ペットの話

2001/11/13

ペットの話をしたいと思います。

ペットと言えば代表的なのは犬と猫でしょう。うちの実家でも、現在拾われてきた黒猫 (名前は 「ジジ」) が住んでいますし、僕がいた頃は祖母が猫 (名前は 「たま」) を飼っていました。
ということは猫好き? いえ、猫派か犬派かと聞かれたら迷わず犬派です。随分昔の話になりますが幼心に強い印象に残っているのが TV ドラマ (実写) の 「名犬ラッシー」。おかげで
コリーのようなスマートな顔、そして賢い犬が好きです。やはり、こちらの与えた愛情にお返しをしてくれる犬がいいですね。猫の場合はそうはいきません。うちの実家の猫もそうですが、お腹が空いたり、どこかが痒い時だけ寄ってくるのはちょっと……。
それは 「見返りを求める」 ってことかと言われれば、確かにそうかもしれません。でも、見返りあると嬉しいでしょ、実際のところ。まあ、見返りって言葉はちょっと語弊があるかもしれません。犬ななにか物をくれるわけではないですから。

よく 「猫のように自由気ままに生きる」 ことへの憧れのような話がありますが、僕はそういう気持ちうは全くありません。そういうのは苦手です。むしろ 「三日餌をもらったら一生恩を忘れない」 犬の生き方が好きです。
結局、猫派か犬派っていうのは、自分がそうだから、そちらが好きっていうことなんでしょうかねぇ?


ところで、実は随分前から気になっていたことがあります。
犬や猫といったペットが、家族同然であるという話はよく聞く話。しかし、その一面で (全てのケースではありませんが) ペットを飼う時に血統や品種に拘って購入したりする人もいるわけです。家族同然ということは、人間と同等の扱いというわけですよね。しかし、もしペットが人間と同等とするならば、血統や品種っていうのは人種差別に相当すると思いませんか? もし、血統や品種で飼うペットを選ぶとするならば、やっぱりそれは車を選ぶのと同じで、家族というよりは玩具に近いはず。決して家族同様なんてことは言えないと思うのです。
とはいいながらも、僕だって、例えば
コリーのような犬を飼ってみたいなぁという気持ちもあるし、もしそうなったら、できれば家族同様の可愛がり方をしたいなぁという気がします。しかし、上記のようなことを考えてしまうと、犬は飼えないなぁ……などということを考えていたのですが、やっと、そうではないことに気が付きました。

よく考えたら家族の増えるパターンって、いろいろありました。
生まれてくる子供の場合は、もちろん全く選択という余地はありません。(将来は男女の産み分けとかあるのかもしませんが。) ところが結婚の場合は、ペットの血統や品種選びどころではない “選択” が行われているわけです。悪い言い方をしてしまうと、容姿差別、学歴差別、資産差別、と言えるようなものもあるわけです。しかし実際問題として、それらを否定することはできません。

そう考えると、ペットの血統や品種を選ぶのも当然と言えば当然の話。まあ例えるならば、雑種の犬でいいよという人は、人柄さえ良ければあとは気にしません、っていうのと同じ事かと。