ジュビロはベストを尽くしたか?
2001/01/07
天皇杯準々決勝、ジュビロ磐田はガンバ大阪との対戦でした。
リーグ戦最終戦で対戦したこのカードは 4-0 でジュビロの完勝。しかも、今回の対戦はガンバ大阪の主力選手の多数が、怪我と警告出場停止。どう見てもジュビロの優勢が予想されていました。ところが、結果は延長Vゴールでガンバ大阪の勝利。試合の大部分をジュビロが優勢に進め、しかも後半途中にはガンバ大阪の選手がひとり退場になりながら、この結果でした。
この試合で、注目してみたいのはジュビロの鈴木監督の選手起用です。ハジェブスキー監督に代わり 2nd ステージ途中から采配を揮った鈴木監督は、復帰した名波をボランチに、服部を最終ラインに配置しました。そして、左サイドに山西を置くというのを、基本方針にしていたようです。
しかしながら、山西起用が成功だったというと、僕はそうは思いません。意図としては、守備のできる山西を置くというのはわかるのですが、どうしても点をとらなければならない時、山西では力不足だったと思います。結果も、あまりに明白なものでした。
あの、2点差を残り15分で逆転した京都戦も、山西に代えてジブコヴィッチを入れてからの大逆転でした。
上に挙げた、リーグ最終戦に快勝したガンバ大阪戦も、出来の悪い山西を前半途中でジヴコビッチと交代し、チームの流れができました。
今回取り上げる試合の、前の試合である天皇杯 3回戦の名古屋戦も、後半から山西に代えて西を入れてから、点を取って勝ちました。
(個人的には、優勝戦線から転げ落ちた、あの清水戦も山西でなくジヴコビッチだったら、勝ったのではないかと思っています。)
これだけの結果でも、鈴木監督にはまだ物足りなかったのでしょう。このガンバ大阪戦でも、先発は山西でした。そして、やはりこの試合でもイマイチで、後半から西へと交代したのです。
これほど、山西から、ジヴコビッチや西への交代が良い結果を出していることについては、いろいろと理由を考えることができます。選手らが疲れてきた頃に、攻撃力のある切り札を出すことで効果的な仕事ができると言う考え方。確かにそういう考え方もありますし、実際、好きな戦術です。しかし、僕はこのケースはちょっと違うと思うのです。
サッカーとは、ひと山越えないと得点できないスポーツです。ボールを保持しつづけるだけでは絶対に得点にはつながりません。特に劣勢を自覚して守りに入ったチームのゴール前の壁は馬鹿にできません。小さな波を繰り返しても、防波堤はびくともしないものです。防波堤を越える波を作らないと駄目なのです。僕は、このひと山越える波を作るのが、ジヴコビッチや西の投入のよって行われているのだと思います。逆に言うと、山西を使うべきは、リードした後の高い防波堤を作る時。
さて、この試合、主力を欠くガンバ大阪は、当然のように守りを固めました。FWが守備に走り回るほどに。ガンバ大阪のその努力は実りました。
一方、前半攻めきれなかったと感じた鈴木監督は、名古屋戦と全く同じように、後半から山西に代えて西を投入します。ここで、上記の切り札論が発動するはずでした。しかし、ジュビロの選手に連戦の疲れが溜まっていたのかもしれません。後半は、前半に見られたような大きなサイドチェンジなどがなくなり、思ったほど攻めることができません。せっかく攻撃的な選手を入れたのに、他の選手が疲れてくることと打ち消し合い、ひと山越える波が作れなかった、そう思われました。前半のサイドチェンジが出ていた時間に、西がサイドでボールを持てたら、得点できたのでは?と悔いが残る采配となりました。
ここで、この試合の負けたことは仕方ないとして、考えてみたいことがあります。
僕は、この鈴木監督の采配は、ガンバ大阪をなめていたのではないかと思うのです。山西の起用は、ここ数試合あまりうまくいっていないのは明白です。しかし、最終戦で快勝した相手、しかも主力を欠く、「山西にもう一度チャンスをやろう」「駄目だったらまた、西に交代でいいや」そう思ったのではないでしょうか?
もちろん、サッカークラブの運営の仕方として、常に100%で戦うべきだとは思いません。新しい戦術を試したり、若手を起用したり、そういうことは必要です。しかし、仮に相手をなめて全力を出さなかった、のだとしたら、最低限その自覚は必要だと思うのです。それは、単に試合に負けたと言うのとは違って、ベストを尽くさなかったということなのです。プロフェッショナルの仕事である限り、お金を出すスポンサーやサポーターに対して、その責任は重いものです。
どうしてこんな話をしたかというと、ジュビロに関してはもうひとつ、ベストを尽くしていないのではないか?と感じることがあったのです。
それは、中山の PK。仮に 1st ステージで、ジュビロに与えられた PK が全て (とはいわなくても8割程度) 決まっていたとしたら、ジュビロは優勝していた可能性が高いのではないでしょうか? (たらればですが、鹿島戦で延長における服部の怪我もなかったのです。)
しかし、中山は PK を蹴りつづけ、そして外しました。他に蹴る人がいないのなら仕方ありません。しかし、チームには PK が得意な服部がいるにも関らず、なのです。(結局、天皇杯に入ってからは服部が蹴ってましたが。)
中山は PK があまり上手でないことは、ジュビロサポーターなら誰でも知っているはず。(おそらく、公式戦でこれほどまで特定の選手が PK を外す回数を、これからサッカー観戦人生で見ることはないでしょう。)
単に、中山に蹴らせたことが失敗、というだけではないのです。僕はここにも「いくらなんでも PK は決めるだろう」「そろそろ決めるだろう」という甘さを感じます。そしてそれは、ベストを尽くしていないと感じます。
繰り返しますが、チームの将来に向け、ベストを尽くさない必要もあります。しかし、ベストを尽くして失敗したのか、尽くさないで失敗したのか、その違いははっきり自覚するべきだと思います。