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走れ!バカップル列車
第85号 西武特急ラビューとSLパレオエクスプレス



   三

 飯能の市街地は関東平野の西端に位置し、古くから林業と織物で栄えたといわれている。池袋線はなぜ飯能でスイッチバックするのか。先に話題にした武蔵野鉄道が一九一五(大正四)年、まず最初に池袋〜飯能間を開業させたことに由来している。十四年後の一九二九(昭和四)年に飯能から吾野まで延伸されたが、池袋と反対方向へ線路を延ばすのは地形の関係上むつかしかったらしい。やむなく池袋方向へ伸ばした線路を北西へカーブさせて吾野まで開通させた。
 やがて堤康次郎が登場し、武蔵野鉄道は新宿線、多摩川線などを擁する旧西武鉄道と合併、西武農業鉄道(一九四五(昭和二十)年)を経て、一九四六(昭和二十一)年、現在の西武鉄道が発足する。
 こうした経緯があるため、路線名はあくまで池袋〜飯能〜吾野間(五七・八キロ)が池袋線だ。いまは特急列車や土休日の行楽列車を除いて運転系統は飯能で分離されていて、飯能から先は単線にもなるので、池袋〜飯能が池袋線、飯能〜西武秩父間が西武秩父線と誤解されることも多いようだ。
 西武秩父線吾野〜西武秩父間(一九・○キロ)が開業するのは一九六九(昭和四十四)年のこと。このとき池袋〜西武秩父間に特急「レッドアロー」とセメント輸送を担う貨物列車の運転がはじまるが、飯能のスイッチバックのために、特急は座席転換を、貨物列車は機関車の付け替えを強いられる。不便この上ないため、元加治から東飯能へスイッチバックなしでつながる短絡線が計画され、一九八○年代には用地買収もほぼ完了したが、時代が流れ、池袋〜飯能間の特急が増えたこと、貨物列車への需要が減少したことなどの理由で休止となってしまった。いまも飯能に到着する手前と東飯能を通過する手前で細長い空地のような線路用地が見える。一見廃線跡のようでもあるが、オギャーと生まれることさえなかった未成線の跡である。
 飯能を発車したラビューは左にカーブして北西へ向かう。八高線との乗換駅、東飯能を通過し、武蔵丘車両基地の中を通過する。車庫の前後は部分的に複線になっている。左にカーブする途中で高麗(こま)を通過。湾曲した高麗川に囲まれた「巾着田」と呼ばれる一帯が近くにあって彼岸花(曼珠沙華)の群生で知られている。
 車窓は少しずつ山あいの景色に移ってゆく。このあたりから武蔵横手までの林はラビューの写真を撮るためになんども通った場所だ。のちに私は第五十三回 キヤノンフォトコンテストで動体部門ゴールド賞をいただくのだが、受賞作『青が散る』はこの林の中で撮影したものだ。細い林道、小さな踏切。自分の残像がどこかでカメラを構えているような気分になる。
「ここであの写真、撮ったんだよ!」興奮して話しかけたが、みつこさんは再び舟をこいでいた。
 線路は高麗川がつくった細い谷に沿ってくねくねと坂を登ってゆく。緑のトンネルを抜け、赤いガーター橋で川を渡る。そのたびに川は左窓にいったり右窓にいったりする。小さな子供とお母さんたちが一番前からの眺めを見ようと入れ替わり立ち替わりやってきて賑やかになる。
 東吾野を過ぎ、池袋線唯一のトンネルを抜けて吾野を通過。いまでは小さな通過駅になってしまっていることも、吾野が池袋線の終点であり西武秩父線の起点であるという印象を薄くしている一因かもしれない。

 なにごともなかったかのように通り過ぎた吾野だが、建設時期の隔たりはやはり大きい。池袋線は一九二九(昭和四)年、西武秩父線は一九六九(昭和四十四)年の開業。四十年もの歳月が流れている。相変わらず谷あいをくねくねと走る電車だが、吾野を過ぎると微妙にカーブがゆるやかになり、トンネルも多くなる。踏切も一部の例外を除いてほぼないと言っていい。
 もっとも大きな違いは正丸〜芦ヶ久保にある正丸トンネルだろう。正丸峠を越える全長四八一一メートルのトンネルが北西に向かってまっすぐ延びている。昭和初期の建設技術では掘れなかった建造物だ。開通当時は私鉄でいちばん長かった。カーブがないので、それまで性能を充分発揮できなかった特急列車がここぞとばかりにスピードを出す。前が真っ暗でなんにも見えなくなってしまい、子供とお母さんたちは自分の席に戻ってしまった。
 トンネルのちょうど真ん中あたりだけ複線になって上下列車のすれ違いができるようになっている。正丸トンネル信号場だ。ラビューは速度を落とし、左側の側線に入る。四分ほど停車。上りのレッドアローが通過していった。
 特急列車はトンネルの残り半分を全力で駆け抜け暗闇を出た。おおざっぱにいってここからが秩父地方である。谷が開けたところに芦ヶ久保駅。以前は特急列車が停車していたが、いまは通過駅となっている。
 高度成長期に建設された線路はトンネルや切り通しで山を越え、コンクリート橋で谷を越える。左窓に武甲山が見えてきた。秩父地方を代表する山で、古くから信仰の対象にもなっていたが、石灰岩採掘により山体が大きく削り取られ異様なまでに変形している。
 横瀬に停車。しかめっ面で座席も後ろ向きのままで眠り続けていたおばさんが突然むくりと起き上がって降りていった。席が空いたのでひと駅だけでも一番前に座ろうと思っていたら、前の少年がすかさずおばさんの席を回転させ占拠してしまった。がっくりうなだれているところへ、「しかたないよ」とみつこさんが私の肩を叩く。
 芝桜の羊山公園は秩父にあることで知られているが、荒川の河岸段丘の上にあるため、同じく段丘上にある横瀬が最寄り駅となっている。
 羊山公園の丘を越えて高低差が四十メートルほどある荒川の段丘崖を下るため、線路は左へ右へゆったりとしたS字カーブを描く。左下に秩父鉄道の線路が近づいてきて踏切を過ぎると終点秩父である。定刻8時51分に到着した。
 銀色の車輌を眺めながら八号車から一号車までホームを歩く。一号車の先頭まで来て、球のような先頭部分をバックに記念写真を撮った。



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