サッカーの魅力

2000/10/01

シドニー五輪で日本サッカーはベスト8に終わりました。結果はまあまあ順当 (グループリーグ敗退でもなく、メダル獲得でもなくという意味で) といったところでしょう。

さて、つい先日「
バスケの話」の中にこんな事を書きました。「サッカーは、(政治的、文化的) 弱小国が大国に勝ってしまうことがある。こういった番狂わせが世界中でサッカーが一番人気なのではないか」、と。今見直すと、その考察は不十分でした。それも理由のひとつだとは思いますが、今回の五輪を通じてそれとは全く別の、特にサッカーの盛んな国で愛されている理由のひとつが、“ほんとうの意味” で分かった気がします。

正直なところ、フランスW杯予選を除くと、日本代表の試合で、本気で「勝たなければいけない」と思ったことはありませんでした。ドーハの悲劇の時も確かに「ワールドカップに行きたい」とは思っていました。しかし、それはフランス大会予選ほどの強い気持ちではありませんでした。あくまでも希望。アトランタ五輪の時、昨年のワールドユースの時も同じです。確かに「勝ちたい」とは思いましたが、それはあくまでも希望。今思うと、それほど強い気持ちではありませんでした。

ところが、今回の五輪では違ったのです。南アフリカとスロバキアに「絶対に勝たなければならない」そう思いました。そして、グループリーグ突破がかかる最後のブラジル戦で「絶対勝ちたい」、そう思ったのです。そうです、日本の力が上がってきた事で、同じ対戦相手と戦うのにも、応援する気持ちに変化が生じたのです。
実際、この五輪における、ネット上のサッカーファンの入れ込み具合は、かつてないものでした。多くの人が試合前日から「仕事が手につかない」と掲示版に書き込みを始め、「あと12時間」「あと6時間」と期待と不安でいっぱいの時間を過ごしました。

そもそもサッカーは、足でボールを扱うという極めて不安定な競技であることと、せいぜい 3点程度のロースコアの得点種目であることなどから、実力とは別の部分、コンディション、対戦相手との相性、運、などで、どの競技よりも結果が読めない種目です。(優勝したのが、優勝候補に挙げられていなかったカメルーンであったことが象徴的です。) 他のどの競技と比べても、そして、どの試合をとっても、これほど結果が読めない競技はありません。そして結局、我々サポーターはこうなってしまいました。

 

相手が格下 取りこぼすのではないかとドキドキ
相手が格上 ぼこぼこにやられるのではないか、
あるいは勝ってしまうのではないかとドキドキ
相手が同等 勝てるかどうかドキドキ

 

サッカーは、このドキドキが他のどの種目よりも大きく、しかもその回数が多いのです。
きっと欧州や南米では、ずっとこのような思いをしながら歴史を積み重ねていたのです。一度サッカーの世界に足を踏み入れてしまうと、ずっとこのドキドキに付きまとわれるのです。
熱狂的に受け入れられるのも当然です。そして、これからは日本がどんな世界大会に参加するにせよ、欧州や南米のサポーターと同じ様に感じるはずです。


もうひとつ思ったことがあります。日本のサッカーが 「世界レベルになる」 とは、実は、プレーの質が世界レベルになる、というのとはちょっと違うのではないかと思えてきました。世界のレベルとは、それを応援するサポーターが、世界のトップチームと対戦する時にどう感じるか、「本気でドキドキできるか」、これこそが世界レベルで戦っているということではないでしょうか。技術的には多少劣っていても、サッカーという種目の特徴のせいで、もしかしたら勝つのではと本気でドキドキする、それが世界レベルで戦うということ……。

どんな世界のサッカー強国であろうと、応援してる我々のドキドキ感はもはや同じなのです。気後れすることはありません。僕は、日本のサッカーは、このシドニー五輪をきっかけに世界レベルになった、そう思います。


(追記 2000/10/13)
サッカーの結果が読めないといえば、過去 5回のワールドカップ、オリンピックの優勝国。

 

五輪
年度 開催地 優勝国
1984年 ロサンゼルス フランス
1988年 ソウル ソ連
1992年 バルセロナ スペイン
1996年 アトランタ ナイジェリア
2000年 シドニー カメルーン
ワールドカップ
年度 開催地 優勝国
1982年 スペイン    イタリア
1986年 メキシコ    アルゼンチン
1990年 イタリア    西ドイツ
1994年 アメリカ    ブラジル
1998年 フランス    フランス

 

まさに、どこが優勝するかわからない種目です。