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走れ!バカップル列車
第79号 嵯峨野トロッコ列車



   二

 二○一六年の春先のことである。みつこさんがiPad片手に私のところにやってきた。
「ひろさん」
「なに」いつもと逆のパターンである。
「なにかのついでのときでいいんだけどさ……」言いながらwebニュースの画面を見せる。「ここの動物園に行ってみようよ」
 それは京都の動物園だった。その動物の展示のしかたがユニークだという記事が出ていた。
 そのころ私は「サンライズ出雲」(「走れ! バカップル列車 第76号 サンライズ出雲(東海道・山陽線)」ほか)に乗るべく、山陰地方への旅行を考えているところであった。
 そこへみつこさんが京都の動物園に行きたいという。都内のデパートに行けば満足できるみつこさんが遠くへ行きたいというのは非常に珍しい。だからみつこさんの希望にはできるだけ答えてあげたい。
 みつこさんの希望を後回しにしたばかりに後悔したことがある。高千穂鉄道高千穂線だ。自分としてはちょっとばかり時期をずらす程度のつもりだったのが、こともあろうにその間に台風が来て、そのまま高千穂線は廃止に追い込まれてしまったのである。私たちは永久に高千穂線に乗れなくなってしまった。
 そんなことがあったから、みつこさんの希望は優先させなければならない。早速、山陰の帰りに京都に寄るプランを考えてみた。鳥取から京都までの移動に特急「スーパーはくと」を組み込めば、バカップル列車の話題も増える。
 ところがどう工夫をしても山陰と京都の両方を組み込むとなると日程を一日増やさざるを得ない。しかし義母の介護の事情を考えると四日間も不在にすることもできない。
 なにがいつどうなるかわからないから、「サンライズ出雲」だって乗っておきたい。京都の動物園も行っておきたい。どちらも優先させたい事情は同じである。ならば、やはり私のわがままではあるが、先に発案した「サンライズ」の方を先に行くことにしたい。四日間の日程にできないのはみつこさんの事情でもあるから、京都を後回しにするのは、みつこさんに了解してもらった。
 その代わり、宿の予約だけはいまのうちにしておく。七月に出雲に行くから、少し間をあけて紅葉のころにしようと十一月下旬の空室を探した。まだ半年以上も先のことにも関わらず見ごろのころは満室だったので、一週間ずらして十二月の第一週の宿を予約した。
 京都の動物園に合わせてバカップル列車を走らせるならどの列車がいいか。真っ先に思いついたのは、宿のある嵐山に近い嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車だった。
 紅葉を楽しむなら、「叡山電車」などと呼ばれる叡山電鉄叡山本線・鞍馬線も悪くないし、「嵐電」と呼ばれる京福電気鉄道嵐山本線・北野線ならば宿からのアクセスも良い。しかしどちらもどのくらい混雑するか、このシーズンに乗車したことがないので見当がつかない。その点、トロッコ列車なら座席指定ができるので安心である。
 トロッコ列車の乗車は私にとっても初めてになる。だが、トロッコ列車の線路をたどるのは初めてではない。嵯峨野観光鉄道はもともと山陰本線だった線路を利用しているからで、私は中学生のころ、この線が山陰線だった時代に乗ったのである。
 最初に乗った一九八四年当時、山陰線にはディーゼル機関車が古ぼけた客車を引っ張る列車が走っていた。ドアがなく開け放たれた貫通路に鎖が渡されただけの客車の最後尾で、中学生の私は保津峡の風景に見とれていた。それがあまりに美しく、危険と知りつつそこから離れがたかったことをいまも鮮明におぼえている。
 この風光明媚な嵯峨(現・嵯峨嵐山)〜馬堀間は複線化に伴う新線への切替えのために廃止されてしまう。新線になって間もないころの山陰線に乗って、車窓のあまりの変貌ぶりに愕然とした。もう永久に車窓からあの風景を眺めることができないと思うと私は悲しくなった。

 嵯峨野トロッコ列車は、嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線という。
 山陰本線嵯峨〜馬堀間が新線に切替えられたのは一九八九(平成元)年三月のことだった。使われなくなった旧線に目を付けた京都府から「京都の新しい観光資源として旧山陰線を活用できないか」と打診があったのがそもそものはじまりだったという。トロッコ列車を走らせることについて運輸省(現・国土交通省)の認可が下り、正式決定したのは一九九○年十一月だった。会社はこのときJR西日本の一○○%子会社として設立されている。線路設備の所有はJRのままであり、嵯峨野観光鉄道はその路線を借りて列車の運行のみを行う。
 旧線が廃止されてから会社の設立まで一年半もの空白があり、その間にレールは錆び、枕木は腐り、路肩は崩れ、雑草は伸び放題となっていた。これらの整備を含めた開業準備作業を社長を含めわずか九人のスタッフがこなしたという。春や秋には車窓が楽しめるようにと桜や楓の植樹も進めていった。
 そうして一九九一年四月、トロッコ列車は運転を開始した。トロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅までの七・三キロを、列車は一時間に一本、片道二十三分ほどかけてゆっくりと走る。利用者数は年間二十三万人と見込まれていたが、実際はその予測をはるかに上回り初年度にして六十九万人を超える人びとが乗車したという。
 このトロッコ列車に乗車するときがきた。旧山陰線の廃止を悲しんだ割りには開業から二十五年も乗っていないというのは自分でもどうかと思うが、乗りたくて乗れない列車はいまも山ほどあるのだからしかたがない。
 乗車を機に調べてみて初めて知ったのだが、嵯峨野観光鉄道は日本ではじめての純粋な観光鉄道らしい。大量高速輸送とは離れたところで、鉄道事業者が単独で採算のとれる経営をしているのだとすれば、トロッコ列車にはローカル線が生き残るためのヒントが隠されているかもしれない。



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