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走れ!バカップル列車
第79号 嵯峨野トロッコ列車



   三

 二○一六年十二月五日朝九時半ごろ、みつこさんと私はトロッコ嵯峨駅にやってきた。
 京都市内には前日に入り、昨夜は嵐山の旅館に泊まった。十二月とはいえ寒さはそれほど厳しくない。空は青く晴れ渡っている。
 トロッコ嵯峨駅の駅舎はJR山陰線嵯峨嵐山駅の隣にある。第三セクターの駅舎のようにJR駅の隅っこにあるような形だが、トロッコの駅舎はなかなかに立派だ。入口を入ると駅舎内はすでに観光客で溢れていた。出札口には当日券を求める観光客が行列を作っている。窓口の上にはLEDの電光掲示板もあって、発車予定の列車時刻の横に「立席券」「指定発売中」「満席」といった文字が並んでいる。
 駅舎には「ジオラマ・京都・JAPAN」「19世紀ホール」といった施設も併設されていて、乗車前の空き時間も楽しめるようになっている。
 私たちが乗る列車は10時07分発の「嵯峨野3号」である。九時四十五分過ぎ、改札がはじまったので切符を見せてホームに出た。すぐ隣にある山陰線の嵯峨嵐山駅は二本のホームに四本の線路がある立派な駅だが、こちらは簡素なつくりのホーム一本に線路が一本のこぢんまりした感じだ。ホームの途中に白地に「0」と書かれた「0キロポスト」がある。「トロッコ嵯峨」という駅名標があったので、みつこさんに横に立ってもらって写真を撮るが、みつこさんは乗車を前にどこか不安なのか、心ここにあらずといった表情である。
 指定券にある一号車の乗車位置は一番亀岡寄りなのでホーム先端まで歩く。列車の到着を待つ間にも次から次へと乗客がやってきて、幅二メートル余りのホームは早くも人が溢れそうになる。
 誘導に出てきた駅員さんが近くの乗客と話している。
「見ごろのころはもっと赤が鮮やかなんですよ。今年はもうだいぶ散ってしまいました」
 嵐山の木々はまだ赤や橙に染まっていて、京都の紅葉初心者の私たちにしてみれば充分に楽しめるのだが、もっと赤くてもっときれいな紅葉があるのなら、ぜひ一度見てみたい。
 トロッコ亀岡から戻ってくる上り「嵯峨野2号」が定刻10時01分よりやや遅れて到着した。列車が進入するとホームの雰囲気も一気に盛り上がる。誰もがスマホやデジカメを取り出して、近づいてくる列車に向かってシャッターを切る。
 列車は亀岡寄り一号車から嵯峨寄り五号車までの五両編成。五号車の後ろ側に小型のDE10形ディーゼル機関車が一両連結されている。亀岡に向かう下り列車の場合、機関車が一番後ろから後押しする走行になるので、先頭でもブレーキ操作などができるよう、一号車には運転台が設置されている。
 客車は、貨車の台枠にレトロ風の客室を新造して載せた改造車である。機関車を含めた編成全体が赤、オレンジ、茶色など暖色系のカラーリングでまとめられている。
 亀岡からの下車客が降りて、早速乗車する。トロッコの雰囲気を出すためなのか、車体は簡素なつくりになっていて、柱や梁はむき出し、照明は日中は傘のついた裸電球を三、四箇所ぶら下げたものだけである。開閉式の窓ガラスがついていて、上段はどこも開け放たれているが、寒いからといって閉める乗客は誰もいない。今回は乗らないが、五号車は「ザ・リッチ号」と呼ばれる、窓ガラスがない吹きさらしの車両だ。風雨の強い日は乗車できないので事前発売の指定券はなく、当日券のみの販売になっている。
 私たちの席は「一号車四番A・D」。前から二番目のボックスで、進行方向右の窓側に向かい合わせで座る格好だ。座席は木製のベンチ。座り心地は正直言うとあまり良くないが、往復でも一時間程度の乗車時間だからこれでいいのだろう。木の床には黄色く染まった楓の葉が散らばっていた。
 無事に座席に着きみつこさんもほっとしたようで、自然と笑顔がこぼれてくる。後から乗客が続々とやってきて座席は瞬く間に埋まっていく。乗客の大半は中国人をはじめとするアジア系の外国人で、私たちの隣も中国人の若い親子連れだ。

 トロッコ列車「嵯峨野3号」は定刻10時07分より一、二分遅れてトロッコ嵯峨駅を発車した。
 列車はゆっくりと動きだし、駅西側の踏切を渡る。その後、どうやって走るのか注意して見ているとその先のポイントで山陰線の下り線に入ってしまった。
 事前に下調べした資料にもそんなことは書いてなかったし、地図にはあたかも山陰線に並んで独立した線路が敷いてあるように書いてあるので、私は現地に来るまで知らなかったのだが、トロッコ嵯峨〜トロッコ嵐山間の一キロは山陰線の下り線と線路を共用しているのだ。
 単線時代ならいざ知らず、複線電化された山陰線には特急電車が猛スピードで通過する。こんなにゆっくりした歩みで大丈夫だろうか? という私の心配などどこ吹く風、トロッコ列車は山陰線の線路上を悠然と走る。帰りのトロッコ列車は山陰線を逆走するはずである。下手をしたら正面衝突ということもあり得る。ますます心配になる。
 住宅街や寺社の林の間を二分ほど走ると再びポイントがあって山陰線と分かれる。右側に現れたホームがトロッコ嵐山駅だ。ホームは短く、一号車と二号車はその先のトンネルに入るのでドアは開かない。何人か乗ってきて、わずかにあった空席が埋まる。運転台の後ろは立ち席客が陣取っている。
 二百メートルほどでトンネルを抜けると列車は左窓に保津川を見下ろす渓谷に出る。左右の木々は赤一色に染まり、太陽の光を透してキラキラ輝いている。
 もっとゆっくり見たいなと思っていると列車が急に停車した。
「サービスで停車します。写真を撮る方はどうぞ」とアナウンス。一瞬、車内にくすっと笑いがこぼれる。乗客たちが立ち上がり、川沿いの紅葉にカメラを向ける。
「ひろさん、すごいよ! 真っ赤だよ」
 みつこさんがにこにこしながら窓の外を指さす。おばちゃんたちのグループ、家族連れ、中国人の団体客、誰もが笑顔で車窓を眺めている。
 かつての山陰線を保存して観光鉄道を走らせてくれる人たちがいる。その列車にみんな笑みを浮かべて楽しそうに乗っている。
 なんとありがたいことだろう。なんと幸せなことであろう。まるで夢の世界にいるようだ。
 みつこさんが怪訝そうに私の顔をのぞき込む。「ひろさん、泣いてるの?」
 懐かしさとか、感謝の気持ちとか、さまざまな思いが一気にこみ上げてきて、知らず知らず私は泣いていた。気がつけば紅葉が涙ににじんで視界が赤く揺れている。



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