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走れ!バカップル列車
第79号 嵯峨野トロッコ列車



   四

 トロッコ列車は保津峡を左に見ながらトコトコ走る。
 南の対岸の山は嵐山、北の背後の山は小倉山。二つの山に挟まれた保津川の谷に沿って、細い単線の線路が走る。三十年前までここにディーゼル急行や寝台特急まで走っていたのが俄に信じがたい。
 みつこさんは楽しそうに私の顔をみる。
「なんで泣いてるの?」
「うれしいというか、中学に来たときのこととか、思い出してな」
「ふうん……。ねぇ、写真撮ってあげるよ」
「やめてくれよ!」
 車内は渓谷のある左側ばかり盛り上がっているが、もちろん右側の崖にも赤や橙に染まった木々が流れてゆく。
 発車当初はあまり気にならなかったのだが、だんだん気になり出したのが座り心地である。車輪やバネが貨車の仕様なので、ガタンゴトンというレールの響きが直接伝わってくる。しかも座席は木製ベンチ、座席とお尻の間のクッションもない。腰痛や痔などの持病があったりすると、座り続けるのはちょっと厳しいかもしれない。
 サービス停車した場所から一・五キロほど走ったあたりで保津川を鉄橋で渡り、すぐに清滝トンネルに入る。トンネルを抜けたところがトロッコ保津峡である。
 駅だから一応停車するが、接続する交通機関もなく民家も商店もないから乗降客は見当たらない。私たちは帰りにここで下車する予定である。
 車掌がホームに降り立ち、安全を確認してからドアが閉まる。
 列車は再び発車する。さきほど川を渡ったので右側に保津川が見える。ここから先は保津川の蛇行が激しく、さすがの旧山陰線も完全に川に沿っているわけではない。ある程度、川につき合いながらも一部はトンネルで突っ切っている。現在の山陰線は、川には一切つき合うことなく、すべてトンネルと鉄橋で一直線に突っ切っている。トロッコ列車の線路は現在の保津峡駅の下をトンネルでくぐり、さらにその先でもう一度山陰線の鉄橋の下をくぐる。
 インスタントカメラを抱えた売り子さんが記念写真を撮って車内を回る。保津川下りの舟が木の葉のように揺れながら川面を滑ってゆく。さきほどまでの晴天が一変し、谷から降りてきた霧にあたりが囲まれた。白い世界に浮かぶ紅葉もまた趣がある。
 トロッコ保津峡から三・九キロほどで終着トロッコ亀岡に着いた。定刻は10時30分だが三分ほど遅れての到着である。ホームの前には立派な駅舎があって、上り列車に乗る観光客たちで賑わっている。降りて駅の周辺をゆっくりみたいが、帰りの「嵯峨野4号」はわずか五分で折り返すのでホームで写真を一枚撮っただけで再び車内に戻る。
 トロッコ亀岡駅は、亀岡といいつつ山陰線の亀岡駅から三キロほど離れた野原の真ん中にある。一番近い馬堀駅からも五百メートル離れている。なぜこんなところに駅があるかと言えば、廃止された旧山陰線がここまでだからだ。トロッコ駅のすぐ南側には山陰線の複線の線路があって、普通電車が轟音を立てて通過してゆく。トロッコ列車が停まる線路の先には車止めがあって線路は途切れているが、もし線路が続くとしたら数十メートル先で山陰線に合流するような位置関係である。

 折り返しの「嵯峨野4号」は三分遅れたままトロッコ亀岡駅を発車した。指定券の座席はボックスひとつ分ずれた「一号車二番A・D」。
 嵯峨野観光鉄道の所有車両はいまみんなが乗っている一編成だけで、この編成が嵯峨と亀岡の間を一日中行ったり来たりしている。予備の編成がないので車両の整備などは通常期の水曜日と一月、二月の全日を運休とすることで対応している。
 七・三キロという路線の長さもいい。自転車よりちょっとばかり速いスピードを保ちながら一時間サイクルで往復運転ができる。ダイヤもおぼえやすくなる。運賃は六二○円均一となかなか良心的なお値段だ。英語や中国語に翻訳されたパンフレット、嵯峨駅の「ジオラマ・京都・JAPAN」「19世紀ホール」やレンタサイクルなども集客に一役買っているだろう。
 いまや利用者数は年間百万人を超えるという。一大観光地京都にあり、沿線は風光明媚。非常に恵まれた立地であることは間違いない。しかし立地条件だけではとてもここまでたどり着かなかったはずだ。有利なところは最大限利用しつつ、足りないところは創意工夫で補う。そのひとつひとつの積み重ねが観光鉄道としての成功を導いたといえるだろう。赤字ローカル線に足りないのは乗客でも資金でもない。アイデアと実行力が一番足りていないのである。
 トロッコ列車は来た道を戻る。トロッコ保津峡駅に近づくと再び晴れてきた。そもそも霧が出ていたのは亀岡盆地だけだったのかもしれない。
 トロッコ保津峡駅に到着した。降りようと立ち上がるとインスタントカメラの売り子さんに、
「降りるんですか?」と呼び止められる。「なにもありませんよ」
「わかってます」と答え、みつこさんと二人でホームに降り立つ。下車したのは私たち二人だけだった。
 トロッコ列車が去ると周りに人は誰もいなくなる。信楽焼の狸だけが私たちを出迎えてくれた。
 ここはトロッコ列車の四つの駅の中では唯一、旧山陰線の駅をほぼそのまま利用した駅で、往年の姿をいまも留めている。変わったところといえば山陰線時代に二本あった線路が一本になったぐらいで、空いたスペースはホームの幅を広げるのに使われている。
 中学三年の夏、私は友達とこの駅を訪れ、列車の撮影のために半日ほど過ごした。待合室に跨線橋、駅前の吊り橋。降り立てば、そのときの記憶がよみがえる。
 ここから山陰線の保津峡駅まで歩こうと思う。
 みつこさんが吊り橋をおそるおそる渡る。橋のたもとには釣り人相手の売店があるが、誰もいないしカバーがかけられていて営業はしていない。
 渡った先には車一台通れるだけの細い道がある。この道を西に向かう。木立に囲まれた坂道に日光が糸のように降り注いでいる。人里離れているためか、途中すれ違ったのはおじさんと旅の外国人二人だけ。カーブをくねくね曲がり、トンネルをくぐり、十五分ほど歩くと眼下に保津峡駅が見えてきた。橋梁上にホームがある珍しい駅だ。
 駅前まで来るとちょうど京都行きの普通電車が到着した。急いでホームに出て電車に乗り込む。
 発車した電車はみるみるスピードを上げ、トンネルを二つ抜けるとものの三分できょうの出発地、嵯峨嵐山駅に着いてしまった。
「なんだかあっという間だな」
 拍子抜けした様子でみつこさんがつぶやいた。



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