(追記 2005/05/28) 下記の移調の定義は間違いでした。「移調と転調」 に記述しています。


転調

2000/08/20

倉木麻衣の楽曲について」で彼女の曲の転調について書きました。
彼女以外の最近発売された曲でも、やはり転調している曲が多いようですね。ちゃんと確認したわけじゃないんですが、確か、たんぽぽ、
ZARD の新曲などでも転調があったように思います。

倉木麻衣の楽曲について」で書いたように、転調はなかなか有効なテクニックです。突然「調」が分かるわけですから、がらっと印象が変わります。特にサビへの導入で調が変わることでは、印象的な効果を演出できるでしょう。
しかし「
倉木麻衣の楽曲について」で、僕はこの転調を批判しました。ここでは、その理由を説明してみましょう。


悲しいメロディには悲しい歌詞、陽気なメロディには陽気なメロディ、これは、当り前ですよね。歌詞とその伴奏となる楽曲は独立した物ではありません。理想としては関連を持つべきです。
既に「
歌詞と楽曲の連携」に書いたことなのですが、和音の進行と歌詞の意味が一致すれば、なおさら素晴らしい作品といえるでしょう。だとしたら、転調はどうでしょう? 全く雰囲気が変わってしまうこの手法を使うならば、歌詞の意味も劇的に変化するべきではないでしょうか?しかし、倉木麻衣を始め、近頃発表される曲にそういう工夫は見当たりません。彼らは単に、ちょっと違う印象を持つという特徴の為だけで転調を行っているのです。

(ここでは、こういった 「意味をもたないが、リスナーに通常と違う感覚を与える技法」 を“驚かし”と呼ぶ事にします。これは僕が勝手に使っている言葉なので一般的な用語ではありません。)

では、ここで転調と似ている移調の話をしましょう。
移調というのは、転調よりも馴染みがありますね。曲の最後の繰り返しで、最後に半音上げて、というのはよく耳にします。常套手段と言ってもいいでしょう。
転調と移調、似ているようで随分違う物です。移調には大抵、明確な目的があると思うのです。ひとつは最後の繰り返しが単純になるのを防ぐ効果。そしてもうひとつが、ボーカルのキーをずらすことで、そのボーカルのもっともおいしい音域を、最後まで取っておく目的があるもの。

ただし、絶対音感を持つ人は、調が変わるとまったく別の曲に聞こえるんだそうで、その場合、移調というのは僕が考えていることより、とんでもない変化なのかも知れません。残念ながらこの辺りは僕にはわかりません。

もちろん、移調がいつもその意図だけで使われるわけではありません。音楽を聴いている側の意表を突くような使い方、すなわち “驚かし” で使われることもあります。
椎名林檎の「歌舞伎町の女王」は、なんと 2番から突然移調します。これは明らかに“驚かし”ですね。彼女の茶目っ気でしょう。
あるいは、逆手に取ったケースもあります。Jungle Smile の「同じ星」では、最後のリフレインの導入音だけ半音上げます。この半音上がることで、聞き手は過去の経験から完全に「移調するぞ」と身構えてしまいます。ところがその次の音から何事もなかったかのように元のキーでリフレインするのです。これはほんとに面白い“驚かし”でした。
あるいは、単純に雰囲気変える為だけに移調してあるケースもあるかもしれません。

そういった移調の使い方も 「あり」 だと思います。音楽はこう、という決まりはありませんから。そういった “驚かし” などは十分認めます。しかし、こういった“驚かし”が連発されることはまずありません。いえ、“驚かし”でないとしても、出すシングル出すシングルで移調を使っている人はあまりいません。そんなことしたら「ワンパターン」と馬鹿にさえるのではないでしょうか?

ところが、
倉木麻衣は 3枚のシングル続けての転調。しかも特別な意図はなく、単なる“驚かし”の転調です。これを「ワンパターン」と言わずなんと言いましょう?
余りに安易な手法だと思います。僕はそれを「かっこ悪い」と思ったのです。