ホームコート・デシジョン

2000/03/20

サッカーに限った話ではありませんが、ホームコート・デシジョンと言う言葉があります。翻訳すると「地元贔屓判定」かな。つまり、審判の判定がホームチームに有利であるということです。
もちろん実際は、ホームコート・デシジョンが酷い審判は、資格を取り上げられるという規程になっているそうで、そういうことが意図的に行われているということはありません。(サッカーの場合です。)

しかし、そういう言葉があるわけですから、そう思われる現象(もしくは願望?)が存在しているのは確かでしょう。そういう現象が実在するとしたら、理論的に考えられる理由はひとつ。審判だって人間。サポーターの声援による心理的な効果です。
例えばサッカーにおけるイエローカードが出る条件に「同様のファールを繰り返した時」という判定基準があります。あるファールが、サポーターの大ブーイングによって審判に強い印象として残り、次のファール時の大ブーイングが起きた時に、審判には「繰り返しファールを行った」と強い印象を持つことでイエローカードを出す傾向が高くなる可能性があります。
あるいは押せ押せのムードになってスタジアムが大盛り上がりの時、ファールでプレーを止め、スタジアムが大ブーイングに包まれるとなると、その審判にとってはいつもよりも悪質なファールに感じられるかもしれません。

そんな馬鹿な!と思いますか?
野球におけるコーチャーズボックスで、明らかにアウトのタイミングでも、わざわざセーフって自分達に有利なジャッジのポーズしてますよね?あれは長い野球の歴史において、過去に審判を騙すことが出来たという経験則に基づいて続けられているに違いありません。
昔本で読んだ野球のエピソードで、ランナーがベースに滑り込む際に、自ら「セーフ!」と叫んだら、つられて審判が「セーフ」と言ってしまったなんて話もありましたし。

ということで野球の例からも、ホームコート・デシジョンは審判が意図しないまでも、現実に起きている可能性は高いです。


さてここでは、意図的にホームコート・デシジョンがあったらどうなるか、ということを考えてみたいと思います。
というか NBA を見ていると、他競技よりはホームコート・デシジョンのようなジャッジを見掛けるケースが多いように感じられます。もちろん、そんなに露骨なものではありません。正しい判定がわかり難い曖昧なケースの時のジャッジの話です。その場合の感想を考えてみることで、ホームコート・デシジョンの影響を検証してみます。

率直に言って、ホームコート・デシジョンの存在を“意識”することによって、NBA のそういうジャッジを見て、そのジャッジに納得することが多くなると思います。どちらか良くわからなかった時「ふむふむ、まあホームだからね」と。もちろん、ジャッジにはミスジャッジはつきものですから、すべてに納得するわけではありませんが、ホームコート・デシジョンなしの全く公平にジャッジする場合に比べて、納得する割合が多くなると感じます。

この、納得する理由、考えてみたらなんとなくわかりました。
ホームコート・デシジョンがない、完全な公平なジャッジを目指す場合、正解は一通りです。つまり、接触プレー全般を考えた場合、どっちのファールか分からない全く対等な接触であった特殊なケースを除くと、残りは必ず正しい判定をしなければなりません。
ところが、ホームコート・デシジョンありで考えると、全く対等な接触を含め、微妙なケース全般を、ホームコート有利と判定すればいいのです。それらの判定はミスジャッジとは認められません。「あ、ホームコート・デシジョンだな」と審判の意図を解釈すればいいのです。つまり、ホームコート・デシジョンを認めることで、ミスジャッジ(と我々が感じる回数)を減らすことができるのです。

こう考えると、ホームコート・デシジョンって素晴らしい発明だと思うんですけど。