homepage
走れ!バカップル列車
第74号 ローカル線と通勤電車の札沼線



   三

 新十津川の駅名は「しんとつかわ」と読む。かつては「しんとつがわ」だったが、町名の読みが濁らないため一九九七(平成九)年に駅名の読みが変更された。「留萠本線」が「留萌本線」に変更されたのと同じ時である。「新」とあるが道内には「十津川」はない。明治期、奈良県山奥深くにある十津川村の住民が移住したためこの名がついた。
 9時28分、新十津川止まりの下り列車が一両だけでぽつねんとやって来た。クリーム色に青や黄緑のラインが入った国鉄時代からの古いディーゼルカーである。ホームに到着するとき、どこからともなく小さな子供たちの「わー」という声が聞こえてきた。姿は見えない。雨で駅までは来られないけど、保育所のどこかから手を振ってくれているのだろうか。
 いま着いたこの車両が折返し9時41分発石狩当別行き上り普通列車5426Dになる。到着から出発までの十三分間で写真を撮り切らなければならないから鉄道おたくは忙しい。
 私たちもドアが開くと同時に座席を確保して、再びホームに出た。雨は相変わらずザーザー降っているが、もちろんこの駅にも二人揃って訪れる機会はもうないだろうから思い切って記念写真を撮ることにした。
 あっという間に出発時刻になる。私たちは進行方向右側のボックス席に座っているが左前方のボックスにはメガネのお兄さん、後方のロングシートには独り言のお兄さんが座っている。
 左後方のボックスには地元の人らしいおじいさんと若いお母さんと子供が座っていてなにやら賑やかだ。窓の外にはおばあさんとおばさんが傘を差して立っていて、車内の三人を見送っている。
 駅にはもっと鉄道おたくたちがいたはずだが、乗車したおたくは私たちを含めた四人だけで、あとは地元のおじいさんと親子の三人。おたくがいなかったら、乗客は三人しかいなかったことになる。どちらにしても留萌本線の混雑ぶりにはほど遠い。
 ディーゼルカーはゆっくりと動きだす。おばあさんとおばさんが三人に手を振る。木立を抜け、新十津川の市街を抜けるとだだっぴろい石狩平野に出る。左右はあぜ道の間隔が広い田んぼで、黄金色の稲穂が風になびいている田んぼ、稲刈りが終わって土がむき出しになっている田んぼが半々ぐらいに並んでいる。その中を時速五○キロほどの速さで列車は走る。タタンタタン、タタンタタンというジョイント音のリズムが心地よい。
 新十津川と次の下徳富(しもとっぷ)の間には中徳富(なかとっぷ)という駅があったが利用客が少ないという理由で二○○六(平成一八)年に廃止された。
 下徳富、南下徳富、於札内、鶴沼あたりは一・五キロから二キロぐらいの間隔で駅が並ぶ。真っ平らな地平線の上を線路はまっすぐ南に進んでいる。地図を見るとこのあたりは石狩川の流れが変わって出来た三日月湖が点在するが車窓からは見えない。
 やがて建物が少しずつ現れてきて新十津川から二十分ほどで浦臼に着いた。浦臼の駅舎は茶色いモダンな建物だ。公共施設が併設されているのだろうか。
 おじいさんと親子はここで降りるらしい。驚いたことに新十津川で三人を見送ったはずのおばあさんとおばさんがホームに立っている。自動車で先回りしたのだろう。新十津川から石狩当別付近まで国道275号線が線路に並行しているから、先回りはさほど難しいことではない。むしろ私が驚いたのはおじいさんと親子の三人も必要に迫られて列車に乗ったのではないということだ。結局、この列車にはまともな客は誰一人として乗っていなかったのである。

 浦臼を10時03分に発車。雨はいつのまにかやんでいる。列車を降りたおじいさんとお迎えのおばあさんたちがホームに立って手を振っていた。
 札的(さってき)を過ぎると右から丘が近づいてくる。札的、その次の晩生内(おそきない)あたりから札沼線は針路を少しずつ南西方向に変える。石狩平野の広がりに合わせて線路が平野と丘陵地帯の境目に近づいてゆく。
 札比内(さっぴない)を出ると線路は国道から離れ、丘の中へ入る。豊ヶ岡は丘の中にぽつんとある駅だ。ホームも短い。待合室はホームからなぜか二、三十メートルほど離れたところに建っている。周囲は林で黄色い葉の中にときどき混ざる真っ赤な葉が目に鮮やかだ。
 丘を抜けると左にはベージュ色の箱のような大きな建物が見えてくる。月形刑務所だ。かなり広大な敷地のようで、ひとつ過ぎたかと思ったらまた別の建物が次から次へと出てくる。ベージュはもともと明るい色のはずだが、刑務所だからか曇天の空の下でこれらの建物が重々しく映る。
 月形町には樺戸集治監という監獄があった。明治十四(一八八一)年に設置され、この囚人たちが月形町を開いたという。月形という町名も集治監の初代典獄(所長)が月形さんだったことによる。樺戸集治監は大正八(一九一九)年に廃監となり、現在の月形刑務所は東京の中野刑務所が移転するかたちで昭和五八(一九八三)年に開庁した。
 刑務所の敷地を過ぎると団地や家並みが増えてきて石狩月形に着く。新十津川を出発してはじめての列車すれ違い設備のある駅である。つまり石狩月形〜新十津川間の三○・二キロは列車が一本しか入れないということだ。そのためこの区間の信号方式は簡易的なスタフ閉塞だ。列車が到着するとホームに立つ駅員が輪っかのついた革製のホルダーを運転士から受け取る。そのホルダーの中に「通行手形」であるスタフが入っているのだ。この取扱いのため石狩月形は駅員配置駅となっている。
 三○キロの間に列車が一本しか入れなくても間に合うばかりか、すれ違う列車もないままにディーゼルカーは石狩月形を発車した。
 ところでみつこさんは新十津川を発車してからまだ居眠りをしていない。留萌本線と札沼線の予習のために持ってきた『国鉄全線各駅停車(1)北海道690駅』(一九八三年・小学館)、『全線全駅鉄道の旅 1 北海道JR私鉄2800キロ』(一九九一年・小学館)という本のコピーを私が使わないときに読んでいて、書かれた沿線風景に興味が湧いたらしい。
「これ、けっこう面白いね」
 本に書いてある景色をたしかめようと窓の外を熱心に眺めている。



next page 四
homepage