マンガと社会

2000/02/26

少年ジャンプに「ヒカルの碁」っていうマンガが連載されています。僕の知る限り唯一の少年誌に掲載されている囲碁マンガ(良く考えたら少年誌以外でも知らんけど……)なんですが、これ結構面白いです。

あらすじはこんな感じ。
主人公ヒカルに、平安時代の碁の天才棋士、藤原佐為の霊が憑りついて……といっても、おどろおどろしいお話ではなくて、佐為の代わりにヒカルが囲碁をするわけですが、最初は佐為の能力で戦うんだけど、だんだんヒカルが囲碁に魅力を感じ始め、ライバルと競いながら成長していく、というお話。

その「ヒカルの碁」の単行本の 4巻辺りで、面白いなと思った話があります。
佐為はとても囲碁がやりたいので、ヒカルが代わりに対戦するわけですが、実際対戦しているのは佐為なわけですから、とても強いわけです。プロ棋士のレベルで。子供であるヒカルがあまりに強いので、それはそれで問題になるわけで……。
ということで、ヒカルはインターネットで、本人の姿を見せずに対戦することを思い付きます。“Sai”というハンドルで。そして夏休みの間中、知り合いのインターネットカフェのパソコンでずっと対戦を続けます。もちろん連戦連勝。そして、インターネット上でどんどん有名になるわけです。“Sai” の対戦をネット上で観戦していた世界中の腕自慢達が、その強さの為にどんどん試合を申し込んでくるほど。そして、日本で行なわれる国際試合に来日した、世界の有力棋士がみんな、“Sai”が何者かに興味を示すほどに。
結局、有名になってしまったことに気がついたのと、夏休みが終わったことで、インターネット上の対戦はやめてしまうのですが。

* ちょっと余談ですが、“ハンドル”っていうのは「指し示すもの」。これだけで十分で、良く言われる“ハンドルネーム”っていうのは間違いです。“乗馬で馬に乗る”とか“頭痛で頭が痛い”と同じようなものなわけで……。

いやいや、これ、とっても面白いと思います。
ひとつは、インターネットの世界を正確にマンガで表現したこと。しかも極めて正確な描写であることに感心。とてもリアリティがありました。
そして、もうひとつは、マンガの世界にまさに“今”というものが、組み込まれていること。10年前には、いや 5年前でも、このようなストーリーはあり得ませんでした。

マンガに“今”が組み込まれるのは当たり前です。Jリーグが出来たばかりの頃は、サッカーマンガが溢れていたし、スノボーが流行ればスノボーマンガが出来ます。これが成人向けマンガになると、バブル経済時代の金儲けや、はじけた後の借金や、リストラの話がマンガになります。
つまり、(すべての物がそうというわけではありませんが、)マンガには社会の反映という一面があります。

さらに、“今”が組み込まれているだけではありません。最近囲碁を始めた子供の多くが「ヒカルの碁」がきっかけなのだそうです。つまり、実社会へのフィードバックが起きています。
このようなケースは昔から良くある話ですね。特にスポーツにおいて。「巨人の星」、「キャプテン翼」が、あるいは「アタックナンバーワン」、「エースを狙え」、そして「スラムダンク」などが子供たちに与えた影響は計り知れないものがあるでしょう。(最近の卓球ブームには「行け!稲中卓球部」が関わっているのかな?) もしかしたら、現実のそれらのスポーツ以上に大きいかもしれません。そして子供たちが、それらのスポーツを行い、成長して、そのスポーツの人気を高めたり、競技人口を増やしたりするのです。

「でも、所詮マンガって読んでるのは子供だけでしょ?」
と言えたのは昔の話。「大人だって読んでるよ」っていうのもそうですが、それだけではありません。現在のテレビドラマ、テレビアニメの多くが、マンガを原作とする物語であるっていうのはご存知ですよね。一時の柴門ふみ物から、最近では「GTO」など。

このように、マンガと実社会は、お互いがフィードバックしながら密接に関わっています。 しかも、その度合いは年々増してきているように思います。
このような状況で、マンガを無視した社会学って考えられないですよね。またはヒットを狙った商品企画においても。さらには(特に少年犯罪の)犯罪捜査なんかも。
マンガを軽視していると、それは社会の潮流からどんどん外れているもしれませんよ、なんてのは、ちょっと言いすぎかなぁ?