有望新人獲得方法
2000/02/20
ドラフト制度のないJリーグにおいて、新人の獲得は完全なる自由競争です。そこで有望選手を獲得できるかどうかはチームの将来を左右する大問題です。さて、それではどうしたら有望な新人を獲得できるのでしょうか?
その答えは、ジュビロの過去の選手獲得から、ある程度見えてくるのではないでしょうか?
これがジュビロの入団年度別選手一覧です。
その中から、ジュビロの成績と有望新人選手を抜き出してみましょう。
前年の主な成績 獲得した新人目玉選手 1994 JFL2位 (J昇格決定) 藤田、服部、田中 1995 1st 7位、2nd 7位 名波 1996 1st 5位、2nd 9位 1997 4位 1998 1st 6位、2nd 優勝 高原 1999 1st 優勝、2nd 2位 西 2000 1st 優勝、2nd 12位 前田 ここに抜き出した新人目玉選手は、各年代代表レギュラー級だった選手、または多数のクラブとの争奪戦が行なわれた選手です。これを見れば一目瞭然ですね。好成績をおさめた後は有望新人が獲得できるのです。
もう少し補足をしましょう。
94年、95年は、藤田、名波という大学ナンバーワンミッドフィルダーを 2年連続して獲得しました。特に 94年は、各年代の代表選手である、服部、田中、奥を獲得。この頃はJ昇格に絡む雰囲気的な要素があったでしょう。同時にJ昇格を決めた平塚(現湘南)に実力的に劣っていながらも、取材などでメインはジュビロ。というのは、W杯アメリカ大会予選に、吉田、中山、を送り出した上に、J昇格後の監督はその時の日本代表監督のハンス・オフトだったからです。
しかしその後の 2年間、チーム成績がぱっとしなかった時期では名前の売れた選手の獲得はなく、実際、現在までチームに残っているのはわずか 2人。(しかも一人は GK。)
そして 97年、ついにジュビロはJリーグでタイトルを獲得するようになり、それから後の、98年は、高校、大学ナンバーワンフォワードの、高原、川口を獲得。99年以降も、複数チームとの競合を勝ち取っての多数のユース代表クラス選手の獲得に成功しています。
サッカーという種目の場合、特に才能溢れる有望な選手の最終目標は、プロ入りすることではありません。彼らの目標は間違いなく日本代表、あるいは更にそれをステップとする海外でのプレーです。その為には、自分が注目を浴びる環境があることが、契約金や練習環境に劣らない大事な要素なのです。この条件はほぼ、ある程度強いチームということに一致します。
弱いチームは注目されませんし、来季にも下位リーグに降格するチームでは取り返しがつかないことになるからです。一方で強いチームは、チャンピオンシップやカップ戦の決勝戦、スーパーカップ、アジアでの大会など、代表監督の目に留まる試合にたくさん参加できるのです。(もちろん、強いチームでのレギュラー争いいう、極めて大変な代償を覚悟する必要があるのですが。)
ですから、強いチーム、あるいは注目を浴びるチームに「良い選手が集まる」は必然の結果です。
ただ、ジュビロの新人獲得に関しては、もうひとつの要素があったと思います。魅力あるサッカーだったか、という要素です。
94年から96年の三年間のオフトによるサッカーは、その後のジュビロの基礎となった(「ジュビロの回り道」)のですが、そのリスクを恐れるあまり多くの制約(ドリブルやワンツーの禁止)を持つ消極的なサッカーは、少なくとも僕の周り(特にサッカー経験者)では不評でした。全ての人がそうだとは言いませんが、そういう面は否定しきれないと想像しています。実際、後のインタビューで奥大介は、当時ドリブルさせてもらえないことに強い不満があったことを表明しています。
おそらく、その後もオフト監督が続いていたら、ドリブル大得意の選手(99年入団の西など)がジュビロ入団する可能性は低かったと思われます。それに、もしかしたら奥は他チームに移籍していたかもしれません。
今思うと、オフトに 3年間だけ下地を作らせ、すぱっと解任したフロントの判断は高く評価できるものです。
そう思うと、有望新人獲得とは、単に入団交渉をするだけでなく、実力と魅力のあるチームを作るという、フロントのトータルの能力が問われている、ということになるかと思います。