「結果が全て」 について
2001/09/09
NHK に 「しゃべり場」 という番組があります。内容は10代の若者を集めて討論をするという番組。毎回、メンバーの一人が議題を提示して、それについて討論を行います。通常放送では見た記憶はないのですが、再放送なんかも度々やっているようです。
さて、その 「しゃべり場」 ですが、最近一週間連続して、深夜枠で再放送をやっていてここ数日で何回か見ることが出来ました。
その中でも面白かった 「世の中、結果が全て」 というテーマに関してです。
まあ、面白かったというか、俺にも言わせろ!ってことなんですが。
そのテーマを出してきたのは競輪学校に通う青年で、「世の中結果が全て」 と主張。なるほど、プロスポーツ選手になろうという青年だから、納得のいくテーマ。ただ、テーマとして選んでる時点で、布教的な自己主張をしたいか、自信がないかのどちらかなわけです。どうも 「世の中結果が全て」 と思いつつも、直感的にそうでないような気がして、その理由を知りたい、という気持ちのような印象を受けました。
とにかく内容はこんな感じ。
「結果は出なくても努力は無駄にはなっていない」
「でも会社員だったら、仕事で結果でないと意味ない」
「希望するプロ野球選手になれなかった努力は無駄だったのか」
「現実には結果を残さないとその努力は認めてもらえない」
などなど。
結局、この日の議論で、突き詰めるのが不足したと思うのは “結果” というものの持つ幾つかの意味だったと思います。途中で 「結果とは何?」 という話も出たのですが、「結果がただちに出るかどうか」 という議論に移ってしまい、そこで終わってしまいました。
さて、ここで僕の意見書いてみます。
そもそも “結果” にはいくつかの意味や役割があり、普遍的なひとつの意味にはめることはできないものだと思うのです。
そのいろいろな意味の中で、わかりやすく、そして確実に言えるのがこれ。
「(プロフェッショナルの) 成果は結果で判断するものである」
まずここをしっかり押さえることが大事です。それを、押さえた上で、他にも意味が考えられます。
例えば、会社で新人に仕事を任せるとします。もちろん成果は結果で判断します。失敗したら、それは成果が出なかったという結果。しかし、その失敗が、その新人が将来会社の役に立つ学習ができるなら、長い目で見た結果は、失敗ではない、というものです。まあ、当たり前のことなんですが、このひとつの事象を、失敗であり、失敗でない、という風に柔軟に理解すれば、なんの悩みも無いはず。
矛盾しているわけではなく、見る方向により見方が変わっても全然問題ないのです。
ただし、これらと話が混乱しがちなのがこれ。
「他人は結果だけで判断する」
これは、上記の “結果” とは全く別問題であって、人は表面的なことしか見えないものである、という問題の話。別に議論すべき内容なのです。
結論を言ってしまえば 「結果が全て」 ではないです。それは、文字どおりの 「結果が全てではない」 という意味ではなくて、「結果」 にはいろんな意味があり、それを持って 「全て」 と言い切るのはおかしい、といったところでしょうか。
ところで、この話題が十代の若者の疑問になったということから、ちょっと考えられることがあります。
実は子供の時というのは、プロフェッショナルの結果というものがありません。それが成長するうちに、結果が非常に大きな物になっていく。結果が全てではないと思っていたのに、だんだん結果の重みが大きくなってきた、そういうところから出てくる当然の疑問なのかもしれません。