詩を読む楽しみ
 
 17      ☆清水哲男 「はつなつの塩」(初出 1986年5月30日付毎日新聞夕刊)
 
道の端で立ち止まって いっしんに
この季節の木の花を見ている
 
そんな自分に気がつくということが起きる
 
雑踏で 若い女と擦れちがいざまに
思わず何事かをつぶやいたりしている
 
そんな自分に気がつくということが起きる
 
自分が自分で自分のしていることに
ふと気がつく……
そんなはつなつの午後には
そんな当り前のようなことが
自分にとってはなんだか事件みたいに写る
 
劇的とは 実はこういうことだったのか
 
みずからの劇に気がつかないで生きてきた
自分という名の他人名義の人生の塩よ!
 
古い作品なのですが、私にとってはかなりインパクトを受けたもの。友人K君と、この詩が面白いか面白くないかで対立した時、「お前に詩の面白さは分からないぞ」という暴言を私は吐きました。K君、ごめんなさい。あれから反省しております。自分の価値観と自意識を、自分以外のところでも見いだしたがる若気の至りと思って....勘弁してね。
さて、本題。夜、机に向かって詩を書いていると、どうしても詩の内容が、どうも深刻なもの・普遍的なもの・言葉で伝えやすいものあたりに偏向してしまう。詩に書くことなんて、本当はたくさんあるはずなのに。昼間の自分におこった、ちょっした気分の変化や驚きや感動や、そういうものがことごとく忘れ去られてしまう。それらは、確実に私の身におこったことである。そして、確実に自分自身の心の中で感じた物事である。そんな自分の中の「劇」に自分で気づかずに、深刻ぶったものだけで詩を書こうとしている。自分に起こった物事に関心を寄せずに...。
最初に読んだ頃は、「塩」という形容が新鮮だというところに目が奪われただけだった。上記のように考えが至るまで時間がかかったような気がする。本当に、詩に書くことなんてたくさんある。「詩とは、そのときの気分の総称」と言ったのは誰だったか。(別に詩にするかどうかだけが問題だという訳ではない。例として詩を出しただけ)
更新日時:
2004/05/07
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Last updated: 2005/7/3

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