日照権トラブル

2001/01/28

これから書く話は、当事者から見れば無責任な発言となるかもしれません。確かに、第三者であるから気楽に書ける話で、もし自分が当事者であったらどうするかはちょっとわかりません。そういう無責任さの自覚はあるのですが、まあ、とにかく感じたことを書いてみましょう。


毎朝通勤する通りの近くにマンションがあります。
そのマンションは 8階建てくらいですが、それぞれの部屋のベランダに何か布が貼ってあります。その布には一文字づつの文字が書いてあり、それらをつなげて読むと、どうやらすぐ南に新しくできるマンション建設に対する反対をアピールしているようです。すなわち、日照権に関する抗議活動らしいです。

窓の文字は、まあお決まりの反対運動の言葉が並び、どうやら建設を進める地元有名企業の名前も挙がっています。しかしついに、その新しいマンションの工事が始まりました。両者は合意にいたらなかった模様。今後もこの対立の構図は続きそうです。
さて、結局マンションの工事が始まってしまったわけですから、運動は失敗に見えますが、普通の神経をしている人は、そんな反対運動が目に入るマンションに入居するのは勇気が要りますから、入居者があるかどうかは怪しいです。親会社への仕返しは成立するような気がします。


さて、この一件を通じて思う事、数点。

それにしてもあのベランダに貼られたような抗議の言葉っていうのは見苦しいです。そこにある言葉は、怒りを表明する言葉です。人にとって、怒っている人のそばに居続けるのはちょっと辛いものではないでしょうか?
仮に、僕がそのマンションにすむ子供だとしますね。とすると、僕は家に帰ってくる度にその文字を目にします。これはちょっと嫌ですね。家に帰るのがいやになるかもしれない。日照権を失う事以上に、常に怒っている人がいる家庭の方が、教育上好ましくないのではないか、などと思ってしまいます。

もうひとつ。
日照権っていうのは確かに大事な権利です。しかし、その抗議活動をしているマンション。彼らのもその北側に住む人達の日照権を奪っているわけですよね。新しくできるマンションが数十階の高層マンションで、日が高く昇ってからでさえ、影ができて日が当たらないならともかく、その自分達のマンションの高さと余り変わらない高さだったらどうでしょう?その場合はお互い様で、あんまり怒る権利ないんじゃないかな。

最後にもうひとつ。
ほんとにすべての人が強い抗議活動をしているのでしょうか?御近所付き合いの一環として、仕方なく参加している人もいるんではないでしょうか。なんか、集団心理で引くにひかれなくなってやっているとかいうことはないのかなぁ?

なんか、いろいろ思うところのある、近所の日照権トラブル事件でした。


(追記 2000/01/29)

と、書いたとたんに、その抗議の垂れ幕なくなってました。ということは和解したということでしょう。工事が中断したわけではないのですから、金銭的な保証でしょうね。

とするとですね、今となって気が付きましたが、最初から金銭的な保証が目的だったかもしれません。
今時、日照権の金銭的保証を獲得する方法なんて、すでにノウハウがあって、その駆け引きなのかも。日照権問題を専門にアドバイザーしている弁護士とかいそうだよなぁ。

てことは、あの垂れ幕みて、いろいろ心配したり、思いを巡らせていたのは、なんだったのか……。あれ見て、いやーな気持ちになったのは事実なんだけど。