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走れ!バカップル列車
第80号 不思議の国の鶴見線



   三

「きょうはいないのかな、猫」みつこさんが物足りなさそうにつぶやく。
 ところがしばらくすると、黒、黒と白のブチ、茶色い縞模様の兄弟、虎模様など、猫たちが次から次へと集まってきた。めんどくさそうに私たちのところにやってきては、ぺたんと日影のアスファルトに寝っ転がる。総勢八匹。そのうちの一匹など、「きっぷはこの中へ」の箱の下にわざわざもぐりこんで寝ている。寝顔を覗いたり、話しかけてくるやつに返事をしたり、みつこさんの顔はきょういちばん生き生きしている。
 茶色の縞猫が一匹、私たちに「おいで」といって線路終点の車止め近くまで案内する。じっと見つめる縞猫の視線の方向からちょうど次の電車が入ってきた。電車が来るのを教えてくれたのだろうか。
 猫との楽しい時間はあっという間に過ぎて、私たちは折り返し17時00分発の鶴見行きに乗り込んだ。来た道を戻り、浜川崎を過ぎて西に向かう。
 浜川崎からはJFEと富士電機の工場敷地をすり抜けるように左に右にゆるやかなS字カーブを描きながら進んでゆく。そのカーブが終わって、17時6分、武蔵白石(しらいし)に着いた。土曜日も操業している工場があるのか、帰りの通勤客たちがホームに並んでいる。通勤客と入れ替わるように電車を降りる。
 ホームの向こう側にはこのあと乗る大川支線の線路があって、半径一六○メートルの急カーブで分岐している。この線路の配置からして武蔵白石は大川支線の分岐駅なのだが、大川行きの電車はいまは武蔵白石に止まらない。
 一九九六(平成八)年までは、クモハ12形という昭和四年製の茶色い電車が一両で武蔵白石〜大川間を行き来していた。クモハ12は全長一七メートルの短い車両だったので、急カーブのホームにも停車できた。ところが老朽化したクモハ12を置き換えるとき、JRにはもはや二○メートルの電車しかなく、電車を置き換えるとホームと接触してしまう。いっそ撤去してしまえということで、ホームをなくして通過扱いにした。いま鶴見線の路線図を見ると、大川支線は一駅鶴見側の安善で分岐するように描かれている。かなり乱暴な措置だが、コストを極限まで切り詰めるとこうなる。これも民営化のひとつのカタチであろう。
 旅客案内上は安善が分岐駅でも、路線の正式の区間や運賃計算上の分岐駅はいまも武蔵白石である。
 大川駅への「最寄り駅」が武蔵白石であることも変わらない。今回、大川までの片道は歩くつもりである。距離だって一キロほどだ。大川支線の列車は極端に少なく、土休日は一日に三本しかない。しかも夕方の一本は大川を三分で折り返してしまう。大川駅での滞在時間をある程度確保しつつ夕方唯一の電車に乗るには、大川までの往きは歩くのが良いのである。
 武蔵白石の駅を出て、浜川崎寄りにある踏切を渡り、みつこさんと私は一本道を歩きはじめた。すぐ右側には大川支線の線路がぴたりと並ぶ。線路脇には草が茫々生えている。日の光が斜めから射し込んで、工場の建物や路面を黄色く染めている。工場帰りの通勤客がこの道を私たちとは逆方向に歩いてくる。

 二十分ほど歩いて大川に着いた。改札口は踏切を渡った線路の西側にある。体育倉庫のような懐かしい造りの駅舎ともいえない小屋があって、改札らしい通路の先にホームがある。
 駅舎正面には三菱化工機、駅南側には日清製粉の工場がある。駅裏にあたる東側には中堅企業の工場がいくつも並んでいて、公園がある。駅裏に行くにはホーム南側の人一人がなんとか通れる幅の踏切を使う。
「この踏切、使ってるの?」みつこさんが疑問に思うのも無理はない。この先を行く電車はなく、貨物線も使われていない。レールは錆び放題で線路一面草茫々である。人は通っているが、列車が通らないという意味では使われていないのだろう。
 ホームに上がって壁に貼られている掲示物を眺める。
「当駅では日中帯旅客列車の運転はございません」という注意書きと共に武蔵白石まで歩く道案内や川崎駅行きのバス停の案内などがある。駅に隣の駅までの案内図があるというのもヘンな話だ。平日は七時台と八時台に計四本、十七時台から二○時台にかけて計五本ある。通勤の便に焦点を絞った究極の効率化ダイヤである。
 あたりはひっそりとしていて人の気配はない。チュンチュンと鳴くすずめの方が多いくらいである。それでも次の列車の時刻が近づくにつれ、どこからともなく通勤客がぽつぽつ現れて、細い踏切を渡ったりしている。十人ほどがホームに立ったり、ベンチに座ったりして、電車の到着を待っている。
「乗れなくなっちゃったらどうしよう?」増えてくる乗客をみてみつこさんが心配する。
「大丈夫。絶対乗れるから」座席だけでも一両の定員は五十名近くある。
 17時58分、鶴見からの電車が到着した。折り返し時間は三分しかない。運転士と車掌の持ち場が入れ替わって、18時01分、大川発鶴見行きの列車が発車した。
 先ほど歩いてきた一本道が右に寄り添う。白石運河の鉄橋を渡り、日本鋳造の敷地へ出入りする道の踏切を二箇所通過する。二つ目の踏切は正門前だからか、列車が近づくと門番が詰所から白い旗を出して二、三回振っている。遮断機が降りたという合図である。しかも遮断機はロープ式。いまではほとんど見られなくなった昔懐かしい光景だ。
 武蔵白石が近づくと半径一六○メートルの急カーブで左に直角に曲がる。制限速度は時速二五キロ。ゆっくりゆっくり電車は進む。臨海鉄道は、工場の敷地に干渉しないよう、線路はなるべくまっすぐ、角は直角に曲がる。必然的にカーブ半径も短くなる。
 鶴見〜扇町間の本線と合流する手前右側に草に覆われた不自然な空き地があった。これがかつて大川支線用のホームがあった場所だろうか。電車はその脇をなんでもないような顔で通過する。貨物線を跨いだり複雑なポイントをガタゴトと通過して本線と合流した。その先の運河が川崎市と横浜市の境界である。
 武蔵白石から安善まで○・六キロ、安善から浅野は○・五キロ、この付近は駅間が短い。左側に貨物用側線が何本にも広がりタンク車が二十両ほど停まっている。
 上下線を行き来する渡り線を過ぎて安善に着く。駅名は安田財閥の創始者安田善次郎から名づけられたという。
 浅野で下車。到着は18時6分だから乗車時間はわずか五分だった。この駅名も浅野セメントの設立者であり、鶴見臨港鉄道創業者の浅野總一郎にちなんでいる。



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