パクリの話
2000/10/15
パクリについて。
いきなり余談になりますが、パクリって言葉は通じるでしょうか? goo にある大辞林によると、こう書いてあります。
ぱく・る (動ラ五)〔「ぱくり」「ぱくぱく」などの「ぱく」を動詞化した語〕 (1)大きく口をあけて食べる。ぱくぱく食べる。「池の鯉がえさの麩(ふ)をさかんに―・っている」 (2)商品や手形などを、だまし取る。盗む。「手形を―・る」 (3)つかまえる。逮捕する。主に受け身の形で用いられる。「犯行がばれて―・られた」 [可能] ぱくれる しかし最近では、物理的に盗むというより、ダウンタウン浜ちゃんの 「パクリ発言」 にあるように 「(やり方を盗んで) 真似をする」 という用法の方が多いのではないでしょうか。
さて、ここで扱うパクリとは、その音楽業界における “真似” という意味のパクリについてです。意味は皆さんおわかりですね。これはもう随分昔から言い続けられてきた話ですが、一般的な結論というものは出ていないと思います。
僕の個人的な考えも結論は出せないでいました。
一方の考え方として、それを言い出しても 「仕方ない」 というのがあります。
その理由は、まずパクリとパクリでないの区別はできない、ということ。似ている物が見つかったとき、それを真似していないという証明は難しいからです。また仮に意図的でなくても、深層心理レベルでやってしまったのかもしれません。 (例えば街で聞いたメロディを無意識のうちに覚えて、それが作品に影響してしまった、とか。) あるいは、こっちがオリジナルだ!と信じている洋楽が、実はまた別の物のパクリであるかもしれないわけです。
それに、全く真似せずに作っても、無理やり探すと似ている物が出てくる可能性が高い、というのも理由です。世の中には既にたくさんのメロディがつくられています。全く新規なものが出来る可能性は低いです。極端な話をすると 「今あるような全てのメロディは、古代エジプトの時代に全て出尽くしている」 という説も聞いたことがあります。(ただ、転調を繰り返すようなものはその時代には少ないと思いますが。)
その一方で、やはりオリジナリティという価値を認めるべきではないか、という想いはあります。アレンジやリミックスやパロディという物の価値を認めるなら、なおさらオリジナリティというひとつの価値も認めるべきではないか、と思うのです。
結局、この件に関しては結論が出せないままだったのですが、最近ネットにおいて、ひとつの考え方ではあるが、どうやらケチのつけようのない完璧な回答が見つかりました。
それは、佐野元春の発言でした。
『そもそもポップ音楽やロックンロール音楽は盗みの連続なわけで、だからこそポップ音楽なんだ。(中略)そうしたやりくりの中で個人のソングライターはみんな自分自身にしかできない表現に向かって探求の旅を続けているわけだ。だからそれをソングライターがやるんだったらOK。彼らは仲間だから。でも僕の曲を模倣するのがレコード会社のディレクターやプロデューサーであったり、創作的な理由よりも金儲けのためにそれをやられることに対しては・・・(両手を広げ、肩をすくめて)゛フン゛って感じ』
なるほど!これを読んで全てが氷解しました。そうか、何故パクリに不快感を感じるケースが多いにもかかわらず、どうして僕がモーニング娘。に対してはあまりパクリを批判する気にならないのか?それは、モーニング娘。とは、つんくという個人が 「かっこいいから真似しました、面白いから真似しました」 と宣言している作品だから。
しかし、ほとんど名前が出てこない職業作曲家がパクリをするのは、やはり不快に思うのです。(そういえば昔から佐野元春が嫌悪していたのが「職業作曲家」でした。)
ちなみに、上記のコメントが書いてあるサイトはこちらの 『SUPER LISTENER CLUB』 の 「Jポップ常識論のページ」。Jポップに関する素晴らしい考察があります。また、佐野元春のコメントに対し、わかりやすい具体例も挙げてあります。 (椎名林檎にとってのアラニス・モリセットが前者で、倉木麻衣にとっての宇多田ヒカル、矢井田瞳・吉田知加にとっての椎名林檎が後者のケース。ただしその後、矢井田瞳に関しては違うようだとのコメント。)
ただ、佐野元春に関しては、このコメントの趣旨はともかく、ちょっと納得しづらい部分もあります。
そもそも、パクリの是非を考えはじめた理由のひとつは、佐野元春によるパクリでした。国際児童年のテーマ曲だった 「Young Bloods」 という曲は、スタイル・カウンシルの曲の ”パクリ” というより、(はっきり言って) そっくりそのままの曲でした。これは、意図的に彼がそっくりそのままに作ったのは明らかで、それはなんらかのメッセージが含まれていたのは確かです。ずっとその意味がわからなかったのですが、それが、上記のようなメッセージであったというのも、今となればわかります。
しかし、しかし、それにしても作曲者が自分になっているのはいかがなものか? まあ、確かあのシングル曲の収益金は全部寄付されていたはずで、それもそういう意味が含まれていたのかもしれませんが……。
このことからもわかるのは、パクリどうのこうの言ったところで、残るのは著作権問題。結局、最近のサンプリングの問題も含めて、パクリの問題は著作権の問題に収束するのかもしれません。これがまた難しい問題なんですが……。
佐野元春に関する面白いサイト発見
Moto Lyrics Dictionaries (佐野元春 歌詞中 用語辞典)