにかを表現したい、伝えたいのなら、自分が普段使っている言葉で表現するのが当たり前。普段使いもしない言葉で表現するのは不自然です。
もちろん、
宇多田ヒカルm-floように、英語で日常会話ができるような人が日本語と英語、入り混じって表現するのも、それはそれで当たり前。しかし、それら以外のケースでは、やはり普段使っていないような言葉で表現しているのが現状でしょう。それは、はっきり言ってしまえば “かっこつけ” です。
もちろん、“かっこつけ” が悪いということはありません。かっこいいことを目指すのは、ファッションだろうがスポーツだろうが当然のこと。ただし、“かっこつけ” に力が割かれる分、それ以外の部分の力が削がれているとも考えられます。

ということで、英語を使わずに自分の言葉での表現を目指す、(あるいは英語を使わずにカッコ良さを目指しているのかもしれませんが、いずれにしても、) 浜崎あゆみのやっていることは、僕は高く評価したいです。
そして、日経エンターテイメントの特集記事なんかで見ましたが、浜崎あゆみはアルバム製作などにおいても、実質的にはセルフプロデュースだそうですね。この歌詞のことを含め、クリエイター的な意向はかなり高いのでしょう。
世間のイメージでは、浜崎あゆみ = アイドル、倉木麻衣 =アーティスト、でしょうけど、実際は逆でしょうね。

宇多田ヒカル
セカンドアルバムの印象ですが、どうも試行錯誤、みたいな雰囲気ありますね。ファーストアルバムの方が統一感があったように思います。セカンドアルバムには、洋楽といわれてもも納得してしまうR&B系の曲や、椎名林檎風の曲があったり。プロデューサーの意向が本人の意向かわかりませんが。

MISIA
CM で宣伝見ただけですが、がっかりしました。例のシェールの 「Believe」 使われ始めた、ピッチ補正を使ったボーカルエフェクト。流行にしては遅れすぎだし、ボーカルの実力が売りである MISIA が何故そんなことをする必要があるのでしょう?あれ、カッコ悪いと思うんですが……。
まあ、どうせアルバム買いますけど……。