エビキャッチャー

2000/02/12

エビキャッチャーって知ってますか?

ゲームセンターでおなじみの UFO キャッチャーのぬいぐるみの代わりに、生きたエビが入っているやつで、正式には「サブマリンキャッチャー」(ユーエス産業)といいます。エビの種類で違うらしいのですが、伊勢エビが入っているやつは 1回300円。実物は見たことありませんが、ゲーム情報番組なんかでよく話題になっているので TV で 2回ほど見たことがあります。

さて、そのエビキャッチャーに対して抗議が出されました。
動物実験の廃止を求める会(JAVA)」他、幾つかの動物愛護団体が、動物虐待としてメーカー宛に抗議文を提出。また、ゲーム機設置許可の管轄として、警察や保険所に対して撤去を要望する文書を提出したようです。JAVA の主張は「生き物をもの扱いするゲーム機を設置することは、青少年の生命観喪失につながり、動物虐待ひいては凶悪犯罪を助長する可能性がある。食品衛生上も問題」とのこと。


さて、この「エビキャッチャー事件」から思うことが 2点あります。

まず 1点目は JAVA の主張について。
簡単に思い付く疑問が「じゃあ、金魚すくいはどうなの?」ですよね。それから「バスフィッシィングはどうなの?」です。エビキャッチャーで取れたエビは、基本的には持ち帰って食材にするわけで、どっちが生き物で遊んでいるかというと、バスフィッシングの方が悪質と考えることも出来ます。つまり JAVA の主張では、反論される要素が多すぎると思います。その説明では、金魚すくいやバスフィッシングと区別がつかないから。
しかも、大会社を訴えて社会的認知を高める戦術ならともかく、やっとのことでヒット商品を当てた中小企業を訴えるとは……。

結局のところ、それらの抗議の裏にある本質は、抗議する人が「不快に思っている」ということです。そして、動物愛護なんて言葉はその後の理由付け。「道端で機械を使ってエビ釣り上げているのを見るのと私は“ムカツク”ので止めて欲しい」と言っているだけなのです。それに対して金魚すくいやバスフィッシングはムカツカないだけのこと。動物愛護の運動っていうのは、簡単に言うと「動物に関わることで、私がムカツク事をなくす運動」です。

では、動物愛護協会が無茶な主張をしているかというと、それもそうとは言えません。例えば「矢ガモ」を見たら、(僕も含め)多くの人がムカツクわけです。多くの人が見たらムカツクことは止めようっていうのがマナーですから、今回も実はマナーの話と考える方がいいのかもしれません。それについて、ある程度個人差があるのは仕方ありません。そして、マナーというものはその生活圏で暮らす人々の多数決による総意ですから、これからそういう人が多いかどうかという議論をして決めたら良いのです。

さて、そう考えると「鯨を捕って食べるなんてムカツク」とか「活造りなんてムカツク」と考える人が世の中にいるのも仕方がないとも言えますし、そういう人が本当に多いならば、それに従うべきかもしれません。ただし、これについては、ムカツクのは目の前でやられて目にするからであって、見えないところでやっていることも全て禁止させるのはどうでしょう? だとしたら、世界的に豚肉や牛肉を食べる事も出来なくなるかもしれません。
(鯨については、ここでは環境保護としての話は除外して前提の話をしています。単なる感情論としての話。)


話を元に戻して、2点目は機械の話。
このエビキャッチャー、もしこのスタイルではなくて、夜店なんかでありがちな水槽で、そこから人がマジックハンドで釣り上げる形だったら訴えられたでしょうか?きっと訴えられなかったのではないかと思うのです。つまり、機械で釣り上げたことが、「より動物の命で遊んだ」とみなされたのではないでしょうか。金魚すくいや釣りよりも。
これ、若い世代にとってはなんてことのない UFO キャッチャーであっても、そういう遊びをしない人にとって、潜在的な不信、あるいは反感のようなものがあるのではないでしょうか?機械に対する漠然とした不安が。
これ、インターネット関連の犯罪へのマスコミの過剰な反応も無関係ではないように思えます。


さてこのエビキャッチャー事件、おそらく最終的には、議論の本質を避けるように、食品衛生上の理由で撤去される可能性が高いんじゃないかと予想しています。それが日本らしい決着の付け方ですから……。


ちなみに、ここにあるのは「リス釣り」のホームページ。公園でピーナッツを餌にリスを釣り上げることに情熱を燃やしています。(もちろん、釣り上げた後はリリースです。)


(追記 2004/01/05)

このコラムに対して 『 問題の装置が生き物に無用な苦痛を与えている点についてどのように考えているのか、できればお考えをお聞かせ下さい。結局、死ぬのだから、それまでにどんないたぶり方をしても、かまわないということなのでしょうか? この点についてだけでもYES/NOを明らかにしたほうが、よいのではないでしょうか。』 というご意見をいただきましたので、ここでお答えします。

勝手ながら質問内容をこちらで整理させていただきます。
エビキャッチャーの存在は YES/NO ?
の答えは 「 YES 」 です。理由は、金魚すくい、バスフィッシング、などと同じであるという認識だからです。

結局、死ぬのだから、それまでどんないたぶり方をしても構わないのか?
についてはまず、その “いたぶり方” というのは、感じる人間側の問題だという認識をしています。その前提での回答として 「僕が不快に思うことは反対します」 です。エビキャッチャーについては、金魚すくい程度の感情を持つだけです。


個人的には、金魚すくい、バスフィッシング、エビチャッキャー、それから釣堀りなどは自分ではやりません。不快とまではいいませんが、ちょっと罪悪感を感じて嫌いです。(ただし、小さな子供にお祭りの露店で 「金魚すくいがしたい」 とせがまれたらちょっと悩んでしまいます。大きな子供ならやらないように説得するでしょうが。) 個人的にはそれらが無くなっても困りませんが、それらを無くせと主張する気はありません。僕は煙草を吸わないのでそれがなくなっても構わないのですが、他人に強要するつもりはない、というのと同じです。このようなことは、文化的、社会的、経済的などの側面から判断して考えるべきで、個人の感情だけで決定できません。

基本的に動物愛護というのは “感情による線引き” の問題だと思います。バスフィッシング、活け造り、踊り食い、あるいは、暖かい日本でシベリアン・ハスキーを飼うこと、血統種の人工交配、動物園や水族館、どこまでが生命を弄ぶ行為か、論理的な理由をつけて線を引くのは難しいです。例えば 「全ての食用の動物の苦痛を和らげる為に、殺すときには麻酔をするべきだ!」 と主張する人もいるかもしれません。
それらについて、個人個人が自分なりの線引きをして、自分の意見を主張して活動することは構いません。多くの人が同じ線を引けたら、それを法律にすることができるでしょう。ただし、線を引くなら一貫性のある線を引くべきだというのがこのコラムの主旨です。

映画 「ファインディング・ニモ」 の影響で、全国の熱帯魚ショップでクマノニが不足し、沖縄の珊瑚礁ではクマノミがイソギンチャクごと乱獲されているそうです。こういった話は実はいくらでもありそうで、動物愛護についてどこを線引きするかという話をはじめると、ペット産業自体がかなりグレーな存在だと思っています。動物愛護団体はどうせならこういった、クマノミの乱獲であったり、かつてのシベリアンハスキーのブームを問題視するべきではないかと思います。
もちろん、実際にはそういう活動をしているのかもしれません。けれど、それらの話はあまり聞かないのに、エビキャッチャーの話だけが新聞などで大きく報道されることを疑問の思ったのが、このコラムを書いたきっかけです。


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